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秘術使いの理想郷─ヴィルヘルミナの物語─  作者: 智慧砂猫


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第76話「壊れた心の先」

 想いが違うのであれば往く道も違う。それは仕方のないことだ。ヴィルヘルミナは諦めて、ウォルターとは違う道を選んだ。かつては互いが歩んだ道を、互いに別々の道として歩んでいる。それが、少し悲しかった。


 寮に帰ってくる頃にはアレックスもすっかり元気になっていた。途中で降ろしてもらい、二人で並んで歩き、何事もなかったように、休憩がてらに食堂へ入った。ヴィルヘルミナがコーヒーを淹れて、静かに飲んで時間を過ごす。


「そんなにウォルター教授との関係がこじれたのが辛い?」


「辛くないと言えば嘘になる。だが仕方ないとは思っているとも」


 諦めが悪いほど子供ではない。魔法の世界では些細なことで食い違って仲が悪くなるのはよくある話だ。それにウォルターの方針はどうしても容認できなかった。子供の命を犠牲にしてまで、というのは以前の自分でさえ忌避したことだから。


「ふふ、まあ、人間の関係なんてそう簡単に切れるものじゃないさ。いつかは話をするときがくるよ。お互い、きっと何か誤解してるだけだと思う」


「そうかな……。ううん、だといいんだが」


 落ち込むヴィルヘルミナを励ます気は、それほどない。ただ思ったことを。


「ねえ、ミナ。どんなに偉い人でも、どんなに強い人でも、独りでは生きていけないんだよ。キミを知り、キミを想ってくれる人がいるのなら大切にするといい。孤独はキミを蝕んでいく猛毒になるから」


 思い起こされる記憶にアレックスは悲しくなった。


「私には家族がいないも同然だ。キミとは違う。役立たずと罵られ、部屋から出て来るなと言われ、落ちこぼれと言われ……。生きる価値すら見いだせなかった。学院に入るなとまで言われても、私は実力で推薦を勝ち取った。キミに出会うまでは、ずっと猛毒に冒されて生きてきたんだよ、ミナ」


 ド・トゥールは魔法使いの名門だ。これまで多くの大魔法使いと呼ばれる実力ある人間が名を継いできた。歴代でアレックスだけが、家門の血を引いていながら魔力を殆ど持たずに生まれてきたのだ。


「……孤独は怖いよ。ときどき死にたくなる。日々に絶望を抱えながら生きてる人間は、ただ風が吹いたというだけで死にたいと願うものさ。でも、一方で、些細な切っ掛けで生きたいと願うこともある。それは誰かが差し伸べてくれた手かもしれない。ウォルター教授はキミにとって、そういう人間じゃないのかな」


 言われて、そうだとヴィルヘルミナはカップを強く握りしめた。会えたとき、どれほど嬉しかっただろうか。愛する弟子が、どれほど自分の為に尽くして非業の死を遂げたかを想うと申し訳なさすら浮かんでくる。


 優しい人間になってほしいという想いの理由が、その荒んだ原因と共通するのであれば、致し方なかったことなのかもしれない。優しい大人ではないと自分で口にするほど。他人の命を犠牲にしても仕方ないと思えてしまうほどの痛みが、ウォルターの中にはあるのだ。痛すぎて、耐えきれなくて、泣き喚くことさえ許されず、自分という人間を壊してまで前に進もうとする男の深い絶望が。


「……そのうち、また話してみるよ。だが、今は心の整理がつかない」


「それは誰だって当然さ。今は考えずにゆっくり休もう。私も疲れたよ」


 カップが空になり、アレックスが席を立った。


「では失礼。キミにも迷惑をかけたね」


「いや、私は構わない。お前が無事でよかった」


「では夜にでも、マドモアゼル。私は少し眠りたい」


「お疲れ様、アレックス。ゆっくり寝てくれ」


 食堂にぽつんと一人残って、冷めたコーヒーに映る自分を見て溜息が出た。


 少し頑固だっただろうか。言い分を聞いてやるべきだっただろうか。もやもやする気持ちで動けずにいると、用事を済ませて戻ってきたリロイが顔を覗かせた。


「どうも、ヴィルヘルミナさん。コーヒーを飲んでいたんですか?」


「アレックスと。さっき話し終えてな、私は考え事をしていた」


「そうですか。では僕もコーヒーを頂きましょう。飲むとスッキリしますから」


 リロイは何故か上機嫌で、鼻歌交じりにコーヒーを淹れる。ヴィルヘルミナはなんだか気持ち悪くなって、引き攣った顔で尋ねた。


「何をそんなに、その……良いことでもあったのか?」


「え。はは、やだなあ。僕が上司のしょぼくれた顔を見て喜ぶ人間だとでも」


「……そ、そうか。別にいいんだ、気のせいなら」


 ウォルターも自分と同様に落ち込んでいたのか、と思うよりも先にリロイがあまりに上機嫌すぎて、複雑な気持ちだった。魔塔は忙しいと聞いてはいたが、どう扱われてきたのかがよく分かる瞬間を見たかもしれない、と呆れてしまった。


「それにしても、素直じゃない人ですよね。彼はいつもああなんですよ」


「いつもというのは……?」


「恋人や同僚が亡くなってから、わざと冷たい態度を取るようになりましてね」


 よいしょ、と呟きながら椅子に座ってリロイは話を続けた。


「誰にも死んでほしくないがゆえに、誰かを犠牲にする手段しか思いつかないんでしょう。皮肉にも、最初に犠牲にしたのは自分の心でしたが」


 カップを小さく揺らしながら、リロイは憐れみを浮かべて────。


「僕もたくさんの同僚が亡くなりました。自分は運良く生きてきましたが、ときどき思い出すんです。楽しかった、若い頃のことを。……どうか、少しだけ見守ってあげてくれませんか。その分、僕たちも働いていますので」


 くいっ、とコーヒーを喉に流してカップを置く。リロイは懐から折りたたんだ紙を取り出してヴィルヘルミナに差し出す。


「こちらは邪法使いについての調査結果です。彼らの狙いについて、僕の部下が命と引き換えに手に入れた情報になります。彼らの目的は────」


 ヴィルヘルミナが紙を広げようとして、リロイのひと言で手が止まった。


「アルベル・ローズラインの遺体です」

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