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17.襲来

 そんな平和な充填期間に、とんでもない爆弾が持ち込まれた。


「竜の群れが出た!?」

「そうなんだよ。色なしのワイバーンのようでね。そう強くはないんだが厄介な敵だ」


 仕事部屋に知らせを持ってきてくれた父が眉間を揉んだ。

 ワイバーンは空を飛ぶことを好み、群れをつくることが多い竜だ。移動が速いため出現する場所が絞りにくく、的に当てにくいので討伐が難しい。緑、青、赤、黄、白に黒。特殊な色を持つ竜は特別強くなるから、そうではなかったことだけは不幸中の幸いだった。

 シュテルは祝賀会の予定が立たなかった理由を、辺境伯領から王都周辺に魔物が流れて来たからだと言っていた。恐らくはワイバーンも赤竜の脅威に追われた一員なのだろうが。


「王都の騎士や兵士は、竜との戦いに慣れていないのよね……?」

「うん。王都付近は長らく平和だったからね。シュテル様方が戦闘訓練につきあうことで、いくらかはノウハウが伝わったらしいんだが、まだ戦法に組み込めているとは言いがたいな」

「そう、よね」


 嫌な予感がして、恐る恐る父の表情をうかがう。返ってきた苦笑に血の気が引いた。


「お察しの通り、シュテル様および辺境伯軍の方々が主導することになったそうだ。とはいえ、こちらに来ているのは主だった方だけだから数が少ない。王国軍も勿論同行するみたいだよ」

「そんな! ……いえ、適任……なんでしょうけど……」


 これ以上ないほどの適任だ。なんせ人類最大の脅威とも呼ばれる赤竜を倒した英雄なのだから。

 獰猛で、生物と見れば息をするように喧嘩を売ってくる、圧倒的な攻撃力を誇る血の気の多い赤竜。それに比べれば色なしのワイバーンなどたいしたことはないのかもしれない。戦いにくくても、群れであっても、辺境から赤竜一匹に適わず逃げて来たのであれば尚更。

 ああ、でも、赤竜との戦いで負った怪我は、もう完璧に治ったのだろうか。まだ少しくらい痛むことは? 赤竜の戦いでも、決して無傷の勝利ではなかったのだ。ワイバーンがたいしたことがない相手だとしても、無傷で終わる保証はない。

 ナタリアは戦いを知らない。人が傷つく様子しか。いくらシュテルが強いと聞いていても不安は拭い切れないし、細かい想像もできない。

 机の上のお守りを握り締め、俯いた顔を上げた。


「出立はいつ?」

「辺境軍としては生息が発覚した早朝には出立したかったようだが、王国軍が足を引っ張って遅れている。昼すぎに出るそうで……ナタリア、僕は今から王城まで道具の納品に行くんだが、一緒に行くかい? 許可は得ているよ」

「邪魔にはならない?」

「ぼくは娘をこの上なく愛しているけど、仕事の邪魔をさせるほど盲目じゃないさ」


 ナタリアの言いたいことなどお見通しだとばかりに微笑まれ、力強く頷いた。

 いくら自分が不安がっていても、竜は存在しているし、シュテルは戦いに出る。それならいつまでも引き籠っていないで、できることをしたいと思う。

 一歩も動けず、親方に助けて貰うまで外に出られなかった幼いナタリア。今のままではあのときと同じではないか。ひとつも成長しないまま一生蹲っていたくなどない。

 まあ、できることと言っても、ナタリアにできることなどほとんどないけれど、とりあえずお守りくらいは渡したい。精霊と女神から賜った素材でつくったのだ。少しくらいは奇跡の恩恵にあずかれるはず――あずかれたらいい。


