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第8話 鶏むねチャーシューと手羽唐 1/4

 29歳OLの須藤珠美は「30歳になるまで処女のままだと妖精になる」という運命の元、妖精チハルとともに、1年間を過ごすことになった。

 この1年は出会いの運が劇的に向上するとのことだが、すでに珠美はその運に振り回されている。

 果たして珠美は妖精にされる前に処女喪失をすることができるのか。



 **********



 11月16日 月曜日 7時45分


 出勤前に部屋のゴミをまとめた。

 今日は燃えないゴミの日。

 ゴミ袋の中の空き缶はほとんどが酒類だった。

 そして、同じ袋の中に、ひときわ大きい空き瓶。

 ほとんど飲まなかったスパークリングワインのボトルだ。

 このボトルを見ていると、土曜日の、野沢との一件を思い出す。

 高校時代の同級生が突然訪ねてきて、ご飯とお酒を囲んで、好きだと打ち明けられた。

 うろたえながらドジをやらかすと、彼女は気を遣うように帰っていった。


『もったいなかったわねー。ほとんどこぼして飲めないんだもん』


 妖精のチハルさんがシューズボックスの上から私に言う。


「しょうがないよ。いきなり打ち明けられたんだもん、誰だって、焦ってうろたえちゃうよ」

『ふーん……』

「……なに?」

『いや、あんたさ、ホントにうろたえてたの? あれ』

「どういう意味?」

『うろたえたフリをして、うやむやにしようとしてたんじゃないの?』


 チハルさんの言い方は、図星をつついてからかうような、意地悪な言い方じゃない。

 チハルさんは、私をからかってはくるが、私に意地悪を言うような人じゃない。

 さっきの言葉も、突かれたくない核心を突くものの、なんとなく、優しさを感じる言い方だ。

 優しい言い方で、続けてくる。


『はっきり拒絶する勇気が持てなくて、うろたえたフリをして、向こうから取り下げてくれることを期待してたんじゃないの?』

「なんでそんなことチハルさんにわかるのよ」

『いや、わかんないんだけどね』

「それって、チハルさんがそういう人だってだけなんじゃないの?」


 うわ。

 嫌な言い方した。


『……そうかもね』

「……ごめん」

『いいわよ。実際そうかもしれないし』

「ほんと……ごめんね」

『ま、打ち明けるのも断るのも、勇気が要るってことよ。でもどっちもしないままだと、お互い前に進めないってことでしょ?』

「そうかも」

『私が言いたかったのは、できるだけごまかしたりしないで、前に進みなさい!ってこと。野沢の勇気を見習って、ね』

「うん」


 ほんと、前に進まないとだめだ。

 29歳まで、ろくに勇気も出さないで、ろくでもない女になろうとしてる。

 まともな女にならないと。


『ほんじゃ、今週も頑張ろうね!』

「うん。ありがとう」

『男づくり』


 いや、仕事ね。と以前なら言い返していたかもしれない。

 でも今は、そうしようとは思わない。


 早く男作って、まともな女にならなきゃ。


 通勤の鞄とは別に、ゴミ袋を持ち上げる。



 **********



『ところで、山本課長は大丈夫だったのかしらねー』


 すでに職場に着いているので、小さくうなずくだけで返事をした。

 着替えを済ませて、更衣室からオフィスへ続く廊下にいる。


 確かに気になる。

 土曜日の昼前の映画館。

 お母さんがギックリ腰になったと言っていた。

 実家暮らしなのだろう。とりわけ土日はお母さんやおじいさんの身の回りのことをしてあげていたのだろうか。

 野沢の一件のせいでほとんど忘れかけていたが、あのときのことを思い出した。


 あれはなかなかよかったなぁ……

 私服の山本課長……

 手を触ってきた勝村課長……

 長文の日記を残しちゃうレベルだ。


 うへへへえへえへ、と声になりそうな笑いをかみ殺しながら、オフィスのドアを開けた。


 中に入ってすぐに、社員の予定がわかるボードを見に行った。

 勝村課長と山本課長の出勤状況を確認した。

 勝村課長は取引先に直行のため今は不在。

 山本課長はいつものデスクにいた。

 歩いて近づき、声をかけた。


「山本課長」

「? ああ、おはようございます」

「おはようございます。お母さん、大丈夫でした?」

「あ、はい! 大丈夫でした。お騒がせしましたね」


 山本課長が恥ずかしそうに小さな笑顔を見せた。


 くぅ。

 こういう表情に弱かったのかな? 私。

 それとも、あと1年っていうリミットができたから、意識しちゃってるだけなのかな……


「映画、代わりに観てくれてありがとう。どうでした?」

「おもしろかったですよ!」

「……ほんとですか?」


 気を遣っているんじゃないか、という疑いの目を彼が向けてくる。


「本当ですよ! 私、あんまりアニメ映画とか観なかったので、それだけで新鮮でした! ストーリーもよかったですし」

「勝村、うるさくなかった? 映画終わった後、特に」

