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26.鋼のドレス

 そんなに時間がかかるはずもない距離は、余計なことをしていなければすぐに辿り着いた。

 父と親方はそわそわとした様子で、異常がないかを確認するようにナタリアの全身に目を走らせた。母とロロッカは肩を竦めて男たちを見て。

 ナタリアは、応接室の真ん中に置かれたものに目を奪われた。


「これは……鎧?」


 女性型をした木のボディが、見たこともない鎧を着ている。

 女性のラインを辿り曲線を描く胴。ゴルゲットの鳥の意匠は首飾りのよう。肩当はパフスリーブに似て美しく、上腕までをカバーする。腹を守るフォールドには羽のようなレリーフがちりばめられていた。腰から大きく膨らんだタセットの形は、優雅に広がるスカートのようだが――。

 ふらふらと近寄り、恐々手で触れる。ぽろりと落としてしまったサラダが鎧に口をつけるのを、慌てて親方が拾い上げた。

 武骨さのない外見なのに、感触は確かに触り慣れた鋼だった。

 腰から下の膨らみは、多くの赤い輝きで彩られている。大事に宝箱にしまってある、割れた飾りと同じものだ。すなわち、赤竜の鱗である。


「ドレス……?」

(ドレス)だよ。お前、まだ鎧脱ぐのは怖いだろ。俺が親方に発注して、大まかなデザインは親方が考えた」


 シュテルが持っていた荷物を開いた。

 体にぴたりと添いそうな暗紅色の薄い服。淑女用の手袋は手の甲から前腕を鋼に覆われているが、それもまた腕を飾るアクセサリーに見える。

 頭の中でそれらとドレスを組みあわせようとしても、いまいち形になってくれない。奇抜すぎるせいだ。前例がないから想像力が上手く働かない。

 でも間違いなく、このドレスが美しいのだということだけはわかる。


「俺たちじゃドレスのことはわかんねえからな。詳しいやつがいないかと思ったら」

「敬愛せし流れ星の君のためと聞き、僭越ながら私が監修に立候補させていただきました」

「この女騎士よ……めちゃくちゃ厳しくてよ……腰の絞り方はともかく、裾の羽模様なんぞ何回やり直しさせられたことか……。まあおかげで最高のデザインになりゃしたんだが……」

「この服や手袋の布な、一見普通なんだが、王宮の錬金術師に素材と交換でつくって貰った特殊な糸を使ってんだ。飯屋で羽が降ってきただろ。あれを繊維に混ぜた糸で、魔法防御力がめちゃくちゃ高いし、チェーンメイルくらいには物理性能も高い」

「鎧に主に使っとるのは、赤竜の腹ン中から出てきた隕鉄と鋼を混ぜたモンだ。スカートに組み合わせた羽や鱗との魔力親和性がええからな。万が一もう一回ワイバーンの炎を食らうことがあってもびくともしねえぞ」

「……あのね」


 万が一にももう一度なぞ食らいたくはない。ここにはこういう工夫があってと蘊蓄を垂れる二人の声はあまり耳に入らなかったが、その言葉にだけは反論を返したくて、釘づけの視線をドレスから剥がした。


「ナタリア」


 振り向いて、思っていたより近い場所にいたシュテルに驚く。一歩距離を開けようにも、後ろにはドレスが鎮座していて下がれない。

 あのな、と言葉を切った彼は、しばらく視線をさまよわせた。


「俺はダンスは最高に苦手でな。覚えられないし、リズム感がないし、何よりやる気もなかったからだが……今は無性に踊りたくて仕方がないんだ。ナタリアは得意なんだろ? 悪いが、俺をリードして助けてくれよ――ッ」


 ゴツ、と割と痛そうな音を立てて、シュテルの頭に石が落ちてきた。シュテルの後ろで各々拳を振り上げていた人々が、先を越されたと言わんばかりの顔をして動きを止める。

 流れはよくわからないが、躾はすぐにしなければならない。ナタリアはペットに向けるように虚空を叱った。


「フィーニ様、暴力は駄目です!」

「あー……いや、日和って予防線張ろうとした俺が悪い。やり直す」


 咳払いをして表情を引き締めたシュテルは、今度はその鋼色を真っ直ぐにナタリアに向けた。


「俺と祝賀会に出てくれ。俺の戦果を祝う会なら、俺はお前に祝われたい」


 差し出された手の上には、髪飾りのようなものが乗っていた。

 兜のバイザー部分がティアラのようについており、割れたスタールビーの欠片が丸く磨き直されて側面を飾っている。ここにも流れ星である羽が使われているようだ。

 祝賀会に出る。パーティーでダンスを踊れる?

