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30.流星と踊れ

「ほら」


 促されて向かいあう。長い腕に引き寄せられる。手を置いた肩は、頭の中でシミュレートしていたよりもずっと分厚くて硬い。高い位置でのホールドはダンスの練習につきあってくれた父とはあまりにも違いすぎて、上手く踊れるかどうか不安になった。

 気を取り直した人々がダンスホールに踏み入って、慣れた様子で音を待つ。ドキドキした。肘が張りすぎているのに気づいて急いで修正する。

 大丈夫、ちゃんと踊れる。ダンスは得意だ……得意なはずだ。待って、本当に得意だった? 母に教わって一人で練習をして、たまに父に一緒に踊って貰って、それで拍手を貰ったって、それって親の贔屓目では。でも母は褒めるときは褒めるけれど、見る目は結構厳しい人だし。いや、いや、ナタリアはやればできる子。多分、恐らく、大丈夫!

 混乱の最高潮で、音楽が流れ始めた。

 ぎこちない一歩を踏み出そうとした矢先、セオリーから全く外れたタイミングで強く引かれてシュテルの胸に飛び込んだ。思い切り鼻を打ちつけたのだが痛くはない。もしかしてドレスの特殊効果で衝撃耐性とか組み込んであったりするんだろうか。


「ちょっ――きゃあ!?」


 突然の暴挙に抗議しようとしたら、お次は驚くほど高いリフトを食らった。そのままぐるぐると勢いよく回って、ナタリアのドレスの裾を大きくはためかせる。


「な、な、な」


 美しい旋律は数秒酷い不協和音に変わっていたが、さすがプロ、すぐに元の演奏を取り戻し、皆のステップを促した。

 戻れないのはナタリアたちだ。


「何するの!」

「いやあ、悪い悪い。俺としたことが緊張しすぎて間違えちまった」

「間違え、なんてレベルじゃ……もう!」


 床へと戻したナタリアの腰を、わざとらしくおかしな場所で固定するから、振り払って勢いよく手を突き出した。


「お手をどうぞ、ダンスの下手なお姫様!」

「そこは王子にしてくれよ」

「王子様は手を差し伸べる方なのよ。……緊張、ほぐしてくれてありがと」

「どういたしまして。リードは頼んだ」


 今度こそナタリアが夢見たダンスが始まった。

 シュテルは言うほど踊れなくはなかった。確かにたまにリズムから外れることはあったけれど、運動神経のよさが発揮されてステップの見栄えはいい。それにホールドの安定感は抜群だった。


「なんだ、謙遜したのね」

「いや、ほんとにダンス苦手。健気な俺は今日のために練習したんだよ」

「ロロッカさんに教えて貰ったの?」

「クーノ。ロロッカは一歩も踊れねえ」

「クーノさんが踊れるのは意外だわ」

「あいつ色々器用でな、意味わかんねえこと得意だぞ。竜の咆哮の声真似が死ぬほど上手いとか」

「……? 練習、を、したのかしら」

「さあ……」


 首を捻りながらくるりと回った。

 ナタリアが動きたい方向に体重を移すと、すかさずシュテルはついてきてくれる。そのくせたまにナタリアを軽く持ち上げて遊ぶから、思いがけない動きに笑みがこぼれた。始まる前の緊張は消え失せて、上手く踊れるかなんて考えることもない。

 絵本のダンスシーンを思い出す。幸せそうに微笑みあう二人。パーティーで踊るのはなんて楽しそうなんだろうと子供心に憧れた。

 今ならわかる。二人はダンスそのものだけが楽しかったんじゃない。好きな人と踊るのが楽しかったのだ。

 シュテルと二人なら、綺麗なドレスがなくたってきっと楽しい。でも、シュテルがナタリアのために夢の舞台を整えてくれたからこそ、この場でステップを踏むことが余計に愛おしい。シュテルへの想いとか、シュテルからの気持ちとか、何もかもが重なって、今の瞬間が最高に気持ちがいい。

 ぴいぴいと上機嫌な声と共に女神が上空を飛び回っている。温度を持たない火の粉が降り注ぐが、周りも順応したらしく、誰もが派手な演出を見るような顔をして楽しんでいた。靡くシュテルの赤い髪が炎のようで、火の粉に紛れて目を楽しませる。


