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15.赤い星が落ちる夢

 ――夢を見た。忘れられないあの日の夢を。


 カン、と音が鳴る。生まれてからずっと聞いてきた馴染みの音に、幼いナタリアはきょろきょろと音源を探した。

 いつも落ちてくるものを、母は女神様からの贈り物だよと言った。落ちてくるなんて流れ星みたいねとも。

 当時の流れ星は、今よりもっと頻繁だった。周りを囲うようにバラバラと降り注ぐこともあったし、人がいるときほど多くのものが落ちてきたように思う。

 今見つけたのは綺麗な石だ。それから、よく落ちてくる手みたいな形の面白い葉っぱ。


「めがみさま、ありがとう!」


 拾い上げて、意気揚々と両親に見せに行く。


「これは……うん、綺麗だね。とても素晴らしいものだ。宝箱に大事にしまっておきなさい」

「うん!」

「ナタリア、一緒に落ちてきたこちらの葉っぱは人にあげてもいいかい? 必要としている人がいるんだ」

「うん、いいよ!」


 幼子にものの価値などわからない。ただ綺麗なものを集めて、たまにニコニコと眺めていれば幸せだった。

 ナタリアの世界は家の中が全てだった。大きな家に、広い庭。優しい両親と、親切な使用人。たまにどこからともなく落ちてくる小石や草花。高い塀の向こう側がどうなっているのかなど想像したこともなければ、そもそもその向こう側に世界が広がっていることすら知らなかった。

 母の手拍子にあわせて体を動かすのが好きだった。父がナタリアを持ち上げてくるりと回ってくれるのが幸せだった。

 華やかなパーティーの中心でお姫様が王子様と踊る、美しい絵本が好きだった。いつか自分もそうして踊りたいと笑って、日々を緩やかに過ごしていた。

 ものが壊れるのは一瞬だ。その日、ナタリアの流れ星は初めて人を傷つけた。


「なにしてるの?」

「っ!」


 声をかけたのは、縮こまって庭を歩く侍女を不審に思ったからじゃない。ただ何をしているのかと疑問を覚えただけだった。

 彼女はとても元気な人で、はっきりとしたところが好きだった。仕事が雑だと母がこぼしているのを聞いたことがあるけれど、風を起こす魔法が使えるからと重宝もしていたようだ。

 弾かれたように振り返った侍女の手には、ナタリアの宝物がたくさん握られていた。女神様から貰った流れ星。大事にしまっておいたのに、どうして彼女が持っているんだろう。

 動揺に塗れた顔をした侍女を不思議に思った。首を傾げながら近寄ろうとしたナタリアを、彼女は風の魔法で吹き飛ばした。動揺が効果に現れたのか、それとも傷つける意図があったのか。ところどころを切り裂かれ、血を流して尻もちをつく。痛みにじわりと涙が湧いて。


 ――流れ星が、落ちて来た。大きくて、炎を纏い、真っ赤に焼けた鉱石が。


「ああぁあぁぁっ!」


 侍女の肩を打ち、うつ伏せに地面に縫い留める。倒れて砕けた肩を押さえる女に構うことなく石の雨は降り注いだ。

 目の前の光景が、響く悲鳴が怖くて顔を覆い蹲る。

 何が起きているのかわからない。体が痛い。何もかもが恐ろしい。


「なんの音だ……な、なんだこれは!?」


 ボロボロと涙を流していると、いくつもの足音がした。人の声に顔を上げる。

 ナタリアを見て、駆けつけた両親は顔色を変えた。転げる勢いでナタリアに寄り添った母が、今にも泣きそうな顔で頬をなぞる。ピリリと痛みが走って、そこに傷があるのだと知った。


「ナタリア、痛かったわね。もう大丈夫よ」

「一体何があったんだい? 流れ星と……それから、魔力の痕跡があるが……」


 父はナタリアの身を心配しながら、酷い怪我を負った侍女の介抱を使用人に命じる。

 つられて視線を向けると、すでに流れ星は止まっていた。そこらじゅうにたくさんの小石が散らばっている。まさかこれが全て彼女に当たったのだろうか。


「なにしてるのってきいたら、わたしのたからもの持ってて、まほうを使って……そうしたら大きいながれぼしが落ちてきて、あたって……」


 両親が険しい顔をした。使用人は怯えた顔をしてナタリアから一歩離れた。

 仰向けにされた侍女から、きらきらと光る宝物たちが転がり落ちる。


「よりによって女神様の恩寵を盗んだのか」


 父の吐き捨てるような低い声を初めて聞いた。

 捉えろ、と鋭く命じられて、介抱にあたっていた使用人が拘束へと転じる。痛い、と悲鳴が響いて身を竦ませた。母の胸に全力でしがみつく。


「いたあい! やめてよ、やめ、やめろってんのよ! 少しくらい貰ったっていいじゃないのさ、そこの化け物の面倒みてやったんだから!」

「黙れ、大人しくしろ!」


 明るく笑っていた侍女と彼女は、本当に同じ人物なのだろうか。

 どろりと頭から流れた血が顔を赤く染めている。そこかしこにできた傷のせいだけではない醜悪な顔で、女は怨嗟を吐き出した。


「何が女神の恩寵だってのよ! 見なさいよこの傷、あんたのせいよ。あんたのせいで物が落ちて、あたしは傷つけられたのよ。人を傷つけるのが女神の恩寵だなんて笑っちゃうわ! あんたが家から出られないのは、あんたが化け物だから。悪霊憑きの化け物だからよ!」

