89 異端の火種
ザフラカンは大陸内奥の国である。広大な砂漠が他国との交易を邪魔しており、陸路での貿易は非効率さとリスクから、経済を発展させる事は容易ではなかった。
国民が裕福とはほど遠い生活を強いられる中、前王の逝去により、新たに王となった嫡男の王子、バジラフは齢十七で即位した。彼は貿易による利益享受から、比較的裕福な隣国を併合する事による帝国主義へと舵を変更した。それが功を奏した結果、低迷を続けていたザフラカンの経済が急激に好転する事になった。
バジラフに才腕があった事は確かだが、彼が王に就任すると同時に宰相となったアミーナの力による功績が大きい。
彼女は常に新王バジラフの傍らにおり、的確な助言によって彼を支えてきた。
バジラフの弟によるクーデターを未然に防ぎ、侵攻する際には、的確な作戦によって常に勝利をもたらしている。経済知識にも明るく、赤字続きの王国経済をドラスティックに改革してきた。
今ではザフラカン国は、周辺国に多大な影響を与え、傀儡とする国を増やし、帝国の様相を示し始めていた。
大陸内地をあらかた併合し、後方からの憂いをなくした頃、次に海岸沿いの商業都市群をターゲットに定めた。その辺り一帯は、大型の船舶が接岸可能な港を多数保有する事が出来る上に、位置的にもヨーロッパ、アジア、どちらとも交易が可能となっている豊かな地だ。ザフラカンにとって、この地域を傀儡とする事が真の目的であったと言って良い。
湾岸都市群には戦力と言えるものがほとんどない。兵力では相手にならない程であり、加えて、ザフラカンには絶対に戦いに勝利する事が出来る武器がある。
その武器をもたらしたのも、宰相のアミーナだった。
彼女が独自に設計、開発したものであったが、それはあまりにも異質である。
鉄板に簡単に穴を穿ち、防ぐ事が困難な弾を放つ銃‥‥それを防ぐ事は困難だ。
「油断するなよ。」
バシラフの印象は、とにかく物腰が柔らかだ。
いつも顔には笑みを浮かべており、言葉も丁寧だ。
「追い詰められた者はそんな手も使ってくる。慎重に行動するようにな」
侵攻前の兵士達に、バジラフはそう訓示したが、そう言うバジラフ自身も自国の勝利を信じて疑わなかった。
それ故に、失敗の第一報がもたらされた時、彼は自身でも知らずに慢心していたその心を自身で叱責する事になった。
「失敗した⁈ まさか、そんな事はありえないんだが」
「い、いえ、部隊は多大な損害を受けて、撤退してきました」
「‥‥‥‥分かった。下がって休んでくれ」
「はっ」
兵士が宮殿にある彼の執務室から出て行った後、顔に手を当てて後ろのソファーに腰をおろす。
万全の体制で臨んだはずだった。彼我の戦力差から言っても、失敗はあり得ない。
「‥‥いや、実際には失敗したんだ。それは認めなければならない」
すぐに考えを切り替え、アミーナを呼んだ。
「お呼びで、陛下」
アミーナは長い黒髪の女性だ。ベージュ色のサテン生地のチェニックと、足首まで覆うスカートは彼女の笑顔と同じく、柔らかな印象を与える。そこに黒いガウンを重ねており、全体的には黒色の印象が強い。腰に巻き付けてある太いスカーフには、長い笛が常に挟まっている。元々彼女は、何処かの国の有名な演奏者だったという噂があり、その楽器がその手の流言に信憑性を持たせていた。
「もう知っているとは思うけど、湾岸都市へと向かわせた侵攻部隊が失敗したんだ」
「‥‥‥‥」
その言葉にアミーナは表情を全く変えない。髪の脇に差してあるハイビスカスのオレンジ色の花が、開け放たれた窓から入ってくる風に、静かに揺れている。
「信じられないだろ? 君が開発した特性の銃を持たせたのに」
「‥‥‥‥どんな感じだったのでしょうか?」
「それが‥‥報告だと、たった一人に撃退されたという事だ」
「一人?」
アミーナは目を細めて、真顔になった。
「その者は、こちらの銃を全てはじき返して、その跳弾が、我が部隊の兵士を傷つけた‥‥ますます信じられない」
「‥‥‥‥」
「あと少し‥‥あと少しで、この地域の統一がなるのにな。‥‥まあ、彼らも必死だ。そう簡単には思惑通りにはいかないよな」
この地域は沿岸部だけが豊かな地だ。穏やかに見える年月をいくら経たとしても、そんな地域を他国が見て見ぬふりをするわけがない。いくら目を逸らそうが、必ず自国に組み入れようとする国が現れる。それを覆すだけの力が沿岸都市にはない。一度戦闘が始まってしまえば、彼らには成す術はなく、蹂躙され、搾取され尽くした後には悲惨な運命が待っている。そうなる前に、ザフラカンが併合し、挙国一致体制を確立しなければならない。今回はその為の侵攻だった。
「あなたの考えは正しいと思うわ。誰かがやらなければ、より多くの人の命が失われる、それを防ぐ為の行動なのだから」
「‥‥それは分かってるんだけどね」
侵略国としてザフラカン、その王としてバジラフは憎しみの対象になっている。
より多くの人命を救う為、戦闘による犠牲が出るのは仕方がない事だと、割り切るしかない。
全ての人を守る事は出来ないのだ‥‥バジラフは幼い時から教わってきた事が、真実である事を実感する。分かってはいるが、全てを飲み込むには、人一人の心は小さすぎる。
「とりあえず、こちらの侵攻準備が出来るまで調査だね。アミーナ‥‥やってくれるかい?」
「もちろん、喜んで」
アミーナは少しだけ落ち込んでいる王に向けて、優しい笑みを向けた。その顔を見たバジラフは思った。
今は一人ではないと。
彼女だけは自分の心を理解してくれる同士なのだ。




