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21.私の望んだ赤い星

「敵襲――ッ!」


 ガンガンと夕暮れの赤い街に警報が響く。


「竜が来るぞ! ただちに家の中に避難しなさい!」


 王都を守る兵士たちが忙しなく道を行き交い、武器を構えて空を見上げる。顔を上げて腰を伸ばすと、商店街の方から逃げてくる人の群れが見えた。


「女将さんたち、危ない! 端に寄って!」


 兜で篭って聞こえなかったのか、にわかに騒がしくなった通りの喧噪に掻き消されたのか、彼女たちはおろおろと空を見上げたまま動かない。

 慌てて飛び出してマルグリットの前に立った。鍛えた足で思い切り地面を踏みつけると踵が多少地に埋まる。どかどかとぶつかられたが、軽量化されているとはいえ鎧というのは重いのだ。万が一これを害と取られて女神の鉄槌が降り注いだらどうしようかと少々背筋が冷たくなったが、そういうこともなく無事に一陣を抜けてホッとした。


「ナ、ナタリア様、どうして」

「あんた……」


 どうやら二人とも無事のようだ。無防備なところにあの勢いで当たられたら、転がるだけで済まないこともあっただろう。

 ふと、妙にすっきりとした視界に首を傾げて、兜がなくなっていることに気づいた。ぶつかった衝撃で飛ばされたらしい。


「……ねえこれ」


 まさかそのまま蹴り飛ばされて行方不明になってはいまいかと血の気が下がったが、マルグリットの友達がおずおずと差し出してくれて安堵する。


「よかった、ありがとうございます」

「いや…………あの、助けてくれて、ありが……」


 耳をつんざくような叫び声が轟いた。身の毛がよだつ、恐ろしい声。バサバサと風を打つ羽の音も。

 上空高くに何かが飛んでいる。見る間に点は大きくなって、正体はすぐに知れた。


「どうして……竜が……」


 ワイバーンは夕焼けに赤く染まり、傷ついた鱗を艶めかしく輝かせてこちらを見ていた。怒りに燃える目に射抜かれて、間違いなく竜がナタリアを見ているのだと直感する。


「ナタリア様、どこへ!?」

「二人は逃げて! 私を狙ってる!」


 あと一頭、と武器屋の人は言っていた。きっとあれがそうなのだ。軍隊に追われた逃げ出した生き残りの竜――鎧の騎士たちを憎んでいるだろう、手負いの竜。

 そう遠くない背後からガチガチと牙を打ち鳴らす音がする。どこへ逃げればいいんだろう。いくらナタリアが体を鍛えていると言っても、鎧を着たまま長くは走れない。

 たまに兵士が放つ矢や魔法が頭上を飛んでいった。街中では効率的に攻撃できないのだろう。竜は一瞬怯むのだが、致命傷には程遠いようで、さらに怒りを高めて追ってくる。


 恐怖に浮かぶ涙で前が見えにくい。拭うだけの余裕はなく、無我夢中で駆け、知らぬ道をただ進む。

 体力の限界が来るより先に、竜の吐いた火球の爆風に背を押されて転がった。場所は皮肉にも神殿の前。親方の鎧はさすがのもので、顔以外は熱さをほとんど感じなかった。

 乱れて地面に散った淡い金の髪は、毛先が少し焦げている。夕日を受けて赤く染まって、まるでシュテルの髪みたいだと小さな現実逃避に耽った。


「ひっ……」


 上体を起こし、よろよろと顔を上げると、爪を立てて急降下してくるワイバーンの姿が目に映る。

 顔さえ庇えば鎧が弾いてくれたかもしれない。けれど恐怖に負けて動けず、ナタリアは目を離すことさえできずに震えて歯を鳴らした。


「女神様、めがみさま」


 たすけて、と呟いた瞬間に思ったのは、女神の神像ではなくシュテルの顔だった。

 これを走馬灯と呼ぶのだろうか。共に過ごしたのはそう長くはない時間だけなのに、心に深く刻まれた人。様々な表情が浮かんでは消える。ナタリアと呼ぶ、低く優しい声を思い出す。