「何してる、早く口を塞いでくれ!」


 小さな耳を塞ぐ母の手は、甲高い声を遮断することはできなかった。

 逃げることができないと悟った女は、大怪我をものともせず、ただ人を傷つけるためだけに笑い、言葉を連ねる。金に目が眩んだ己を棚に上げて。


「あんたの女神様は、あんたを家に引き籠らせたいってさ! ……ねえ、それってさあ」

「黙れ、盗人が戯言を」

「本当は、誰より女神に嫌われてるんじゃないの?」

「あなた、なんてこと――!」


 ……女神様が、ナタリアのことを嫌い? でも、いっぱい贈り物をくれているのに。

 呆然とするナタリアの前で、親切にしていてくれた侍女が地面に叩きつけられた。激昂した母が、顔を真っ赤にして女に駆け寄り頬を打つ。

 地面に転がる宝物。血と土に塗れて、あんなに綺麗だったのに、いまは路傍に転がる石のようだった。

 口を塞ごうとする手に更に嚙みついて、侍女はナタリアには理解できない言葉を喚き散らした。

 ばけもの? あくりょう? わからない、知らない。

 委縮するナタリアの前で、またも拳ほどの石が――女神の贈り物が女の腕を直撃した。

 濁った悲鳴が怖くて、思わずナタリアは逃げ出した。


 不幸だったのは、騒動の場所が門の近くだったこと。騒ぎに駆けつけてしまい、門番が不在であったこと。

 リーン家は大富豪で有名だった。顔を出すのは男爵と男爵夫人で、娘がいるとは言われていたが、誰も目にしたことがない。

 だから、敷地から駆け出してきた身なりのいい娘は大層な注目を浴びた。一目でわかる怪我をして、手入れの行き届いた髪と高級そうな服を乱していたのも原因のひとつだっただろう。

 小さな娘がいかにも何かあった様子で出てきたことを心配する視線はよかった。けれど大富豪の娘に取り入ろうとする邪な目は駄目だった。

 猫撫で声で寄ってきた一人の男。ナタリアが怯えたのを引き金にして、惨状は再び訪れた。


 鉱石が雨霰と降り注いだ。まさしく流星雨と呼ぶにふさわしい有り様だった。悲鳴が飛び交い、血が流れ、人が倒れる。幸い死者や重傷者は出なかったと後で聞いたが、だからなんだというのだろう。


「助けて」

「痛い」

「どうして」

「あの娘が出てきた途端」

「化け物」

「化け物!」


 聞いたばかりの単語が再び降り注ぐ。ナタリアに流れ星はひとつも当たらなかったが、幼いナタリアにも理解できる悪意は、激しい痛みを伴ってナタリアの心臓を貫いた。

 すぐに両親が騒ぎをおさめてくれたようだが、初めての痛みに耐えるナタリアの目には何も映らず、耳には何も届かなかった。


 外を知ったその日から、外が怖くて怖くて堪らなくなった。部屋に籠って、庭にすら出なくなった。

 リーン家の娘は危険だと噂が流れた。家から使用人の大半が消えた。残ってくれた使用人も遠巻きになった。両親は変わらなかったが、もしかしたら彼らはナタリアを疎んでいるのではないかと不安にかられ、真正面から顔を見ることが難しくなった。誰かに近づくのが怖くなった。

 流れ星が落ちてくるたび、自分にも当たるのではないかと身を竦ませるようになった。赤い流星に身を焼かれた侍女。石の直撃を受け倒れた人々。石が落ちてくることが段々と減り、ひらひらとした軽いものが落ちることが増えたが、以前のように無邪気に喜ぶことはできず、落ちてきたものは全て両親に任せるようになった。


 どうして流れ星が落ちるのだろうと、初めて疑問を覚えた。

 両親は言う。女神がナタリアを愛しているからだと。本当にそうだろうか。それならなぜ、危険な渡し方をするのだろう。贈り物は人を傷つけた。一度ならず二度までも人を傷つけたのだから、次がないとは決して言えない。いつくるとも知れぬ次を恐れて、人はナタリアを遠ざけるはずだ。

 女神はナタリアのことを嫌っていて、だから孤立させようとものを投げつけるのだとしたら……でも、落ちてくるのはとても価値のあるもので、そんなものを嫌いな人に渡すだろうか?


 ――赤い流星、女神様。どうか私を、私のことを、嫌いだなんて言わないで。


 悩んで、悩んで、熱まで出した。

 夢を見た。華やかなパーティーの中心で、お姫様が王子様と踊る美しい夢だった。瞬きをした途端、王子様の姿が消えた。お姫様は長い髪を靡かせて、白磁の肌を赤く染め、一人で美しく踊る。

 消えてしまった王子様の姿は、待てど暮らせど戻らなかった。

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