 告げられた言葉を咀嚼して、じわじわと込み上げる喜びに奥歯を噛み締める。浮かび上がりかけた大好きだった絵本のワンシーンを頭を振って散らした。


「……気持ちは嬉しいけど、行けないわ」


 大神官の説明で女神の事情は理解したが、それはこちら側の話である。未だ流れ星が落ちることは変わらないし、過去に人を傷つけたのもまた事実。皆は変わらずナタリアを怖がるはずだ。

 また、ナタリアを傷つける言動に、女神が怒ることもあるだろう。貴族社会において、一切の陰口をなくすなど無理な話で、きっと騒ぎになるに違いない。


「王の許可は得た。お前が安全にパーティーに出る権利が、俺が望んだ褒賞だ」

「ッ……シュテルの権利を、私のために……!」

「俺のための願いだ。間違えんな」


 どこがシュテルのためなのだと言い募ろうとしたナタリアを、彼の強い眼差しが止めた。

 睨むような、それでいて慈しむような。手の甲に口づけを受けたときより深みを増した鋼の色がずるい。魅入られて舌の根が痺れてしまう。

 二の句が継げずまごついている間に、シュテルは重ねて言った。


「お前が一番喜ぶことをしてやりたい。お前を幸せにしたい。お前の願いを叶えてやりたい。でもこれはお前のためじゃない、俺がナタリアの笑顔を見たいって我儘のためだ」


 納得いかないという気持ちが顔に出ていたのだろう。眉を寄せたナタリアに、彼は小さく肩を竦めた。

 恐らくこれは、何をどう言おうと平行線である。彼は心底自分のためと思っているのかもしれないが、ナタリアはどう聞いてもナタリアのためだと言っているようにしか思えない。実際ナタリアのためなのだ。それが回り回ってシュテルのためでもあると主張されているだけで。

 懸命にも説得は早々に諦めたらしく、溜息を吐いてナタリアの髪に手を伸ばす。反射的に下がろうとした体をやんわりと引き戻し、受け取れずにいた髪飾りを頭に乗せた。太めのヘアバンドほどはあるバイザー状の飾りは、見た目より軽い。


「大神官様と陛下の判つきで、ナタリアの流れ星は女神の祝福だと、ひとまず王都の全貴族に知らせた。流れ星が傷つけるのはお前に害意を抱くやつだけだとも。女神がナタリアを思うなら、無差別な事故は二度と起きないし、やりすぎた制裁もしないはずだ。不名誉な噂を調べて回って、事実無根なものは粗方潰した。誤解から生まれた噂は訂正させた。もし祝賀会に出てくれるなら、当日改めて陛下がお前のことをフォローしてくださる。このドレスで参加することについても許可は得た。他に何か心配事があれば、この一週間で俺が叩き潰してやるから言え」


 節くれ立った太い指を器用に動かし、よどみのない手つきで髪飾りを固定をしながら、こちらの懸念をひとつひとつ丁寧に上げては潰す。

 ぽかりと開いた口をひと撫でして閉じさせ、小さく笑った。


「……よし」


 満足いく出来になったのだろう。髪を弄る手をするりと下ろし、耳の後ろを辿り、指先で首筋を擽り、頬を挟まれて目をあわせる。


「お前の我儘を叶えてやるから、俺の我儘も叶えてくれないか」

 ――鋼のドレスで、俺と踊ってくれ。


 甘く低い声。至近距離で囁くように乞われて否定を返せるほど、ナタリアの自制心は頑強ではなかった。

 ふわふわとした頭で、上下にかくりと首を振った、らしい。にっかりと太陽のように笑ったシュテルの満足げな顔を見て、多分自分は了承したのだなと他人事のように思う。

 おまけに額に音を立てて口づけられ、淑女らしからぬ汚い悲鳴を上げるところだった。


「サンキュー! よろしくな!」

「シュテル様、まだそこまでは許していませんぞ!」

「ハンマー……ワシはどうしてハンマーを置いてきちまったんだ……!」


 その上、人前だったことを失念していた。血液が頭部に集まりすぎて倒れてしまいそうだ。

 ふらついたナタリアの腰を支え、更なる密着にくらくらさせながら、シュテルは突っかかってくる男性陣を上機嫌にいなす。


「最低三回は踊るんだったか? 楽しみだな」

「さっ……三回、踊れって言ったのは回数のことで、同じ人とって話じゃなくて……」

「同じやつとじゃ駄目なんて言われてない」


 当たり前のように言うが、同じ人と三回も踊るなど、深い関係だと公言するようなものじゃないか。

 ……そうだと思って、いいのだろうか。彼は何も言葉にしてはいないけれど、お互いそういう関係になりたいと考えているのだと受け取っても間違っていないのだろうか。

 たとえシュテルが恋愛ごとに鈍感な男だったと仮定しても、何も思っていない女に、妹のような他人に、ここまでのことはしないはずだ。

 しない……はずだ。ナタリアが読んだ物語では、愛しているからこそドレスを贈ったり、心を配っているという描写がされていたはず。でも度を過ぎた妹好きの兄などが出てくると、めちゃくちゃ距離が近かったり恋人かという勢いで世話をしていたりするしな。わからない。考えれば考えるほど。


 眉尻を下げて視線を送ると、どうした、と首を傾げられた。

 今ナタリアが一歩踏み込んだら、好きだと告げたら、色よい返事をくれる?

 見つめあう内、段々とシュテルの顔が焦りを帯びて赤くなった。のどを鳴らす音がする。二人の間で緊張が増し、破裂しそうになったところで、彼の視線が横へと逸れた。

 先走って舌先まで出かけた告白が、胸へと戻るのにホッとする。

 もう少し、もうちょっとだけ後がいい。まだ覚悟ができていない。よくも悪くも、この関係を変える覚悟が。


「んー、甘酸っぱいわぁ。……邪魔しちゃ駄目よ、あなた」

「うう……僕の大事な……娘が……」

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