20.嵐の前
ワイバーンの討伐は時間がかかった。
相手は空を飛ぶ敵であり複数だ。初撃で飛行を封じなければ逃げられることもあるし、目撃情報を得てから急行しても、到着した頃にはいなくなっていたりもする。
辺境伯領では、あまりワイバーンを掃討しようとしたことはないらしい。害になれば討伐はするし、人里近くに巣をつくれば駆除はするけれど、逃げるならそのまま逃がすのが普通だと言っていた。遠くのワイバーンを一掃するくらいなら、近くの魔物をどうにかするとのことだ。
しかし今回のケースは王都周辺。目標は掃討である。
「目撃情報によれば十頭だったか。……一か月で残り二頭ってのは快挙だな」
赤竜の鱗を丁寧に削りながら親方が言うと、閑古鳥の鳴く店から店員が鍛冶場にやってきた。騎士たちが討伐に出ているため、魔物は全体的に姿を消している。冒険者たちの武器需要がないのだ。
「あと一頭っすよ。今連絡入りました。そいつも手負いだとか」
「そりゃすげえな。もうすぐ帰ってくんじゃねえか」
赤い粉がついた手でナタリアの髪をわしわしと乱すと、頭の上にサラマンダーが落ちてきた。
羽毛とツノを持つトカゲの一匹は、いつの間にか小さな羽が生え、少し飛べるようになったらしい。親方によると、過去にはすべてのサラマンダーに羽が生えていたという仮説があるようだから、急速に高エネルギーを蓄えたために起きた先祖返りではないかとのことである。
別のサラマンダーの背を探ると、確かに少ししこりがある。問題があれば己の意思で勝手にいなくなるそうなので、悪いことではないらしい。
頭をペロペロと舐められながら、もうすぐ帰ってくるかもしれないシュテルに思いを馳せた。
「元気かしら……」
「怪我したとは聞かんし、あんなもんに後れを取るようなヤツでもねえだろ。単純に面倒なんだアイツらを倒すのは」
「シュテル様、地の利もないですもんねえ」
そうか、彼は王都周辺の地理には詳しくないから、あたりをつけることも難しいのか。
しかし親方が絶賛する速度で成果をあげているということは、王国軍と上手く連携が取れているのだろう。この調子で残り一頭も片づけることができるといい。
王都は、竜が出たと知らされてから一週間ほどはゴーストタウンのようだった。
もしかしたら竜が王都の中心に現れるのではないかと皆が家から出ることを怖がり、通りから人が消えた。王国軍人の家族の中には、竜との戦いと聞いて、心配のあまり倒れる人もいたらしい。
赤竜等の色つき竜が桁違いに強いからかすみがちだが、竜とは本来、色なしであれど魔物の中でも上位者なのだ。雑魚のような扱いをする辺境伯軍や親方がおかしいだけで。
とはいえ人は慣れるものだ。快進撃を続ける軍の討伐情報と、何も起こらぬ日々。段々と王都は日常を取り戻していった。
ナタリアもまた同じく、家では仕事をして、たまに親方の店に訪れる日常に戻った。いつまでも甘えて引き籠っていては、家に来てまで元気づけてくれたシュテルに申し訳が立たない。
最初の数回はやたらと背後に気を配ったが、鎧飾りを取ろうとぶつかってくる人はおらず、こちらを嫌悪する人にも会わなかった。むしろ、安心したように笑顔になる人がいて不思議に思う。
「ナタリアちゃん最近いなかったから、心配だったんじゃないです? ほら、公園のベンチにいつも座ってる人がいなかったりすると、なんかあったかなって思うような」
「ああ……」
そうだとしたら少し嬉しい。話したこともない人が、悪い意味ではなく気にしてくれているなんて。
「……もし嬢ちゃんが顔を晒して歩いたら、ソイツら大騒ぎだろうな」
「よく見る鎧が美少女顔になるんだから、そりゃもう」
「どうしたの急に」
