2 君が選んだ世界は、僕を捨てた
「俺は‥‥俺の妻は‥‥全てを捨てて、こんな世界に逃げ込んだんだ!」
「それで逆恨み? 馬鹿みたいね」
「‥‥ぐ」
「要するに、あなたの奥さんは、あなたがいる現実世界より、こっちの世界の方が魅力的だって判断したって事じゃない?」
少女の後ろに暗雲が広がり、その中から黒髪の男性が現れた。
男性は整った顔立ちと落ち着いた雰囲気を持ち、黒のビジネススーツを着こなし、ネクタイをきちんと締めた姿からは真面目さや、知的な印象が漂う。
「リシャン、説得は出来そうにもありませんね。それで説得しているつもりかは分かりませんが拘束してください」
男性は落ち着いた声で彼女をリシャンと呼んだ。
「元から穏便に出来るとは管理局も思ってなかったでしょ? だから私が派遣されたわけだし」
「そうですね。とにかく、あのハッカーはあちこちにバグを作ってこの空間を壊しています。回線を切って、本体の位置を特定してください。場所が分かれば局で拘束しますので」
「分かってる」
「くれぐれも気をつけてください。この世界に接続中は、そこでシャットダウンされると本体の生命活動にも影響があるのですから」
「‥‥‥‥」
少女‥‥リシャンが再び男の方に顔を向けた瞬間、男は銃を発砲した。リシャンは鎌を僅かに動かし、その光の線の軌跡を脇へと反らす。跳弾が床のコンクリに穴を開けた。
「くそ!」
「そんなお粗末なプログラムでどうにかなると思う? 抵抗は無意味。大人しく捕まった方がいいと思うけど?」
「この!」
男は再び銃を構えるが、引き金を引くより速く、リシャンはすぐ脇へと移動した。
「あなたは現実に帰りなさい」
青く光る鎌を大きく振り、男を斜めに斬った。
ヒュン‥‥という風切り音が後から続く。
「ああああああ!」
血は出ない。ただ、男の姿が大きく揺れ、その場から消え去った。
「リシャン、OKです。場所は特定しました。既に包囲しているので捕まるでしょう」
「そう」
リシャンは屋上から下界を見つめる。もちろん、今あった出来事は他の人には何の関係もない事だ。いつもと同じ日常が続いていく。
「確保しました。強制スリープされているので、体を動かす事は出来ませんでしたので」
「‥‥‥‥」
リシャンは管理局本部との連絡員の男性の言葉には何も答えない。ただじっと見つめ、空の風に髪を揺らしている。「クロウ、次の標的は?」
「無許可のアバターを作成し、プログラム進行に深刻なダメージを与えてるテロリストがいます。そのテロリストに独自のシナリオを依頼した者がいるようで、同じこの世界に接続しているようです。不定期接続で回線を都度、ランダムに変更していて、現実世界での特定ができません。リシャンには、そのシナリオへの介入をお願いします。くれぐれもバグを助長させる‥‥」
男性‥‥クロウは任務内容を説明した。
「りょーかい」
この仮想世界に接続しているのは、リシャンが政府のエージェントであっても同じ事だ。だが、彼女にはリアル世界で戻るべき体がない。生成に失敗して、重度の身体障害者として生まれた彼女は統制政府預かりとなり、様々な技能を得て後、この世界でのみ活動できる事が出来るようになった。クロウはそんな彼女と管理局員との連絡手段であり、監視役でもある。
現実世界はこの世界よりも何世紀も遥かに時代が進んだ未来世界という事になる。
そこでは異常気象による超温暖化、環境汚染、有害な空気の発生、通年を通して発生する巨大台風‥‥もはや地上で人が自由に活動できる場所はなくなっていた。そんな世界に絶望した人類が、希望を持って作ったのが、コンピューター内の仮想世界で、人々は意識だけをそこに移す事で既に失われた自由な世界を謳歌していた。
だが、それを良しとしない一部の人々もいる。この世界を破壊して現実を直視するべきというのが、彼らの主張だった。
統制政府は、それらの主張を一切認めず、テロリストとして一掃する事に決め、その為の管理局が立ち上げられた。
「ふふ‥‥現実とこの世界‥‥何がそんなに違うのかしらね」
リシャンは笑みを浮かべ、次の場所へと向かう




