72 三分の奇跡
「僕が間違っていた! 彼女がどうであれ、僕は信じ続けなければならなかったんだ! だから‥‥」
「今さら、はい、そうですかって、申請の撤回は出来ないんだけど?」
リシャンは肩をすくめた。
「それにね‥‥今の彼女は反射で動いているだけで、感情はないの。ここに戻ってきたのは、記憶を辿ってきただけ。あなたの事を想っての事ではないわ」
「だとしても、僕は彼女の側にいたい‥‥この世界の中で‥‥」
陶二はうずくまっている涼子の元へと駆け寄った。
落ち込んでいた時も、嬉しくて踊り出しそうな時も、いつも彼女は側にいた。
その時の事が、幾重にも記憶の波となって蘇ってくる。
それらを無かった事にして逃げだそうとした自分を、陶二は激しく責めた。
例え何があっても離れる事は出来ない。
陶二にはもう迷いは無かった。
「‥‥全く」
リシャンは苛立ちを隠そうともせず、顔を曇らせた。
再び、床が破裂して陶二は玄関先にある階段まで吹き飛ばされて転がる。
「僕は‥‥」
片手を押さえながら立ち上がる。
「僕が‥‥間違っていたんだ‥‥逃げるなんて‥‥裏切ったのは僕の方だ‥‥」
「これ以上、抵抗すると威力妨害であなた自身が拘束の対象になるんだけど?」
「‥‥構うものか‥‥ぐ‥‥」
また近寄ってきたので、再度、爆風を発生させる。吹き飛ばされてもその度に陶二は立上がってきた。
「僕は‥‥愛して‥‥いるんだ‥‥」
四度目の時‥‥涼子の体がビクっと動いた。這って近づいてくる陶二に彼女は顔を向ける。光を反射する事の無かった瞳の中に陶二の、そのボロボロの姿が映った。
「‥‥そん‥‥」
リシャンは言いかけて途中でやめた。
涼子の足元が濡れている。多分、それは瞳から出たものだ。
「‥‥‥‥クロウ」
「はい」
スーツ姿の男性が街灯に姿を現す。
「クロウ……あなたはデバイスの接続不良によって、回線がオフになってしまった‥‥だから、しばらく状況が呑み込めていない‥‥」
「‥‥‥リシャン‥‥それは‥‥」
クロウの目に着物の少女が逆さまに映っている。
「テロリストによって感情のなくなったAIは消去しなければなりません」
「‥‥‥感情がなくなったAIは‥‥」
「‥‥‥‥」
「‥‥泣く事はない‥‥」
「‥‥‥‥」
クロウは一瞬、首をさげた。
「‥‥視覚デバイスと記録用ログの調子が悪いようです。システム再起動をかけるのでしばらくそちらとコンタクトが取れません‥‥復帰まで三分程ですね」
「‥‥‥フフ‥」
「全く‥‥‥‥」
クロウはため息をついて姿を消した。
陶二は妻を抱きしめる。涼子の手が動いて彼の背中に腕を回した。
「‥‥‥‥」
リシャンはその姿を見つめ続ける。それから二分五十秒程経った頃、彼女の姿は消え去った。




