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秘術使いの理想郷─ヴィルヘルミナの物語─  作者: 智慧砂猫


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第72話「蜘蛛を狩る」

 ヴィルヘルミナは魔力の痕跡を追った。後から駆けつけてくるであろう、ウォルターたちが効率よく探せるように自身の魔力を周囲に残しながら。


 痕跡は外へ伸びていた。裏庭を通り、塀を越え、人通りの少ない区画。かつてダルス・タルボットに呼び出されて一悶着あった場所は、やはり理由がなければ誰も訪れない廃棄された区画だ。小さい場所といえども邪法使いが身を隠すには好都合。それはヴィルヘルミナにとっても、ではあったが。


「(ただでさえ人の気配がないのに、あえて裏路地へ誘い込んでいる。塀もそうだが、魔力の痕跡が度々壁を抜けているのは、何か移動手段の魔法を使ってるのか。影の中に隠れるか、あるいは一時的に透明になれるか。それとも周囲からの気配遮断で存在そのものを誤魔化す?)」


 のんびりしている暇はない。ウォルターたちの救援が辿り着くよりも早くに向かわなければ、アレックスだけが連れ去られる可能性は高かった。執拗に人の来ないであろう深い部分まで潜り込んで隠れる敵の周到さには溜息が出た。


「(ここで途切れているな……。此処はひとつ演技でもしてみるか)」


 すう、と息を吸い込んで、気持ちを込めて呼びかけてみる。


「アレックス? どこにいるの、探しに来たよ。ここにいるんでしょう?」


 それはまさしく怯える少女のようだった。初めてデヴァル家に迎えられたとき、笑顔の練習ついでに演劇を学んだのは今日のためだったのだろう、と本人も意外な展開に驚きを感じつつも胸の内に隠す。


「ツイてるわねぇ。魔力の反応がぺらっぺらだから出来の悪いガキが来たのかと思ったけど、あの痕跡を辿れるなんて良い餌が釣れたじゃない」


 背後から艶のある声がして振り返る。背の高い女が立っている。森のように量のある伸びきった毛髪に、虚ろな瞳。咽そうな血の臭いがこびりつくほどの邪悪。これまでに何人殺してきたのか。口が悪くなりそうなのを堪えた。


「アレックスはどこ? あなたが連れて行ったの?」


「あら、縮こまっちゃって可愛い。あの王子様みたいな女の子のことなら安心して。ちょっと私が眠らせてるだけだから、あなたも一緒に来なさいな」


 無事。そう、アレックスはまだ無事だ。女は慎重に事を運んだと言えども、うまくいったことに気を良くして、もうひとりの獲物を待っていた。連れて帰って実験に使うのだと分かり、安否がはっきりしたところで演技はやめた。


「単純な奴だな。あまり簡単すぎて溜息が出るよ」


 前髪をかきあげて、見下すような目つきで睨む。


「自分の領域なら心配はないと思っている、実に無様な人間の目だ」


「……何、猫被ってたの? 悪くないわね、そういう生意気な態度も」


「生意気なのはどちらか教えてやる。易々と逃げられると思うな」


 胸の前で叩くように組んだ両手に魔力を込め、離すと屈んで地面を叩く。


「────《テクスチャ・イミテーション》」


 両手から地面を伝って、魔力の閃光が波紋のように広がっていく。だが、それ以外に何かが起きたようには見えない。女は警戒したものの、ハッタリだと感じてせせら笑う。所詮は子供のやることだ、失敗したに違いない、と。


「生意気なわりには出来の悪い子ね。魔力だけは立派みたいだから有効活用してあげるわ。そうだ、おめめは刳り貫いて、お母さんに形見としてあげましょ。名前を教えてくれない? 知っている方が渡しやすいからさぁ」


 小馬鹿にして楽し気に腕を組み、次は何をするかを様子見している。それが誤りだ。ほんの僅かな瞬間でも油断せずに策を打つべきだった。


「随分と呑気な奴だ。勝てると微塵も疑っていない」


「事実じゃない。今の失敗した魔法がなんだっていうの?」


「失敗……。そうか、お前にはあれが失敗に見えたか」


 口元に手を当てて心底から嗤い、ヴィルヘルミナは答えた。


「三流だな、お前。才能がない。魔法の研究などやめた方が身のためだぞ」


「……クソガキが、立場ってもんが分かってないのね!」


 手を翳した瞬間、地面や壁を這って黒い影が覆う。ヴィルヘルミナの側面、建物の壁から黒い影は実体となって鋭く尖った槍のようにいくつも突き出す。串刺しになるはずだった少女の姿はそこになく、穴だらけになったローブだけが揺らいだ。


「ちっ、どこに逃げたの!?」


 一瞬だけ姿を探して、ハッとする。逃げたのではない。姿勢を低く、圧倒的な速度で踏み込んだ。目で追うよりも速く、雷を纏った拳が振り抜かれた。


「《雷轟突撃(ママラガン・アサルト)》」


 腹部を激しく突くと同時に、耳を劈く雷鳴が響く。纏わりついた雷撃と共に、女の体は吹っ飛んで地面を抉り、衝撃波が周囲の建物を蹴散らす。日の光が当たるル・フェイ通りにまで転がっていった。


「っ……ざけんな、あのクソガキ……! なんつう威力してんのよ!?」


 転がりながらも体勢を整えて地面にしがみつき、なおも滑る体を留める。指が千切れそうな痛みに耐え、肌が焼かれた痛みも忘れた。口からペッと血を吐いて、女は土煙の向こう側から悠然とやってくる者の姿にゾッとする。


「なんだ、余裕ぶっていたわりには弱いな、お前」


 間違いなく子供の姿。華奢な体は、ただ細いのではなくまだ成熟しきっていない。なのに、その気配に感じる圧は並のものとは違う。見ているだけで意識を失いそうなほどの戦慄。本当に人間か、と問いかけたくなるものだった。


「そうだ、名前を聞き忘れていたな。呼び辛くて仕方がない」


「馬鹿力なだけで頭は悪いのかしら? そんなもの答えるわけが────」


 ヴィルヘルミナの仰向けにされた手。人差し指だけが伸ばされ、くいっと引くように動かせば、どこからともなく青白い光の糸が女の手足と、開いた口の中へ飛び込みんで舌に繋がった。


「あが……っ、なに、よこれ……!?」


 身動きが取れない。びくりともできない。指先も動かなかった。


「私の魔法だよ。《罪業の糸》と言う。それらは全て、お前が誰かを痛めつけた部位に繋がっている。腕は殴ったり、あるいは握りしめた刃物で切り裂いただろう。足は当然、踏んだり、蹴ったりするのに使う。口は、まさしく言葉。甘い言葉を囁いておきながら悪魔のような言葉で嘲笑った、お前の罪を示す糸」


 首に手を当てながら、やんわり傾けてバキッと音を鳴らす。


「────さて、名前でも聞こうか?」

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