30 後継者4
過去を変える事で今も変える。
それは澪にとっては魅力的な言葉だ。
つい一時間も経っていない過去を変えてしまえば、こんな風に逃げ出さずに済んだはずなのだから。
そう、例えば今日あの時間に買い物に行かなければ――。
「……あれ?」
そんな忠告を、誰かから受けた。
澪の視線が智に向けられた。
「……知ってたの?」
「誓って言うが。澪ちゃんを狙ったわけじゃない。元々我々は別の人間に目星を付けていた。結果的に澪ちゃんが行動を共にしていた為に巻き込まれてしまったが――」
「じゃあやっぱりあれは、貴方たちが……」
暴走していたASID。
次期女王と言う澪の命令にも従わなかった妙な個体だ。
別の群れとは言え、女王の近衛兵以外の行動を抑止することくらいは他の群れの女王でも可能だ。
それが出来ない時点で尋常な個体では無いと思っていたのだが――。
「まだ我々が母星で戦っていた頃、鹵獲したASIDを機動兵器として使用していた。アサルトフレームの母体となったアシッドフレームと言う兵種なのだが……それを今の技術で作り直した物だよ。完全自律型。中々悪く無い出来だと思っているのだがどうかな」
「……人間の死体を作った兵器を見せられて感想求められた時の気持ちって言えば伝わるかな」
「なるほど。確かに配慮に欠けていたな。謝罪させて欲しい」
そんな事はどうでもいいのだ。
澪にとって許せないのは、今目の前にいる人間が自分の平穏を崩した事。
「何でこんなことをしたの」
腹の底から湧き上がる怒りを抑え込むように。低い声で澪は問いかける。
そうしないと爆発してしまいそうだった。
衝動に任せてミオを暴れさせてしまいそうだった。
「先ほど言ったとおりだよ。ライテラ計画の為だ」
澪の怒りは分かっているだろう。
それでもハロルドは平然とそう口にした。
一切悪びれることも無く。
己にこそ大義があると。
「ふざけないで!」
澪の怒りに呼応して、ミオが戦闘態勢に入る。
彼らが仕組んだというASIDの暴走で、市街地には被害が出た。
それに追い回されたメイ達も最終的には掠り傷程度だったが、もっと酷い事態――最悪死に至ってもおかしくなかった。
建物の崩落も幾つかある。
澪の知らないところで死者が出ていても不思議はない。
少なくともけが人は大勢出ているだろう。
「人が沢山怪我したりしてるのに何でそんなに平気な顔してるの! 悪い事したら謝らないといけないんだから!」
そう叫ぶと、ハロルドは瞠目してそして肩を震わせて笑い出す。
「何が可笑しいの。人と話している時に笑いだすなんて失礼」
「いや。これはまた失礼をした。私よりよほど人間らしいと思い、自分自身に呆れただけだ」
ハロルド自身が自嘲したように、人間であるハロルドよりもよほど澪の方が人間らしいことを口にしている。
その事に智は微妙な表情を浮かべていた。
「何故平気な顔をしているのかと言ったね。答えは簡単だ。全て、無かった事に出来るからだ」
「……本気なの?」
「一分の隙も無く本気だとも。ライテラ計画が達成されたら過去改変が可能となる。無論、その改変内容には気を使う必要があるが――あらゆる過程における損失は全て取り戻せる」
そう言い切るハロルドに澪は身体を震わせる。
頭おかしい。
澪にしては乱暴な言葉でハロルドをそう評する。
理屈としては正しい。
過去を変えれば今も変わる。
原因となる行動を変えれば結果も変わる。
だがそれが分かっていたとして、そこに至るまでの被害を全て許容するというのは常人の思考ではない。
「君が協力してくれたら、君の友人たちに正体を明かす事となってしまった原因――即ちあの鹵獲体を市街に解き放ったことは無かった事に出来る。それだけじゃない。この計画に従事している者達の取り戻したい物を取り戻せるのだ」
そして澪にとって恐ろしいのは、この場におけるハロルドの言動。
その全てがあくまで善意から来ている事だ。
悪意を持って人に害を成すのなら澪にも理解できる。
だが善意で人を害するというのは未知の領域だ。
しかし、ハロルドの提案はこれまでの過程全てに目を瞑れば澪にも理想的にも思えた。
単に±0となるだけだが、元々澪に変えたい過去何て無い。
それならば――。
「お願いします。澪ちゃん。私ももう一度姉さんに会いたい」
「お姉さんがいたの?」
「はい。今から十年前に死んでしまった私の姉……東郷仁の婚約者だった」
「十年、前?」
澪の思考が停まった。
一つの考えが脳裏をよぎった瞬間に、澪はあらゆる感覚が失われたと錯覚した。
疑似生体が機能を停止したのではないかとさえ思う程の停滞。
点と点が繋がってしまう。
十年前の死。
引き取られた理由。
仁の視線の訳。
勘違いであって欲しかった。