「いえ、意外に紳士的でした。そのまますぐに帰してくれたので」

「そりゃ意外だ」


 山本課長がまた笑顔を見せてくれたので、こちらも笑ってしまった。


「でも、ランチには誘ってきましたよ。1回断ったら、それっきりでしたけど」

「なんか詳しく聞いたらもっと面白そうだけど、そろそろ始業だから、またあとで」

「あ! はい! そうですよね! ごめんなさい!」



 **********



「須藤さん。朝の、なんだったんですか?」

「なにって?」


 昼休み。ここみちゃんとのお弁当の時間。

 今日は雨なので社内の空いている会議室を使っている。

 大きめの1室で、2,3人のグループが少しずつ離れて座っている。

 ここみちゃんのお弁当は相変わらず可愛くて、私のお弁当は相変わらず酒が欲しくなる。

 それぞれのお弁当を食べ始めてすぐに、ここみちゃんが聞いてきた。

 周りに聞こえないように、声を落としている。


「なにって! 山本課長とめっちゃいい感じだったじゃないですか!」

「あぁ、あれ?」

「あれです!」


 ここみちゃんの口調は強いが、責め立てるというより、楽しんでいるように見える。


「別に……なにってわけじゃないけど……土曜日、たまたま映画館で一緒になったの」

「一緒に映画観たんですか?!」

「いや、そうじゃなくて……山本課長と勝村課長が、ふたりで映画観に来てて……で、山本課長に急用ができたから、私が代わりに勝村課長と一緒に観ることになったの」

「須藤さんは、ひとりだったんですか?」

「うん。ひとりで、なにか映画観ようと思って行ったんだけどね……」

「ふーん……まぁ、もっと詳しく聞きたいですけど、ここでは我慢しときます」

「そ、そう?」


 ここで周りにいる人に聞かれて、噂になっても、良いことなどなにもない。

 そういう配慮をここみちゃんがしてくれているのだろう。


 それにしても、さっきここみちゃん、なんて言った?!


『よかったねー。いい感じに見えたんだってさー』


 そう!

 それよチハルさん!

 結構いいかも知れないわよね? 山本課長ルート!

 職場の上司といい感じになるなんて、なかなかいいんじゃないかな?

 知り合いに話すときとかも、普通に言えるもんね。

「出会い? 職場で。上司なの」

 いいじゃんいいじゃん。


『もの食べながらニヤけてんじゃないわよ気持ち悪い』


 うるさいな。


 チハルさんは私のお弁当の近くに居座り、ここみちゃんの目を盗んでは私のお弁当をつまみ食いしている。


「あ、ところで、どうですか? これ」


 ここみちゃんがスマホを取り出し、画面を見せてきた。


「なに? これ」

「ジムです」


 それくらいはわかる。


「なんかネットニュースで流れてきたんですけど、興味ないですか?」


 ジムか……


「今なら初回体験無料。以降1時間体験が3回まで1000円で。1年間利用料半額、入会金無料、だそうですよ。で、ここから1駅離れた駅前に、できるそうです」

「うーん」


 ジムかぁ……


「あんまり、興味ないですか?」


 私が思案しているのでここみちゃんが不安そうに聞く。


「いや、逆。むしろ興味あるのよ」

「そうなんですか?」

「うん。基本、運動不足だからさ」


 それに、野沢との一件のせいかもしれないが、ものすごくモヤモヤというか、体を動かしてストレス発散したい、という気にもなっていた。


「じゃあ、行きましょうよ」

「うーん。それがねぇ……興味あるから、ジムとか調べてみたことがあったんだけどね」

「はい」

「ほら、なんかおっさんが声かけてくる、とか、ネットで見てさ」

「あー! はいはい。いろいろ教えてくるんですよね。頼んでもないのに。出会い求めてジム行くやつとか。キモいですよね」


 いやそれはいいだろ。

 出会い求めるくらい。

 おっさんが年の離れた若い女にここぞとばかり食いつくのはキモいけど。


「だからさ、そういう、近寄ってくるおっさんとかがいると、嫌だなって」

「それなら大丈夫です。見てください、これ」

「ん?」


 ここみちゃんがもう一度スマホの画面を見せてきた。

 そこには大きく目立つフォントで、「当社独自ルールを採用!」と書かれていた。


「男性から女性への声かけを当社では【迷惑行為】として規定! 絶対におやめください!」

「また、そのような行為を受けた、または見かけた場合はお近くのスタッフまたはカスタマサポートへご連絡ください。繰り返される場合は退会処分とさせていただきます!」


「……すごいね」


 言うとここみちゃんが嬉しそうに笑った。


「でしょ?! 全ジムこういうのをやってほしいんですよね。これなら行きたくないですか?」

「いいね。行ってみたい」

「ほんとですか?!」

「うん」


 だって女からは声かけていいんでしょ?


「じゃあ、じゃあ、今度の土曜日、行きませんか?」

「オッケー」




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