23 メイの進路
「……何も施されていない状態を見ないと何とも言えないな」
「ですよね……」
「迷っているのか?」
自分の寿命を伸ばせるというのに、躊躇いがちなメイにまさかと思って尋ねる。
そうすると、メイは小さく頷いた。
「個人的な意見を言わせてもらうと、30で天寿を全うするのは早すぎる」
「と言われても私にとってはそれが普通でしたから……急に伸びると言われてもいまいち実感が湧きません」
「それは、まあ分からないでもない話だ」
それまでの当たり前を急に捨てろと言われても戸惑うのは仁にも理解できる。
「それよりも戦えなくなる方が困ります」
その言葉に、仁は思い出す。メイが戦う理由だと言った言葉を。
「笹森訓練生とナスティン訓練生の事か」
「施術を止めたら、あの二人がピンチの時に助けられなくなります。それは……困るので」
「気持ちは分からないでもないが……」
戦友の助けになりたい。
それ自体は褒められるべき動機だろう。
だが、そのために己の寿命を削ったと言われて相手は喜ぶだろうか。
いや、間違いなくあの二人ならば喜ばないと仁は断言できる。
「笹森訓練生には話したのか」
「……いいえ。まだです」
だろうな、と仁は思う。
こんな話を聞いていたらさっき会った時に平静では居られないだろうと仁は思った。
「だって言ったら絶対にアイツは施術を辞めろって言いますよ」
「だろうな」
「ユーリだって同じです。むしろ私以上に喜ぶ気がします」
いつの間にか、メイの身体については小隊内で共通の認識となったらしい。
親友に対して隠し事の必要が無くなったというのは喜ばしいことだろう。
「……それが分かっていても迷うのか?」
「だって……私、戦えなくなったらもう価値がないです」
ああ、と仁は一つ納得した。
以前に聞いたメイの生い立ち。
そこから考えれば、メイはずっと周りの人間から言われ続けてきたのだろう。
言葉で。
態度で。
お前は不要な存在だと。本来そこにいるべきニンゲンではないと。
今のメイにとって訓練生、その先の軍人であるというのは唯一と言っていいアイデンティティなのだ。
それを失うことを恐れている。
思い返せば。
仁にもそんな時代があった。
戦いへの才能があって。
だけどそれ以外に己の存在意義を見いだせなくて。
戦えなくなった時の事を恐れる時期が。
それを解消したのは結局のところ。
令のお陰だったと言える。
考えながら仁は胸元の指輪を弾く。
「教官?」
「そうだな。その気持ちは分かる。俺も戦い以外は出来ない人間だからな」
何もなくてもいいと言ってくれた人が居たのだ。
それがどれだけ救いになったことか。
今のままの自分でいいと言われたことがどれだけ嬉しかったことか。
そうした諸々をひっくるめると。
ユーリアの恋愛理論は一面に置いて正しいのだと認めざるを得なくてちょっと悔しい。
「ベルワール訓練生」
「はい」
「恋をしろ」
「……はい?」
「大体のことはそれで何とかなる」
「あの、すみません教官。熱がありますよ」
あるんじゃないですか? とかの疑問ではなく断定だった。
「平熱だ」
「いえ、絶対嘘です! ここ病院ですから直ぐに診察を受けて下さい絶対高熱です!」
「何時も通りだから問題ない! 俺の話を聞け!」
「何時も通りじゃないですよ! そんなユーリアみたいな恋愛脳発言しないじゃないですか!」
「悔しいことだが、ナスティン訓練生の理論は正しいぞ!」
「コウ。コーウ! 患者一名が暴れているので止めるのを手伝って下さい!」
電話で呼び出されたコウに仲裁されて、漸くこの場が落ち着きを取り戻す。
「いきなり呼ばれたと思ったら何でこんな事になってるんですか教官」
「いや、ベルワール訓練生がいきなり人を病人扱いしだしてな……」
「急にユーリアみたいなこと言い出したんですよ、教官が」
「ああ。それは脳の病気ですね。間違いない」
「お前らナスティン訓練生に対して何か思うところが有るのか……?」
「まあ脳の病気は冗談ですが……熱は有るんじゃないかとは思います」
間接的にユーリアは何時も熱に浮かされていると言っているような物だが。
「で、何で教官はそんなユーリアみたいな妄言吐き始めたんですか?」
「やっぱお前アイツのこと友達だと思ってないだろ?」
それはさておき。
「ベルワール訓練生が軍に入らなかった場合の話をしていた」
「あ? お前訓練校やめるのか」
「いや。止めませんって。もしもの話ですよ」
やはりメイはコウには言うつもりがないらしい。
