第13話 ミックスナッツ 6/7
『え、結婚してんの?』
「え、結婚してるんですか?」
「え、はい」
「え、だって、指輪とか」
「あー、だめなんですよね指輪。営業は指輪した方がいいって言われるんですけど、どうにもむずむずしちゃって」
ほぉーん。ちょっと待ってね。
『職場で結婚してるの隠してるとかあるの?!』
いやぁ、普通ないはずなんですけどね……
動揺を隠しながら、とりあえず会話を続けた。
「えっと……それって、みんな知ってます?」
「いやいや、知らない人の方が多いですね。総務部以外では、矢野部長と、勝村くらいかな。知ってるのは」
なにゆえ?
「同じフロアでも、広報部の方は部長も知らないはずですよ」
だからなにゆえよ。
『こう聞きなさい! あんまり知られないようにしてるのに理由とかあるんですか?って!』
「えっと、理由とか、あるんですか? 知られないようにしてるの」
チハルさん、ありがとう!
「いろいろ聞いてくる人いるじゃないですか。年の差はー? 出会いはー? 親との関係はー? 写真ないのー? とか、いろいろ」
「まぁ、そうですね」
いやそんな理由で?
「そういうの全部カットできるので、言わないようにしてたんです。で、そのうちに、なんか秘密にしてるみたいになっちゃったんですよね」
そ、そうなのか。
『つかそれはみたいじゃなくて秘密にしてるってことでしょうが』
そ、そうよね?
「意外でした? 既婚者って」
「えっ? あ、山本課長が? へーっと、ほうれふねー」
苦しまぎれにマカダミアナッツを口に入れながら答えた。
やはり味がしない。
もしかしたらショックで味がしはじめるかとも思ったけど、やはりしない。
「ごめんなさいね、同じ部署なのに、隠し事なんて」
「あー、いえいえ、それはいいんですけど、びっくりしちゃって」
「僕もびっくりしましたよ。さっきの」
さっきの?
山本課長は私の反応を見るつもりがないかのように、体の向きを横向きから、完全に正面に向けた。
さっきのって、あれのこと?
私と付き合ってくださいよーってやつ?
それで、この人は、結婚しててもいいならいいみたいなこと、言わなかった?
『珠美、トイレ! ブレイク! ブレイク!』
チハルさんに言われてハッとした。
「すみません、ちょっとトイレいきます」
「ええ」
**********
「トイレブレイクかー、焦ったときにはいいわね」
『のんきなこと言ってんじゃないわよ!』
「えー? なんで?」
チハルさんが耳元で怒鳴った。
個室と手洗いをわけるドアがある広いトイレには、他に人がいない。
『なんでって、あんた結婚うんぬん無かったことにして、そのまま行くつもり?』
「こうなったらもう寄りかかった稲でしょ」
『それを言うなら乗りかかった船よ!』
「こういう話できるからチハルさん好きなのよね」
『あと今のあんたはほんとに寄りかかった稲じゃないのよ! 場の空気に流されまくりよ!』
「うまいこというね」
『じゃなくて! 職場の既婚者行くとかやめときなって! それにあの口ぶりは結構クズだから!』
「まぁそうだけどさー、もういいじゃん」
チハルさんが黙ってしまった。
怒られるかもしれない。
『あんた……ほんとにもう、今日でやめたいのね』
「…………うん」
うつむいて、子どものような声で応えた。
「処女も、そこから抜け出そうとするのも、もう嫌なのよ」
『…………』
「ごめんね……チハルさんは、一年ちゃんと頑張ったのに、こんなこと言って」
『……私のことはいいのよ』
すごく優しい声だ。
『私のことはいいから、あんたは自分のこと、大事にしてよ』
言われても、ピンと来ないくらい、心が疲弊しているのがわかる。
そっか、バーに来てから味がわかんなくなってたのって、これかもしれない。
お酒の味はわかったのにね。
そう思えばチハルさんとの繋がりは処女であり、お酒でもあったわけだよね。
出会いも、お酒がらみだったし。
へへ、お酒の味はちゃんとわかるままだったのは、嬉しいな。
チハルさんへの言葉がまとまらないでいると、向こうから口を開いた。
『まぁ、ここからどうなるかはほんとにわかんないし、だけど、「やっぱりやめます!」ってハッキリ言う勇気だけは、なくしちゃダメよ。ベッドの中でも、それを言う権利はあるんだからね!』
「うん……ありがとう」
トイレのドアを開けた。
**********
「大丈夫ですか? もどしたり、しました?」
山本課長が心配そうに言う。もはやわざとらしくも思えた。
「いやいや! まさか! 明るいトイレでゆっくりしたら、酔いが楽になりました」
言いながら席に座る。
チハルさんと声を出して話したせいか、本当に酔いはかなり低減されていた。
「よかったです。ちゃんと帰さないと瀬田さんに怒られますから」
うーん。
暗に「帰る帰らない」の方向に話を持っていってる気がするなぁ。
「どうします? もう1杯、飲みます?」
言われて目の前のグラスを見た。
スクリュードライバーの残りは溶けた氷のせいで、オレンジ色がかなり薄くなっていた。
どうしよう。
飲んでもいいけど、飲まなくてもいい。
だけど、このまま行けば今日全てを終わらせられそうな予感に、身を委ねたくもある。
グラスをあおって、薄味のカクテルを飲み干した。
そして、アーモンドを口に入れたとき、ドアベルが鳴った。
何の味も感じない視界の外で店のドアが開いたのだとわかった。
「1杯だけよ! すぐ終わるって!」
「いいよ、好きなだけ飲みなよ。2杯以上飲むなら俺帰るから」
「ゆうくん!」
振り返ると、早川主任と佐山くんがいた。
口いっぱいにアーモンドの渋皮の苦味が広がった。




