20 裏切り2
姉の笑顔を思い出す。
歴史の好きな人だった。
智からすると何がそんなに面白いのか分からず、尋ねてみた事もある。
そうすると彼女は決まって言うのだ。
『それは人間の縮図だよ智。歴史を学ぶって事は人間を学ぶって事。過去を良く知る事で人はより良い未来に進める。私はそう信じてる』
それを聞いてもやっぱり、智は歴史には興味を持てなかったけど。
楽し気に話す姉の姿好きで何度か歴史の話をせがんだ。
年の離れた姉妹だったので、しばらくすると令は働きだした。
歴史の研究。姉には天職だったのだろうと智は思う。
ただ、各船団に散らばった資料を集めるためだとかで船団の外に出ることが多くなったのが少しだけ残念だった。
それでも帰ってくると疲れた表情を浮かべながらも、充実さを感じられて羨ましく思った。
「ああ。そうか」
澪が令の魂を受け継いでいるのだという話を聞いて、信じられなかった理由が一つ分かった。
今の澪はどう見ても満足していない。
多かれ少なかれ、自分のやりたい事をやっているのならば、そこには満足感がある。
澪にはそれが無い。
「だって澪ちゃんは本当は帰りたいって思ってる」
その瞳に過去への切望がある。
ハロルドは見誤った。
澪は確かに裏切らない。
だが、彼女が周囲に告げている願いが本当に澪自身が望んでいる事かは分からない。
本当は、この一連の騒動を無かった事にして日常に埋没したかったのではないだろうかと智は思った。
日常。
智にとってのそれは令の居る日々だ。
例え、あの事故が無かったとしても何れは結婚し家を出ただろう。
それでもこの宇宙のどこかには居たのだ。会う頻度は減ってもゼロにはならない。
澪はそれをゼロにしようとしている。
「本当に良いのかい。澪ちゃん」
再度意思を確かめる。
己の消滅を是とするか。否か。
「智さん……さっきも言った。良いも悪いもない。それが正しい事なの」
「いや、しかし」
「嫌だって言ったら智さんはどうするの?」
「え?」
「私が消えたくない。ライテラ計画には賛同するけど智さんの願いはかなえられないって言ったらそれで良いの?」
「それは」
良い訳が無い。
自分の願いを叶えるためにここまで汚れ仕事をしてきたのだ。
その梯子を外されて平然とできる筈も無い。
「そんな事になったら困るでしょ? だからもう聞かないで」
その通りだ。
澪の方が正しい。
未練がましくこんなことを言っている自分の方がどうかしているのだと智は理解していた。
会話を打ち切られて、智はすごすごと己の部屋へと戻る。
その道すがら考える。考え続ける。
「何か、何か方法は無いのか?」
令と澪。その二人が両立する方法。
だが智の頭では思いつかない。
答えの出ない疑問を考え続ける智を、無機質な視線が眺めていた。
智が部屋に戻るまでずっと。
その数十分後。
強化された感覚が捉えた気配に、智は顔を上げた。
そこから一拍おいて部屋の扉をノックされた。
通常智の部屋を訪れる者はない。
扉の向こうの気配を察知する。恐らくは相手も、智が気付いたことに気付いただろう。
一瞬で、空気が張り詰めた。
「……どうしましたか、隊長。こんな物々しい」
サイボーグ戦隊を率いるグレイスが智を訪ねた。
それだけならば上司が部下に何か用事があっただけだと思えるだろう。
だがその背後には武装した歩兵が数名控えているとなれば話は別だ。
「楠木少尉。あの方がお呼びだ」
「バイロンさんが?」
今、このタイミングで? その疑念が表に出たのか。グレイスが智に顔を寄せて囁く。
「お前が例の少女に入れ込み過ぎているのではないかと心配されている」
「ああ……」
なるほど、と智は納得した。
澪との会話は別段隠していたわけではない。
その内容も伝わっているのだろう。
「分かりました。直ぐに行きます」
礼を失しない程度に身支度を整えて。
智はハロルドにあてがわれた部屋へと向かう。
智が入るとそのままグレイスと歩兵も続く。
「やあ楠木君。わざわざすまないね。散らかっていて悪いね。そこに座ってくれ」
謙遜でも何でもなく、本当にハロルドの部屋は散らかっていた。
いくつもの電子ペーパーが様々な資料を表示し、何に使うのか分からない機材がソファーを占拠している。
