186 包囲される空域
数世紀ぶりに飛翔した箱庭世界は、整備が良く行き届いていたおかげで、大きなトラブルもなく月面から浮上した。
シグマとガンマの箱庭世界は太陽系外周から向かってきた。逃走するとすれば反対側‥‥太陽方面へと向かう事になる。
全力で速度を上げるが、その大きさ故に初速がなかなか上がらない。画面上の二つの世界との距離がどんどん縮まってきている。
「‥‥全く、面倒な時期に面倒な事を押し付けてくれたものね」
=‥‥‥‥=
リシャンは皮肉のつもりで言ったが、元統合政府の知識集合体の彼女は何も答えない。
「リシャン、規定の速度に達したようです」
パネルを見つめていたクロウが、すぐに次の移動手段の手配を行う。
「バーテロンドライブ起動して」
「了解‥‥行程の三番から十二番を省略して実行します」
リシャンが頷くと、知識集合体の彼女は頭をさげる。
不意に全ての外部カメラが闇に閉ざされる。
全ての光は進行方向に集約される。そこには針の先ほどの小さな光があるが、もちろんそれを確認する事は出来ない。
=速度0・8まで上昇しました=
「‥‥‥‥これ以上は速度は上げられないの?」
他の箱庭世界は少しずつこちらとの距離をつめてきている。
=これが限界です=
「‥‥‥‥」
このままではあと数分もすれば追いつかれてしまう。そうなれば戦うしかなくなるが、彼らとは半世紀の技術的遅れがある現状の武器では恐らく対抗出来ないだろう。
「あと三分で向こうの射程範囲に入ります。それも彼らがこちらと同じ攻撃範囲なら‥‥という仮定の話ですが」
「‥‥駄目か‥‥」
違う。いくら技術の差だけが結果だとすれば、私はあのリシャンに負けていただろう。
そうじゃない。出会った人々の想いが‥‥その記憶が私を支えてくれる。
今までも、そしてこれからも‥‥。
人間の意志の可能性を捨てた他の箱庭世界にはそれがない。
だから‥‥私は‥‥私達は負けない。
「‥‥‥‥」
スペックだけが力の差ではない。
「戦闘の意志がない事を伝えたらどうなるの?」
=彼らにはそのような風習はありません。通信を送っても恐らくは関係なく攻撃してくるでしょう=
「よく今まで平気だったよね」
=データ的遮蔽装置が有効でした。ですが、彼らはそれを見抜く技術を開発したようです=
「‥‥遮蔽装置」
リシャンは顎に手を当てて考え込む。
「それは今も使える?」
=一時的には可能ですが、すぐにパターンを解析されてしまうでしょう=
「どのぐらいの時間、有効かな?」
=最大見積もって十五秒程度でしょう=
十五秒程度、隠れて逃げたとしても、見つかった瞬間にあっと言う間に追いつかれてしまう。
「‥‥‥‥」
リシャンはパネルの地図を見つめる。太陽に近づいている。
「‥‥‥‥そうか‥‥もしかしたら‥‥」
リシャンはパネルに手を触れて画面を拡大させる。
「他の箱庭世界は人間が操作してないんだよね?」
=はい。ここと同じようにAIの集合体が管理しているはずです=
「彼らは結託してるの?」
=それはないと思います。行動理念として自分の箱庭の繁栄が最優先のはずですから=
それなら予想外の事が起きれば、対処が大幅に遅れるはず。
「太陽になるべく接近して脱出できる距離を計算して」
=表面から610万キロメートルです=
「その高度で全力で一周するのにかかる時間は?」
=14.8秒です=
「遮蔽時間ギリギリか‥‥」
迷ってる時間はない。
「620万キロメートルまできたら、右に回頭。箱庭世界の一つに向かって行って」
「なぜそんな事を⁈ 戦っても勝ち目はありませんよ」