その答えが分かっているからと言っていたが……それはつまり。
その言葉を言われたら揺らいでしまうのが分かっているからではないだろうか。
「もしも軍に入らなかったら存在意義が無いと言い出してな」
「何でそんな話になったのかさっぱりなんですが……まあそんなことはないだろ」
「いえいえ。コウ。軍に入らなかったら私ただの無職ですよ?」
「いや、他に適正出てんだから働けよ。別に軍人だけに拘る必要ないだろ」
コウのその正論に、メイは一瞬たじろぐ。
「私が軍人止めたらコウをどうやってフォローするんですか! 一人で突っ走るくせに!」
「何言ってやがる。お前が居なくたって何とかなるさ」
そう言って、少しコウは語調を和らげる。
「だってお前、訓練校に入ったの俺のためだろ」
「は、はあ!? 何言ってるんですかこの自意識過剰は!」
「そういえば前そう言ってたな。もう一回会話したかったって」
「教官の裏切り者!」
コウの唐突な問いかけにメイは天の邪鬼な解答で誤魔化そうとしたようだったが、仁に背後から刺されてアッサリ暴露される。
教官だと信じて話した内容をアッサリと漏らした仁の教官としての信頼度は限りなく下がったと言ってもいだろう。
「だと思ったぜ。同年代に囲まれただけでビビってたやつがわざわざ軍人になろうなんて考えるかってずっと思ってた」
「ぐぬぬぬ……」
ぐぬぬぬって言うやつ始めてみたと思いながら仁はそろそろ席を外すべきだろうかと悩む。
何か、コウは視線が完全にメイだけに向いていて、仁の存在を忘れかねない勢いだ。
「別にもうお前が軍人止めたからってそれで口も聞かないなんて有り得ないからさ。他にやりたいことが有るならそっちの道に進むのもありなんじゃないか?」
「いえ、そういう話ではなく……」
「そういえばお前って軍に入るって決める前は何をやりたかったんだ?」
「いや、特に無かったですけど……兎に角何でも良いから早く家を出たくて」
もう完全に存在を忘れられた仁は、静かに部屋を出るタイミングを伺う。
若い二人の邪魔をしてはいけないという完全なお節介が働いていた。
「教官逃げないで下さい。教え子の進路相談ですよ」
「教官として空気を読んだつもりだったんだがな」
やはり戦場のようには行かないと自嘲して仁は元の位置に戻る。
「まあ笹森訓練生の言うとおり、他に選べる進路は有る」
「でもそれだと……コウの事守れないですし」
「なんだよ。マジでそんな事気にしてたのか。俺に負けた癖に」
「別にコウより弱くても守れますよ」
「馬鹿かよ。言っただろ。俺は大切な人を守るために強くなったって。お前に守られてちゃ意味ねえだろ」
「コウ……」
やはり自分はいらないのではないか。
仁こそ己の存在意義を失いかけていた。
「ベルワール訓練生。さっきの話だが」
「えっと、あの恋しろ云々のですか?」
「己の価値なんて誰か一人が必要だと思ってくれたらそれで十分だと俺は思っている。俺はそれで十分だったし、今もそれで十分だ」
「一人に必要とされる……」
その言葉をメイは繰り返す。
そして仁からするとその条件に関しては容易にクリアできていると思えた。
「なりたかったもの……そうですね。少し前向きに考えてみます」
「よく分からんままに呼ばれてきたんだが、問題は解決したのか?」
「いいえ。まだ絶賛悩み中です。そのうちに話しますよ」
「おう」
「ベルワール訓練生。何時でも相談に来てくれ」
「教官にはもう絶対相談しませんから!」
当然の結果です。
「何故だ!?」
「秘密の内容をしゃべる人に相談なんて出来ません!」
「口止めはされていなかっただろう!」
「普通分かりますよ!」
醜い言い争いが続く。
それでもメイの表情は最初にここに来たときよりも明るくなっていた。
次にすべき事が明確になったからだ。
なりたかった物。
ずっと昔。まだメイが二人だった頃。
『ジュンは将来何になりたいの?』
まだ二人に未来が有ると信じていた頃。
『んと……これ!』
絵本に書かれていたキレイなドレスを来た花嫁。
『お嫁さん!』
『私も! でもお嫁さんには好きな人がいないとダメだって言ってたよ』
『そうなの? それだったらコウがいいな』
『私もコウが良い』
『……どうしよう』
『半分こしようか?』
そんな事を無邪気に願っていた頃。
二人でお嫁さんに成るという夢はもう叶えられないけど。
片方だけならば……少しは見込みが有るかも知れない。
メイはそう思った。