拗ねたような顔をしておかしなことを言い出すから、笑うか呆れるかを迷ってしまう。
眉を下げてナタリアは笑った。
「兜は取らないわ。……取れないわ。まだ怖いもの」
女神はきっとナタリアを傷つけない。わかっていてもまだ怖い。
兜は取れない。鎧は脱げない。防御力を落とせない。少なくとも、針のように突き刺さった疑念が晴れるまでは。
親方は表現し難い顔をした。それより随分厳ついが、父がシュテルを薦めたときの顔になんとなく似ている気がする。
一体何を言いたい顔なのかと考えていると、露天を閉める時刻を知らせる鐘が鳴った。
「いけない、そろそろ帰らないと」
なおも頭を舐める精霊を親方の頭に移し、手伝って貰いながら鎧を着る。
「じゃあ、また来るわね」
「気ぃつけて帰れよ」
「またのご来店をー」
随分と長居をしてしまった。今日の親方は火を使わずにずっと鱗を削っていて、話につきあってくれたのだ。邪魔なら邪魔と言ってくれるのが彼の優しさなので、作業の妨害をしたわけではないと思いたい。
やや早足に帰路を進んでいると、曲がり角に食事処の女将、マルグリットを見つけた。同じ年代の女性と何やら話をしているようだったので、挨拶をするか迷って足を止める。
初対面の人がいるのに突然声をかけたら、最悪悲鳴を上げさせてしまうかもしれない。マルグリットや店の客は剛の者であったから受け入れてくれたけれど、大多数は今まで通り、ナタリアのことが怖いのである。
やはり止めておくのがいいだろう。見つからないように別の道から帰ろうかと踵を返しかけたが、以前のように騒ぎになる恐れがある。少々怪しいものの、しばらく物陰に隠れていようと道の端に身を寄せて。
「流れ星の君がいい子だって? 知らないよ。本人がいい子だろうが、あれは歩く災害じゃないか」
聞こえてきた高い声に苦笑した。
「災害なんて言うんじゃないよ! うちにいる間、流れ星は一度も店も客も傷つけなかったんだからね!」
「偶々じゃない? あんただって見たでしょう。私たちには当たらなかったけど、たくさんの人が流れ星にやられたんだ。それに、店の外では怪我させたって聞いたよ」
「昔のは……わからないけど、店の外でやられたやつは、あの子に悪さをしたからで」
「悪さねえ。何を悪さと取られるやら」
……声をかけないでよかった。気まずい思いをさせてしまうところだ。
恐らく相手の女性が、一緒に流星雨の現場を見たという人なのだろう。二の腕を抱いて震える様子からは、記憶の中の光景を未だ強く恐れているのがわかる。
それが普通なのだ。あの凄惨な現場を見ていなくても普通の人は石が落ちてくると聞けば怖いし、現場を見ていればひとしおである。ナタリアがこうして出歩けるのは鎧で防備しているからで、そうじゃなければ外には一歩も踏み出せない。
王の言葉と、リーン商会の知名度、それから人々の善性がゆえに面と向かって非難されていない。それをいいことに武器屋と家を往復することだけはと出歩いているのだが、出歩いているだけで恐怖を与えていることについては申し訳なく思っている。
だから友人と仲違いをしそうになってまで、ナタリアを庇うのは止めて欲しい。
「あの子は……あんたの子と同じくらいの、女の子なんだよ……」
「……聞きたくないよ。話がそれだけならもういいね」
後ろめたそうに視線を外した女性が、マルグリットを置いて歩き出す――こちらに向かって。
慌てて逃げ場を探せども身を隠せそうな場所はどこにもなかった。膝を抱えて蹲り、鋼の塊に擬態する。どうか粗大ごみの一種だと思って欲しい。もし気づいても見なかったことにして欲しい。今顔をあわせるのはあまりにも、あまりにも気まずい……!
祈りは全く叶って欲しくなかった方向に届いたようだった。




