59 幸福の歪み
「今日も友達の家でお茶会か?」
妻の涼子は鏡の前で、髪をアップする為に両手を上げている。そんな彼女を邪魔しないように僕は後ろから聞いた。
「遅くなるのか?」
「ええ、もしかしたらそのまま泊まりになるかも」
僕の姿は鏡を通して見えているはずだが、涼子は全く僕の顔を見る事をしない。ひたすら自分の身支度に勤しんでいる。
友達のお茶会‥‥などと言ってはいるが、実際は、外で若い男を囲っている。それに気がついたのは、偶然、涼子のスマホを覗いてしまったからだ。それまでは微塵も疑った事はない。僕達は、娘のコハナと三人‥‥いわゆる幸せな家庭だった。
頻繁に鳴るスマホに出た時の涼子は、目を輝かせている。その顔は、今はもう見なくなった、大学のキャンパスで初めて僕と出会った頃の彼女のようだ。そのうちに朝帰りが多くなり、戻ってきても目を合わせる事もしない。それでもまだ半信半疑だったが、そんな僕自身の疑いの心を晴らす為に興信所に頼んで動向を探ってもらった。
結果は黒だった。
ホテルの前で知らない車から降りた妻は、二十歳そこそこらしい男と一緒に中へと消えていった。
そんなはずはない。
起こるはずがない。
ここは仮想世界の中。最初にこの世界に接続する時、ある程度の設定で開始する。
僕が望んだのは幸せな家庭。ただそれだけだったが、それで良かった。
大学生から始まったこの生活は、一年後輩だった将来妻になる涼子と出会い、恋愛して、結婚して、しばらくして子花‥‥コハナも生まれた。脱サラして立ち上げた不動産事業も軌道に乗って、今ではこんな邸宅に住むまでになってきている。去年、コハナは難関と言われる都内の大学に合格して、通学の為に都心に移ったばかりだ。
何も問題はない‥‥それどころか、絵に描いたような幸せな家庭だ。
それがどうしてこうなった?
僕は十分に愛情を注いできたはずだし。涼子も同じだった‥‥と思う。
それとも、そう思っていたのは自分だけなんだろうか?
なら、この月日は何だったのだろうか?
「‥‥それじゃあ」
庭にあるガレージの扉が自動で開く。そこから出てきたのは真っ赤な色のオープンカー。
涼子にせがまれた時、年甲斐もなく‥‥と思ったが、今となっては、彼女が若い男と付き合う為に、必要だったから買わせたとしたとしか思えない。
いや、駄目だ。最初から疑ってどうする。
「‥‥‥‥」
妻を見送った僕は仕事部屋に戻る。最近では会社に出る事はほとんどなくなり、家で部下に指示を送るだけで業務が回っている。業績は右肩上がりで、社のトップの僕が全てを対応する事は不可能で、それ故にオンラインでの仕事が増える事になり、これは効率を上げる結果になった。
家にいる機会が増えれば、涼子と過ごす時間が増える。それは凄い喜ばしい事だと考えていたのだが、それがこんな事になるなんて思いもしなかった。
誰もいない大きな邸宅。いるのはいつも僕だけだ。
そんな状態が半年ほど続いて‥‥そろそろ限界に近づいているのが自分でも分かる。
仮想世界での生活は失敗したのかもしれない。
僕は管理局に連絡した。