「待ってて、甲冑取ってくる!」


 気合いを入れて廊下を走るナタリアを追従するように、ひらひらと花弁が落ちる。まるで応援してくれているようだと思いながら、すれ違った使用人に謝罪の視線を投げた。

 廊下の掃除をよろしくお願いします。いつもの床の傷やへこみよりは簡単なので許して欲しい。


「行ってきます、お母様」

「ナタリア、いってらっしゃい……ひとつだけ、いいかしら」

「なあに?」


 呼び止められて振り向くと、穏やかに笑んだ母は無造作に爆弾を投げてきた。


「うちは男爵家だけれど、しょせん一代貴族よ。商売は信頼できる人に任せればいいのだし、家を継ぐとか考えず、あなたの好きに生きなさいね」


 気をつけてとかシュテルによろしくとか、そういう言葉がかかるのだとばかり思っていたから反応が酷く遅れた。

 顔を引き攣らせてなんとか声を絞り出す。


「き、気が早いわ、お母様……」

「そうかしら。先に言っておかないと、あなたはうっかり諦めそうだから」


 ころころと笑い声を上げてウインクを投げる母には、色んな意味で敵わない。

 そうだとも違うとも言えず、迷いに迷った挙句、選んだのは逃亡だった。行ってきますと再度言って、父が待つ馬車へと駆け出した。

 さすがの父も気を張っているのか口数が少ない。

 張り詰めた空気の中、ナタリアはお守りを握り女神に祈る。


「女神様、どうかシュテルを助けてください。怪我をしませんよう、無事に帰ってきますよう、彼の望みに添いますよう……」


 髪に乗り、肩に乗り。返事をするようにまたも舞い降りた花弁に、強張る顔がほのかに緩んだ。


『本当は、誰より女神に嫌われてるんじゃないの?』


 幼いナタリアの心に打ち込まれた一言は、未だ根を張る呪いとなって残ってしまった。ふとした瞬間に不安に駆られ、縋るように女神に祈ることは多い。

 でも、女神に嫌われていると頑なに思い込んでいるわけではなかった。嫌われている「かもしれない」を完全に否定できないながらも、自分は女神に愛されているのだろうと半ば確信している。


 まるで喜怒哀楽を表すように流れ星は降り注ぐ。

 ナタリアに向けての流れ星は、人間にとって価値のあるものが降る。前触れもなく、突拍子もなく。あるいはナタリアが落ち込んでいるのを慰める際に。あるいはナタリアの高揚につられるように。

 シュテルに向けて降ってきたのは、女神への不敬を働いたときだったと思う。それから、頬をつままれたときには抗議するように木の葉が降ってきたのだっけ。ピクニックのときの木の実は、近かったけれど当たりそうな距離ではなかった。

 外で誰かのそばに落ちたのは、ナタリアが気まずい思いをしているときだ。警告をするように小石などが落ちて接近を拒む。

 誰かに手酷く当たるのは、ナタリアに害があると思われるときだ。


 ナタリアに流れ星を降らせる女神は、もしかしたらとても、人間臭いのではないだろうか。

 侍女はナタリアからものを盗み、攻撃をして怪我をさせた。だから天罰とばかりに流れ星で打ち据えた。

 その後の騒動は少しあやふやだ。ナタリアに対して悪いことを考えて寄ってきたからと、あれだけ大規模に星を降らすのはやりすぎである。

 興奮をしていたのではないだろうか、と今になって思う。怒りのままに侍女を打ち倒し、興奮冷めやらぬところに人が集まってしまった。冷静さを失って、これもあれも敵だと攻撃をしてしまうことは、感情の育ち切らない未熟な人間であれば普通にあるだろう。

 この国を長く庇護する女神が? と考えるといまいち納得し切れないが、苛烈な神であるというし、そういうこともある――かもしれない。


 とにかく、嫌いだから孤立させようという陰湿な理由でナタリアの周りにものを落としたと言うには、いささかナタリアに過保護であると思うのだ。

 もしナタリアを愛するがゆえに過保護であるなら、できればその恩恵を大事な人にもわけてあげてはくれないだろうか。お守りに強欲に祈りを込めると、一瞬、赤い石が輝いた気がした。

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