「失礼します……」
辛うじて空いていたスペースに身体を潜り込ませる。
「呼ばれた要件は分かっているかな?」
「東郷澪との事だとか」
「そう。その通りだ。今となっては計画の要と言ってもいい彼女。そのメンタルケアをして貰って助かっているよ」
メンタルケア。
まあ一応そういう事になるのかと智は頷いた。そんな意識は無かったけど。
「だがあれはダメだ。彼女の願いを否定するのは。あんなことを言って彼女が計画への協力を翻意したらどうする」
「いえ。しかし――その、彼女の願いを叶えるという事は即ち東郷澪の消滅です。そうなると、計画実施後に影響が出るのではと――」
苦し紛れの言い訳。
だがふと考えれば、とても重要な事だと智も今更気が付いた。
ライテラ計画の主眼は、過去を改変し、願いを叶える。
同時に未来を知る事で現在を守り続ける。
その二つだ。
だが、澪が消滅したらその瞬間にライテラは起動しない。
彼女がいるからこそオリジナルクイーンのリアクターは稼働するのだから。
その事をどうするつもりなのか。
「ああ、そうだね。うん、そこに関しては慎重さが求められるよ」
あっさりとその懸念をハロルドは認めた。
「だからこそ、過去改変では申し訳ないけど君と東郷澪の願いを叶えるのは一番最後になる」
「いえ、それは構いませんが……」
どうせ自分は順番がどうなったかすら知覚できないのだ。
その程度はどうだっていい。
「どうするつもりなのです?」
「いや、特別な事は無いもしないさ。東郷澪という存在は消えるだろうが、クイーンの子という存在は消えない」
東郷澪イコールクイーンの子ではあるが、クイーンの子イコール東郷澪ではない。
「改変後に生まれたクイーンの子を同じように船団まで連れて来てしまえば良い」
「そう、ですか」
そう言い切られてしまうと智には反論できない。
それでもまだ納得しない智の姿を見てハロルドは嘆息した。
「楠木君。申し訳ないが君を拘束させてもらう」
「なっ」
突然の宣告に智は腰を浮かせた。
それを制止するように、背後で銃口を構えた気配がして、そこで智は動きを止める。
「計画は最終段階だ。既に他船団にも計画が露見している。ここからは時間との勝負になる」
それは智も知っている。
「だから、ここで計画遂行に迷いを持っている人間が居ると困るのだよ」
「私は迷ってなど……!」
「そうかな? 楠木令と東郷澪を天秤にかけてしまっているのでは?」
その物ズバリを言い当てられて智は口を閉ざす。
「安心したまえ。ライテラ完成するまでの辛抱だ。君の願いを叶えるかどうかはその時に改めて検討しようじゃないか」
要するに計画が万全になるまでは大人しくしていろと言う通告だ。
致し方ないと智は唇を噛む。
事実自分は迷っている。
その迷いを澪にぶつけてさえいる。
その結果澪が離反したともなれば、現段階の計画にとっては致命傷。
智自身、ライテラ計画を潰したいわけではない。
「わかり――」
ました。と言い切ることが出来なかった。
散らかされた部屋の中。
その資料の一つにこの場ではあり得ない名前があった。
楠木令。
ライテラ計画とは無関係な筈の姉の名前を見つけて智は身体を硬直させた。
中腰で返事を中途半端に止めた智へ背後から不審げな気配が投げかけられる。
そんな事には構わず、智はその資料の内容をじっと見つめる。
それは、ライテラ計画初期の作戦内容。
第一次時間跳躍実験の失敗から、不足する情報を他船団から収集するという物。
同時に、他船団での協力者の確保。
その派遣要員の名前の中に、楠木令の物があった。
「なん、で」
智の呟きに、グレイスがその視線を追いかけて、同じ物を見た。
肩を竦めながら嘆息。
「ハロルド様。あれほど資料は片付けてくださいと日頃から言われていたでしょう」
「うん? ……ああ。そうか。なるほど。それを見てしまったか」
ハロルドも、グレイスの言葉と視線で気付いた。
気付いて悪びれることなく言う。
「まあ黙っていたがね。君のお姉さんも実はライテラ計画に関係していたんだよ」
その言葉と共に、背中に打ち込まれたテイザー銃の衝撃で智は意識を失った。




