28 何時か来る終焉:上
『後はこれだけだな』
「……一先ず、こいつをぶっ壊して消えるかどうか試してみるか」
空いた孔をどうやって塞げばいいのかは分からない。
だが、通常有り得ないものが存在するにはエネルギーが必要だ。
それを供給している可能性があるのは、この孔の奥から送られてくるエーテルか。
或いはライテラを動かすスタルトのリアクターかである。
『任せろ。この様な木偶。一撃で塵に変えよう』
やる気満々のエーデルワイスに苦笑を漏らす。
仁としてもこんな目障りな物は一撃で破壊したいと、長剣を構える。
そこで澪からの待ったがかかった。
『本当に良いの?』
これを壊してしまって。
令との再会を諦めてしまって。
そんな思いが込められた言葉。
何から言えば良いのか。何から伝えれば良いのか。
言葉に迷う仁。そこへエーデルワイスの声が投げかけられる。
『ふう』
溜息。
電子音声で溜息ってどういう事だと突っ込むよりも先にエーデルワイスがコックピットハッチを解放した。
「お、おい」
いきなりの行動に意図を掴めず、仁は戸惑う。戦いが終わったからさっさと降りろという事かもしれない。
『我は彼の賢人から聞いたぞ』
それってもしかしてシャーリーの事かと突っ込むよりも先に。
『人と話す時は顔を見るのだろう』
そんな当たり前の事を言われて仁は笑った。心の底から笑顔を浮かべた。
「エーデルワイス」
『何だ』
「お前と会えて良かったよ」
『こちらこそ、だ』
この戦いの間、濃密な時間を過ごした戦友にはその言葉で全て通じた。
尽きぬ感謝を告げて、仁はコックピットから姿を晒す。
エーデルワイスが意を酌んで、澪へと歩み寄った。差し伸ばされた手に飛び乗って、澪の元へと運ばれる。
「お前は俺の幸せを奪ったって言ってたな」
『……うん』
「逆だ」
もう得られない筈だった物を与えて貰ったのだ。
誰かと一緒に過ごして安らぎを得るなんてもう無いと思っていた。
仁を人間にしたのは間違いなく令だ。
だがその後、仁を人間に押しとどめたのは澪だ。
「俺はお前に会えて、これまでの八年間幸せだったよ」
それを失った事に気付いた時。
澪がいなくて令が居る世界。
その欠落感で漸く分かった事だから仁としても赤面物だ。
「それに帰ってくる場所なんて無いって言ったな」
『……うん』
「落とし物だ。これ無いと、お前家に入れないだろ」
澪が押し返してきたキーホルダー付きの鍵を指先でぶら下げる。
「将来の事は分からないけど……今、お前が帰ってくる場所はまだ俺達の家だ」
『でも、あそこは令さんと暮らす筈だった場所で――』
「それが気に入らないって言うなら引っ越すか」
『違……そうじゃなくて』
わざとズレた事を言う仁に澪が慌てる。
『私みたいな偽物が居ていい場所じゃないよ……』
「偽物なんかじゃない」
きっぱりと仁は言い切る。
「今の俺にとって、娘は澪一人だけだ。そこに本物も偽物も無い」
それは誰にだって否定はさせない。
もしも澪が親子関係なんて解消したい。縁を切りたいと言うのならばまた別の話になるが。
そうでないのならば澪にだって否定はさせない。
少しだけ口調を和らげて。
「なあ。顔見せてくれよ。こんなに長い事離れていたことが無いから落ち着かない」
あの日、第三船団の倉庫で決別した日から仁は澪の顔を見ていない。
それまで三日と離れた事が無かったのに急に長期間も離ればなれとなって。
顔が見たくて仕方がない。
そう促してもすぐには澪も動かず。
ダメかと諦めかけたところで澪の本体のハッチが開く。
何故だか慌てた様子の澪。
「とーや君何で開けるの!」
「むしろ何でお前は引き籠ろうとしてんだよ」
「澪の身体なのに何でとーや君の方が動かせるの!」
「さあ? お前の潜在意識はそう望んでるからじゃないか。良いから。親父さんとこ早く行けって」
ハッチが閉じない事を諦めた澪は、バツの悪そうな顔でおずおずと出てくる。
仁としては守に勲章を上げたい位だ。
「酷い顔してるな」
「そんなことない……」
力なく否定するが、説得力がない。
シャーリーが心血注いでいた髪は大分ぼさぼさだ。
目元も腫れ上がっているし、普段の美人が台無しだった。
「……令に会えたよ。凄い懐かしかった」
その言葉にびくりと肩を震わせる。何かに怯えた様にしながら澪は問う。