 曲の終わりが近づいた。三回は踊るぞと言っていたが、末端とはいえ貴族の身で、さすがにそれは難しい。


「ねえ、シュテル。我儘を言っていい?」

「ん?」


 頬を上気させ、あのね、と笑う。


「私ね、今、世界で一番幸せなの。また、私とこうして踊ってね」


 目をあわせ、赤く染まった鋼色が丸くなる。

 滲むように笑みをはいて、大きな感情を耐えるように低く了承を返す。眇められた目は、涙が出そうなほど優しかった。


「……ああ、何度でも、お前が望むだけ」


 そうしてナタリアの天上にも昇るような幸福の時間は終わってしまった。一礼をしてダンスフロアから退こうと踵を返――そうとしたのだが。


「シュテル……?」


 ナタリアの手を取ったまま、シュテルは移動しようとしなかった。

 周囲が徐々にざわめいた。音楽は緩やかに鳴らされて、次の踊りは始まらない。一体どうしたのだろうと視線を巡らせたところで、とても楽しそうにこちらを見ている王たちと目があった。女神の首根っこが、飛び立たせないようにとばかり、大神官の手で柔らかく押さえられている。

 何かを企んでいる、と察知した。


「ナタリア」


 手を引かれて視線を戻すと、酷く低い位置に端正な顔を見る。

 跪いた英雄に、人々が息を呑む。きゃあ、という高い悲鳴も聞こえた。

 掴まれた手は強く、手袋ごしで感じないはず体温を伝えるようだった。真っ直ぐにナタリアに向かう瞳の強さに射抜かれて、視線を逸らすことが許されない。

 強張った顔で唇を舐めて、彼は熱い息を吐く。


「愛してる。俺の恋人になってくれ」


 何やらざわめきが大きくなったようだけれど、雑音の全てが衝撃で掻き消えた。

 短く、簡潔な言葉だった。美しい装飾はなく、細部を語ることもない。けれど吐息に混じるような儚さではなくホール中に響く力強さで放たれた言葉は、まるで物理的な力を持ったようにナタリアの深い場所を貫いた。

 欲しかったもの。明確な言葉。どうしてこの人は自分の欲しいものを目の前に捧げてくれるんだろう。考えると同時に、これまで明確な言葉が与えられなかった理由に思い当たった。

 大好きだった絵本のラストシーン、お姫様は王子様に愛を請われて思いを繋げた。私と結婚してくれと言われて、お姫様は――。


「――はい、喜んで!」


 花が咲くような笑顔で王子様の胸に飛び込んだのだ。

 不服そうな令嬢たちをよそに会場がワッと盛り上がる。フィーニが降らしたのであろう色とりどりの花をシャンデリアの光が照らした。雨のように拍手が降り注ぎ、星のようなきらきらしい歓声が飛び散った。

 お姫様は涙なんて流していなかったのにナタリアはボロボロに泣いてしまって、嗚咽を耐えるのが精いっぱいだった。震える体を包み込んで、シュテルがあやすように背中を叩く。


「後でたっぷり泣いていいから今は止めとけよ。せっかくの化粧が落ちちまう。それもお前の鎧なんだろ」

「り、リーン商会では、泣いても落ちない水に強いお化粧品を取り扱っておりますので、ぜひ一度お試しください……!」

「うーん、さすがナタリアの鎧。強い……」


 この化粧品を使うよう指示したのは母だから、絶対にこの展開を知っていたのだろう。

 貴重な泣き顔見せるのは駄目だ、と言って一際深く包み込まれた。ナタリアも別に見せたいわけではなかったから、逞しい胸に大人しく顔を埋める。鎧越しの体温をもどかしく感じた。

 小さな頃、綺麗なドレスを着て華やかなパーティーの中心でお姫様が王子様と踊る、美しい夢を見ていた。いつかこんなふうに踊りたいと願い、削れ、一人で踊る夢になった。

 消えてしまったはずの王子様は今、夢見たよりもずっと素敵な姿をしてナタリアの手を取ってくれた。


「じゃ、あと最低二回踊ろうぜ。恋人同士なんだ。いいだろ?」


 涙を拭って見上げると、腫れて熱を持った眦に唇が落とされた。再び受けかけたホールドを、そういえば、と思い出して軽やかに崩す。

 踵を上げ、腕を伸ばす。赤い髪に指を差し入れ引き寄せる。

 女神との盛大なすれ違いでナタリアは深く学んだ。言葉は、大切だと。


「シュテル、好きよ」


 言いそびれていたこちらの想いを確実な言葉で伝え、ナタリアはあの日女神が落としてくれた愛しい流星を大切に抱き締めた。

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