05 最も幸福な悪夢6
「へっくし!」
唐突に出たくしゃみに仁は怪訝な顔をした。
「……何だ?」
「風邪でもひいたんじゃない?」
小さく笑いながら、令は弁当箱を片付けて行く。
言われてみれば、少しばかり風が冷たい気がする。
何故だか己の左側だけ。
そこにあった温もりが今は感じられない、何て錯覚を抱く程だ。
多分風向きのせいだろうと仁は思った。
環境保護エリアの一角で、ビニールシートを広げての昼食。
当たりを見渡せば、同じような事をしている人たちが何組か居る。
普段は家か軍の食堂なので、こうした解放感のある食事というのは中々新鮮味のある物だった。
「外で食べるのって滅多にないからね」
「……そうだったか?」
何だか年に一回くらいはバーベキューをしていたような気がしたのだが――しただけだった。
そもそも二人でバーベキューをするのは少々寂しい。
かといってジェイクだけ誘うというのも、本当に僅かに残っている繋がりを自ら断ち切る様で躊躇われる。
令の妹の智を誘うという手もあるのだが、流石に第二船団から呼び付けるのも手間だ。
その他、プライベートで付き合いのある友人と言うと……。
「んん?」
何やら、気付いてはいけない事に気付きかけた仁は考えるのを辞めた。
代わりに令へ話題を向ける。
「そういえば智の奴は新しい仕事始まったのか?」
「ええ。やっとね」
少し困ったように笑いながら、微かな安堵を滲ませて令は頷いた。
どの船団も適性を挙げられて就職先が決まるのだが――必ずしもその職が己に適するとは限らない。
仕事その物への能力は妥当でも、人間関係やら本人の性格やらで職を辞すという事は変わらずある。
それ故に転職自体はそれほど珍しい物では無かった。
「まあアイツは軍人向きじゃなかったよ」
最初に挨拶に行ったときはまだ訓練生だった。
キラキラした目で尊敬していますと言われたのを覚えている。
だが、まあ才能は並だし性格もそれほど戦闘に向いているとは思えなかった。
人は勿論、ASIDにすら銃口を向けるのを躊躇う程。
船団の人間を守るという大義名分に酔いしれることが出来なかった。
彼女が本気で戦うとしたらそれはきっと――後には引けない状況にでもならなければ無理だろう。
己の肉体も捧げて、機械化した上で決して揺るがぬ決意を抱いて戦い抜くしかない。
そして幸か不幸か、今の船団はそんな瀬戸際ではないのだ。
智が任官した頃からASIDとの遭遇数は激減して、防衛軍の人員見直しが始まるかもしれないという時期だった。
タイミングとしては悪くない。
智はそれを機に他の職の適性があったのでそちらへと転職したのだ。
仁には選べなかった道である。
「しかし保育士とは……意外だ」
「実は私も。ほら、あの子末っ子だから他の子どもの世話をしている所見たこと無いし」
ああ、確かにと仁は小さく心の中だけで同意した。
末っ子は割合我儘だ。
「まあ前職のせいで面接で苦労したって言ってたけどね」
「硬いからなあ……防衛軍は」
元軍人という硬質な響きは退官して一年やそこらで消えるものではない。
その辺結構必死で矯正していたのを見ているので仁としても笑えない。
努力の甲斐があって良かったなと、第一報を聞いた時には思った物だ。
「戦闘訓練より大変だ! ってこの前メール来てた」
「そりゃ大変だ」
そう言って仁は喉の奥で笑った。
子供たちの体力は無限だという。
それに付き合わされている智も元軍人なので体力には自信があるようだが、果たしてどこまで食らいつけるのか。
その無尽蔵さを、仁は知らない。
元居た施設ではそんなに元気が有り余るほど余裕のある生活では無かった。
それ以後も、知る機会は無かった。
無かったのだ。
「お母さんは軍人じゃなくなったから命の心配はなくなったって喜んでたんだけどね」
「まあな」
仁自身、己の職は必要な物だと思っているし、船団を守る自分に誇りもある。
周囲もその献身を名誉な物だと思っているが――やはり当事者の親としては不安になるだろう。
言うまでも無いが、他の職よりも死傷率は圧倒的に高い。
他ならぬ友人のジェイクとて一歩間違えれば今はもうこの世に居ない。
「でもお母さんは別の心配してるみたい」
「別?」
「いつ結婚するんだろうって」