「だったら。どうしてそっちに居なかったの」
「お前が居なかったからだよ」
「嘘。だって私は、仁にとって――」
「令の代わりなんかじゃない。ああ。正直に認めるよ。初めて会った時、きっと俺はお前が令に似ていたから引き取る事を決めた」
どれだけ否定しようとしてもそこだけは変えようがない。
もしも全然違う姿形だったとしたら。
きっと仁は澪を引き取ろうとはしなかっただろう。
だが。
「だけどな。そんな事だけで八年間も育てるなんてことは出来ない」
見ていて令を思い出して辛い時もあった。
だけど、日に日に大きくなっていく澪を見て。
成長していくことを楽しみにしていなかった日なんて無かった。
「なら、どうして……?」
答えに怯えている。
答えを期待している。
そんな矛盾した想いを抱えながら澪は再び問う。
「お前を愛しているから。この宇宙の誰よりも」
だから今ここにいるのだ。
こればっかりは誰にも譲らない。
セブンスにだってエーデルワイスにだって、守にだって。そこは負けられない。
澪の父親は自分しかいないのだから。
「令の代わりなんかじゃない。俺は澪だからこの八年、一緒に居られたんだ」
「私、だから……?」
「お前以外の誰だって、俺のこの八年より幸福にはなれなかった。十年前に一度死んだ俺をもう一度生きさせてくれたのはお前だ」
燃え尽きた灰の跡に、新しい物語を刻むことが出来たのは澪のお陰なんだと。
断言できる。
「じゃあ令さんは……?」
まだ往生際悪く、澪は抗弁する。
或いは予防線を張っているのだ。
土壇場でひっくり返されない様に。手を伸ばした瞬間に、手を引っ込められないか。
希望を持って、それが失われたら余計に辛いから。
「令さんの事は嫌いになったの?」
「……まさか」
仁は首を横に振る。
ああ、それも認めよう。
きっと彼女と過ごせた十年だって澪と過ごした時間に勝るとも劣らない。
知らなくてもそれだけは確信できる。
だけどそれは有り得なかった可能性の話なのだ。
現実にしてはいけない世界の話なのだ。
振り切って、後ろに置いてきた未練の話だ。
「令の事は愛していたよ。自分の全てを捧げても良いと思えるくらいに」
だけど、もう過去形だ。
現在進行形にすることも出来た。
仁が澪を諦めることが出来れば過去形にしないでもよかった。
それは出来ない。
だからもうこれは――。
「でももう、十年前の事だ」
既に終わってしまった話。
それを認めたくなくて、認めるのにこんなにも時間がかかってしまった。
ずっと後悔していた。
伝えられなかった言葉があった事を。
ちゃんとした別れを迎えられなかったことを。
どんな結末であろうと、そこに仁の納得があればきっとここまで引き摺らなかった。
でも実際は余りに突然で。
余りに理不尽で。
ただの運だったなんて納得が出来ない。
こんな終わりだなんて認めたくない。
その思いが十年間ずっと仁をあの時間に縛り付けていた。
「……でも、お前のお陰で俺はずっと言いたかったことを言えた。言えなかったことを言えたんだよ」
手を伸ばせば届く場所にある別の形の幸せ。
それを一時感じられただけでもう仁は満足だった。
愛していたと。
言えなかった言葉を伝えられた事で未練が消えた。
「今の俺の幸福は、澪が立派に育って大人になってくれることだよ」
乱れた髪を撫でる。仁の手櫛程度じゃどうにもならない。
あとでシャーリーに頼まなければこれはもう無理だろうと思いながらも仁は続ける。
そうしたいのだ。
少しでも思いを行動で伝えたい。
「そう願えなければ、子供一人を育てる事なんて出来ないよ」
澪の肩が震える。
ああ。そうだと仁は己の誓いを思い出す。
令の分まで幸せにすると決意したのだ。
まだ、それは半ばだ。
自分が受けて来た物を全て返そうとするのならば、まだこんな物じゃない。
「自分の子供に、生まれなければよかった何て言われて傷付かない親は居ないんだぞ」
今になって思えば。
あの言葉が一番ショックだった。澪が令の生まれ変わりだという言葉より何よりも。
これまでの八年間を澪に否定されたような物だったから。
「だから、聞かせて欲しい。今の澪の考えを。頼りないかもしれないけど、二人で考えればいい考えが浮かぶかもしれないだろ」