だけど、今の澪にはその考えを否定する材料がない。
自分がここにいる理由。
それに思い至ってしまった。
ああ。血の気が引くという言葉。それもこの身体は再現できるのかと思った。
「智、さん。後でそのお姉さんの事教えてください」
「良いですが……顔色が」
「決めましたハロルドさん。協力します」
智の心配する言葉を遮って澪は宣言する。
「その代わり、私にも過去を変えさせてください」
「勿論構わないとも。その改変が他の者の願いと矛盾しない限りは、だが」
「大丈夫です。そこは矛盾しないと思います」
急に乗り気になった澪にハロルドは一瞬困惑した様だったが、直ぐに笑顔を浮かべた。
その程度で人類にはどうしようもないクイーンの助力を得られるのならば安い物だと思ったのだろう。
「ではようこそ東郷澪。ライテラ計画へ。末永くよろしく頼むよ」
差し出された手を澪はしっかりと握り返す。
己が産み出したエーテルを使う以上、主導権はこちらにある。
協力なんかじゃない。
これは共犯者だ。人類に対する重大な犯罪への。
それでも構わない。
気付いてしまった自分の罪に。
自覚無く今まで奪い続けてきた物に。
その贖いをする為にはハロルドに手を貸すしかない。
過去を変える。その力に頼らなければいけない。
「ごめんなさい。おとーさん……」
謝罪の言葉は誰かの耳に届くことなく消えた。
◆ ◆ ◆
とある恒星系。
中心にある恒星の周囲を公転する惑星の一つ。
その軌道上に数隻の軍艦は待機していた。
その内の一隻。
ロンバルディア級戦艦と呼称されるクラスの軍艦。
控えめに言ってもボロボロだった。
出港時には新品同様にまで補修されていた装甲は、今や見る影もない。
アサルトフレーム同様のナノスキン装甲は多少の損傷は平均化することで補修してしまう。
だがそれが追い付かない程に損傷を受けたのだろう。
斑な厚さとなった装甲は、辛うじてバイタルパートだけは守れる。
逆に言えば他の箇所は殆ど防御力を失っている。
他に二隻いるロザリオ級巡洋艦も同じような有様だ。
その艦橋で幾つもの声が交錯していく。
「揚陸艇の全船回収を完了! 大気圏離脱用の燃料はこれで打ち止めです」
「船体補修率68%! これ以上は資材加工の関係で時間効率が大幅に下がります」
「稼働可能なレイヴンは全艦合計61機! ストックパーツが尽きました。これ以上は稼働状態に持っていけません」
次々と入ってくる報告はどれもこれも資材不足を告げる物ばかりだ。
それも当然だろう。本来ならばここにいる艦はどれも一度ドッグ入りして補修した後に補給を受ける様な状態だ。
そんな有様から、詰め込まれていた資材と現地調達した資材だけでここまでもってきただけでも大した物だった。
「ここまでが限界か……?」
ロンバルディア級戦艦の艦長が現在の艦隊の状況を見て渋い顔を作る。
万全には程遠い。
だが、これ以上状況が好転することも考えにくい。
「呼びかけに答えられたのは二隻だけか。まさか他の艦全てが沈んでしまったとは考えたくないが」
「本艦の通信設備では全方位通信は距離に限度が有ります」
「せめて離脱時に、オーバーライトの同期が出来ていれば良かったのですが」
「その様な余裕はなかったからな……仕方あるまい」
通信士や操舵士の慰めともとれる言葉に艦長は肩を竦めて決断する。
動くべき時だろうと。
「各艦クルーへ。我々の状況は逼迫している。物資は乏しく、頼るべき友軍も今ここにはいない」
その演説を聞きながら、一人のパイロットが己の手を一瞬止めた。
機体の状態を見る。
やはり、何時も通りの性能は発揮できていない。
整備士たちは頑張ってくれたが、元より物資不足。
この機体も、比較的損傷の浅い機体に大破した機体から取った部品で修復した物だ。
万全には程遠い。
そこに。このパイロットの無茶な注文に応えようと無理をしてくれたのだから頭が上がらない。
「しかし、第二船団の裏切り行為を糾弾できるのは我々しかいない」
敵は第二船団。
即ちサイボーグ戦隊だ。
彼は考える。
勝てるだろうかと。
この機体状態で。
「そして、今散り散りとなっている戦友たちを救えるのもまた、我々だけだ」
もしもここに馴染みの整備士がいたら。
そうしたら機体はもう少しましだっただろう。
だが彼女は今ここにはいない。
無事なのかも分からない。
「奮起せよ。我々は、我々の手で自らが住まう世界を取り戻すのだ」
状況から考えれば、第二船団の防衛軍は第三船団に支援の名目で駐留しているだろう。
それを突破しないと行けない。
「これより我々はメインシップ奪還作戦を開始する!」
その号令に、一人のパイロットは――東郷仁は顔を上げた。
「無事で居ろよ、澪、シャーリー、笹森少尉、ナスティン少尉……」