 もっと一緒にいたかった。期限なんてなく、できればずっと。叶うことなら……一生。


「助けて……――シュテルッ!」


 途端、上空が輝いた。

 星が落ちてくる。真っ赤な色をした流れ星が。

 赤い星は瞬く間に竜の背を貫いた。断末魔が響き血が飛び散る。重い音を立てて地面に落ちて、竜の図体の分だけひび割れをつくった。

 全身を赤く染めた星が、鋼の瞳に焦燥を乗せてナタリアに向いた。鎧の下まで見通せそうな強く直線的な眼差しは、涙に潤んだ目でもよく見えた。


「ナタリア!」

「シュテル、……シュテル!」


 駆け寄る大きな体を縋りつくように抱き締める。すぐに長い腕に包まれて、安心感が体を温めた。ここは安全な場所だとわかる。生きているのだと実感する。


「無事でよかった」

「こっちのセリフだ。驚き過ぎて死ぬかと思った……」


 耳元で吐かれる大きな溜息がくすぐったくて身を捩ると、カラカラと硬い粒が落ちるような音がした。

 なんの音だろう。一旦体を離そうとするが、シュテルの腕の力が緩まない。仕方なく首を伸ばして地面を確認すると、砕けた赤い石の欠片が落ちていた。


「赤い石の欠片……?」


 ハッとして腰元を確認する。

 あるはずの装飾がない!


「シュテル、鎧の飾りが割れちゃった!」

「あ?」


 ようやく解放されて腰を捻るが、やはりない。結わえた紐だけが虚しく風に揺れていた。

 ショックを受けつつせめてと欠片を拾うと、鎧飾りにしては少々色味が違うことに気づく。


「……これ、貰ったのじゃなくて、もしかしてシュテルにあげたお守りかな?」

「は!? ……あ、ない!」


 嘘だろ、と叫ばれてもどうしようもない。砕けた欠片を手のひらに乗せ、悄然と肩を落としてしまった。不謹慎だが少し嬉しい。そんなに惜しんでくれるだなんて。

 ではナタリアの飾りはと探してみると、もう少し手前の焦げた地面に落ちていた。


「……おい、これ……?」

「火を吐かれて、吹き飛ばされたときに割れちゃったのかしら」

「火? 怪我ないだろうな!? ああ……毛先が焦げてるじゃねえか……俺の髪が……」

「私の髪よ」


 欠片を拾いにくいので髪の検分は後にして欲しい。

 砕けてなお煌めく、鎧飾りだったもの。親方の鎧の性能ばかりではなく、きっとこの美しい鱗がナタリアの身代わりになってくれたのだろう。

 バラバラと駆けつける兵士たちは、シュテルの姿に驚きつつもすぐにワイバーンの遺体を取り囲んだ。さすが英雄と感心する声が聞こえて、他人事ながら自慢に思う。そう、シュテルは凄かったのだ。一撃で竜を仕留めて、よろけることもなく着地して。

 そういえば、と首を傾げる。全身に浴びた竜の血を水の魔法で流していたシュテルが顔を上げる。


「シュテルは瞬間移動でも使えるの?」

「そんな御伽噺みたいな魔法使えるかよ」


 そんなに呆れなくてもいいじゃないか。水を出すことだって凄いと思うナタリアにとって、魔法とは未知の領域なのだ。


「……お前、お守りに何か願ったか?」


 考える仕草を見せたシュテルが、思いついたように逆に問うてきた。


『女神様、どうかシュテルを助けてください。怪我をしませんよう、無事に帰ってきますよう、彼の望みに添いますよう……』


 そう、確かそんなことを願ったはずだ。最初はシュテルの無事を祈ったが、シュテルだけが無事だと彼が気に病むのではないかと思い、とにかくシュテルのいいようになれと。

 それだな、と彼は納得を示した。

 仕留めそこない逃げたワイバーンが王都に向かうのを見て、シュテルは真っ先にナタリアの身を案じたと言う。必死で馬を駆けさせながら、万が一ナタリアが危険な目にあうのなら、自分が間に合うようにとひたすらに。


「俺の望みに添うように。それがナタリアを助けさせてくれたんだろうな」


 そうだよとでも言うように、コツコツと石が落ちてきた。薬になる薬草や、髪にいい木の実なども。

 神殿を見上げ、ぽろぽろと落ちる涙をそのままに、深く深く礼をした。

 自分は嫌われてなんていなかった。心の底からそう思った。沁みついてしまった恐怖感ゆえ、今すぐにはこの鎧を脱げずとも、いつか必ず生身で歩ける日が来るだろう。


「シュテル、私ね、ずっと不安に思っていたことがあってね……」


 嗚咽の合間の言葉はさぞや聞き取り難かっただろう。引かれるまままに厚い胸に頬を寄せて、優しく髪を梳かれながら、誰にも言えなかった秘密を囁いた。

 両親にだって、ましてや女神にだって言えなかった呪い。女神に嫌われているのではないかという、今は過去となった懸念を。


 ――愛されていた。女神は確かにナタリアを愛してくれていた。


 だって、女神はナタリアの危機に、何より愛しく恋しい、赤い流星を落としてくれたのだ。

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