「あー早くない、かな?」
智が嫁に行くのか、嫁を迎えるのかは知らないが確か今年で27歳。
令が結婚した年齢よりも上だ。
と言うか令が比較的早い方だったのだが、親としてはそれを基準に考えてしまう物なのか。
仁には判断が付けられない所だった。
生憎と、親にはなれていない。
まあ実際、結婚していてもおかしく無い年ではある。
「早く家庭を持って貰って船団巡りの旅に行きたい物だわって愚痴ってるよ」
「今度こっちに遊びに来てもらうか……」
自身の義母でもある令の母親が作るチャーハンは非常に美味しい。
残念ながら令が作ると微妙な感じになってしまうのだ。
料理が得意と言える令の、数少ない苦手料理だった。
「そうだね。連絡船の事故も……あれ以来無いし」
「ああ。そうだな……本当にあれは運が良かった」
もう十年前の事だ。
仁と令は第二船団の令の家族の元へ結婚の挨拶に行く予定だった。
ただ、その時令がまたやらかしたのだ。
IDの紛失というやらかしを。
そうなると船団から出ることも出来ない。
仁の護衛任務自体は外せない為、仕方なく一人で先に顔だけ合わせるかと向かったのだ。
そこで起きた超大型種による連絡船の襲撃だ。
連絡船は撃沈。
護衛部隊は仁を除き全滅。
仁自身もほぼ全身の再生治療を行うという重傷。
仁が生き残れたのは本当に運が良かったのだ。
公には事故という事になっている。
あんな大型のASIDがいるなんてことを公式に認めたら船団がパニックになるという行政府の判断も分かる。
だから仁も令に本当の事を言えないのだ。
割と、そんな風に令には言えない事があるのがちょっと心苦しい。
別にやましい事がある訳ではないのだが。
「災い転じて福となす、じゃないけどな。あの時お前がID無くしてなかったらと思うと……ゾッとする」
「うん、九死に一生を得るって奴だね」
もしも無くしていなければ。
その時は令も予定通りあの連絡船に乗っていた。
そしてその後は。
「っ……」
頭痛がした。
いや、頭痛だろうかこれは。
確かに痛みを感じているのだが、肉体的な物ではない様な気がする。
何か、大事な、とても大事な事を忘れている。
だが何を忘れているというのだろう。
大事な人は今も隣に居る。
それ以外に、それに匹敵する程の重大事。
仁には思い出せない。
いつかどこかで。
その先を見た事がある様な――。
「仁?」
「……何でもない」
咄嗟に額を抑えた手をどけて仁は平静を装う。
己の手と入れ替わる様に令の手が額に押し当てられた。
「熱は……無いみたいね」
「朝のバイタルチェックも問題なかっただろ」
「朝は大丈夫でも昼には熱出してることもあるでしょ」
押し当てられた左手。
額で微かに感じる指輪の感触。
ああ。そうだ。ずっとそこに違和感があった。
「なあ……令って何時も指輪してたっけ?」
「結婚指輪? 何時もって訳じゃないけど……洗い物とかしてる時は外すし」
逆に言えばそれ以外は何時も付けていたという事だ。
なのに何故、今更令が指輪をしていることに違和感何て感じるのだろう。
無意識に、胸元へ手をやる。
何かを掴もうとして空を切った。
「……?」
今自分は何を掴もうとしたのか。
今日はずっと何かを掴もうとしてはその何かを思い出せずにいる……気がする。
「んー疲れてるのかもね」
「かもな」
まあ流石にここ数年で少しばかり体力が下り坂になるのを感じていた。
最盛期の頃の様には動けないだろう。
「……そろそろ後方に回してもらうかな」
「何時だったかは絶対無理だとか言ってなかったっけ?」
「今なら通るだろ」
全船団の中でも屈指の撃墜数を誇る仁を前線から外すのはとんでもないとばかりに異動希望は全く通らなかった。
が、ここ数年の遭遇数を考えれば居てもいなくても変わらないだろう。と上が判断してくれる可能性はあった。
後方の仕事――教導隊とか或いは。
「いっそ智の奴を見習って教官でもやるか」
「訓練校の? 仁って凄腕だからついてこれないんじゃないかなあ?」
有り得そうだと仁は思った。
ふるいにかけてかけて……残った一つまみの人間だけ鍛えるというのも面白そうではあるのだが。
訓練校の教官になる。
そう言った時に既視感を覚えたのは何故だろうかという疑念は己の中に封じ込めた。




