第9話 ハマチのヅケ 7/7
驚いてその人を見たが、誰だかわからない。
年は近いように思う。
『お、来たわね。男運』
なんかもうきっかけにひねりがなくなってるんだけど。
なんなのよ、正面から声かけるって。
「え!? うそ! 佐山くん?!」
ようやくわかった。
高校時代、野沢と仲がよかった佐山優斗くん。
野沢を介して何度か深めに話したことはあったし、私の高校時代の男友達と言えば、この佐山くんくらいしかいないだろう。
本当に、珍しく、仲良くなった男子だった。
「須藤さん、ここ近いの?」
高校の同級生のコートに包まれたスーツ姿は様になっていた。
細かいところまで見る余裕はないが、靴も髪もネクタイもきれいで、ちゃんとしているように見えた。
「う、ううん。駅違うけど、そこで買い物してたの」
思わず手に持った紙袋を持ち上げて言った。
すかさずチハルさんが指摘する。
『男に下着屋の紙袋見せてんじゃないわよ』
くっ。
「へー。そうなんだね」
佐山くんは特に動じた様子もなかった。
おそらく、ただの服だと思ったのだろう。
「佐山くんは、この近く?」
「うん。15分くらい歩くけどね。ここが最寄りだよ。今からここで晩飯買って帰る」
「あ、そうなんだ。私も今から入るとこ」
「奇遇だね。なにがいいか教えてあげようか?」
「なによそれ。いいわよ。だいたいわかるから」
「遠慮しなくていいって」
「してないって!」
軽口を叩き合って、店内に入った。
「須藤さんの最寄り、ここじゃないんだったら、たくさん買えないね」
「うん。だからすぐ食べれる晩ごはんくらいにする」
「あー、確かにここのご飯ものはよさそうだもんね。いろいろあるし」
「そうなのよ」
店に入ってすぐのところが、お弁当などのご飯もののコーナーになっていた。
丼もの、弁当、麺類、いろいろある。
が、どれもピンと来なかった。
「え、待って、ここお刺身あるじゃん」
半額シールのせいで目についたのはアジの刺身のパックだった。
それに佐山くんが応じる。
「そうなんだよ。珍しいよね。ここの系列店だと、あんまりないよね」
そこまで詳しくは知らないが、刺身や生肉までは置いていないイメージだ。
「うん。あんまりないイメージ」
「でもさ、お刺身って難しくない?」
「え、なにが?」
「いや、こういう、切られてるパックのって割高でしょ?」
佐山くんが指さしたのは、私が見ていた、半額になっている刺身だった。
一口大に切られて、ツマとともに盛り付けられた、刺身パック。
「うん」
「だから、俺はいつも、こういう、柵で買うんだけど」
佐山くんはそう言って、売り場に陳列されているパックに視線を送った。
私もその視線を追う。
鯛。養殖。小さな腹身で868円。高いな。
「うん」
「そうするとさ、多すぎるわけよ」
「あー。飽きちゃうしね、一種類だと。早く食べないといけないしねー」
「一緒に食べてくれる人でもいたら……まぁ、違うんだけどさ」
「あ、だったらさ……」
このとき私は、チハルさんが勢いよくこちらを見たのを感じた。
あまりにも速く、大きな動きだった気がする。
そしてそれは、あとでわかったが、気のせいではなかったらしい。
チハルさんは、私の「だったらさ」に続く言葉に、ものすごく期待していたようだったが、このときは「そんなこと」は考えもしなかった。
「だったらさ、ヅケにするといいよ」
「……へ、へー、そうなんだ」
佐山くんはなんだか不思議な表情をしている。
驚きと、拍子抜けを混ぜたような、そんな顔。
ヅケ知らない?
そんなことないよね?
「やり方は簡単だよ。ネットですぐ出てくるし。ジップロックがあれば便利だけど、深めのお皿でもできるし」
「あー、そうなんだねー。じゃあ今日早速やってみようかな」
「いいと思うよ。味付けはめんつゆにちょっと醤油足す感じでやってみて」
「……うん! そうだね」
そう言って佐山くんはハマチのパックをかごに入れた。
**********
ふたりそろって店を出た。
結局私はパスタソースとドレッシングを買い、佐山くんはハマチの刺身を柵で買っていた。
「なんか、私らふたりとも中途半端な買い物だね」
「ほんとだね。それじゃ、気をつけて」
「うん。今度野沢とか絡めて飲もうね」
「あ! 野沢?! まだ連絡とってるの?」
「たまーにだけどね」
「そうなんだね……それじゃ」
「うん」
佐山くんは改札に入らず階段の方へ、私は改札を通ってホームを目指して歩いた。
帰宅ラッシュのピークは過ぎた時間だが、それなりに人通りはある。
『あんたさ、やる気あるわけ?』
駅の中を歩く私の肩に乗って、チハルさんが言った。
怒ったような、あきれたような口調だ。
「な、なにが?」
小さな声で答えた。
人は、至近距離にはいないが、そこら中を歩いてはいる。
念のため、フェイクでワイヤレスイヤホンを耳につけた。
『なにがって……さっきの、佐山くんだっけ? わかりやすく誘ってくれたのに』
「……誘ってた?」
『ほんとにわかんなかったの?』
「どこのこと? さっきの会話の」
『言ってたじゃん! ……刺身ってさ……難しいよな……ひとりじゃ余っちまうし……フッ』
そんな言い方はしてないわよ。
『一緒に食べてくれる人がいたら……フッ……須藤さん、今夜、部屋で一緒に、どう? そのあと、キミのことも食』
「待って! 部屋で一緒にどうとは聞かれてないわよ!」
『だからあんたがその前にヅケだのなんだのワケわかんないこと言い出したんでしょうが!』
くっ。マジか。
『晩酌とオナニーに力入れ過ぎなのよあんたは!』
言い返したいが図星だった。
『あーあ! せっかくの男運アップも、これじゃ役に立たないわ』
……そんな。
今まさに目の前にあったチャンスを、棒に振ったっていうの?
肉棒を?
その瞬間、体中に桃色の電流が走った。
『今ごろキてどうすんのよー!!』
**********
佐山優斗は歩きながら、小さな声でつぶやいた。
「どうしてあんなこと言ったんだろ、俺」
久しぶりに会った高校時代の同級生を、自宅に誘おうとうするなんて、今までの自分では考えもしなかった。
なにか、不思議な力に後押しされたような、そんな気がする。
久しぶりに会って、大人っぽくなっていた同級生が、ものすごく魅力的に見えたのか?
誰にも聞こえない問いかけだった。
「……魅力的、だったのかな」
つぶやいた声が12月の冷えた空気に溶けた。
須藤さんが引いてなかったのが、せめてもの救いだな。
いや、そうか、相手にされてなかっただけかもな。
**********
茹でたスパゲティに温めたソースを絡めただけの簡単な夕食を済ませた。
食器を片付けたあと、行き場がなくなった性欲も片づけた。
局部をティッシュで拭きながら、ふと考えた。
もしあの誘いに乗ってたら……今頃は……
くっそー
佐山くんはおかずとしてだけではなく、相手としても悪くなかった。
高校時代から知っているから、安心感はある。
付き合ったとしても、出会い方を詮索されても堂々と答えられる。
見た目も抵抗感を抱くような感じじゃない。
なにより、スムーズに会話ができるくらいの仲だ。
そんな男友達は、ほかにいない。
……でもどうして、佐山くんと仲良くなったんだっけ。
第9話 おわり




