第7話 あさりの酒蒸し 5/5
コルクは軽快な音を立ててボトルから外れた。
そのコルクは、そのまま私の手の中にとどまらなければいけなかったはずだ。
野沢が言うように、布巾で覆いながらコルクを外していれば、ちゃんと手で受け止められたはすだ。
しかし、ほろ酔いの私の手のひらを、いとも簡単に突破した。
目で追うことさえできない速度で飛んでいくコルク。
幸い、一直線にカーテンに飛び込んでくれたので、ガラスが割れるなどの二次災害にはつながらなかった。
しかし、別方面の二次災害があった。
コルクが勢いよく飛び出したことで、ボトル内部に一気に空気が流れ込む。
勢いよく入った空気が中の液体をかき回し、一気にその体積を増大させた。
要は、吹き出した。
やば。
野沢はコルクの行方を気にして、部屋の隅の方を見ていた。
ボトルの異変に気づかない彼女の身体に、吹き出したスパークリングワインが、飛びかかる。
ごめん、野沢。
そしてチハルさんも、ごめん。
泊まり確定かも……
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「ほんじゃ、タオルと部屋着、洗濯機の上に置いてるから、使ってねー」
「ありがとー」
浴室の中から野沢が返事をする。
スパークリングワインを頭からかぶった野沢は慌てていたものの、怒ったりはしなかった。
「シャワーのまま、お湯張っちゃってもいいから。好きにしてね。お湯張るなら私も入るから、抜かないでね」
「はーい。ありがとー」
野沢の返事が、ゴウンゴウンという洗濯機の音に重なる。
幸い野沢の下着までは濡れなかったので、着ていた服だけを洗っている。
まいったな……
『ちょっと!』
「……はい」
予想通り、チハルさんの抗議が始まった。
『どうすんのよ? このままじゃお泊まりになっちゃうよ!』
「う、うん……ほんと、申し訳ない」
小声で返事をした。洗濯機の動く音や浴室のお湯が出る音で、野沢には聞こえないはずだ。
『なにが?』
チハルさんから、予想もしない言葉を言われた。
「な、なにがって? 泊まりになっちゃったら、チハルさん、自由に動けないじゃん。それに文句言ってるんじゃないの?」
『それはもういいわよ』
「い、いいの?」
『いいわよ。私が言ってるのは、このままお泊まりになったら、今夜なにか起きるわよ、ってことよ』
「そっちか……」
確かに、告白してきた相手に「泊まってもいい」なんて言ってしまうと、気を持たせることになるかもしれない。
『なんなら、この際だから今夜のうちにキメちゃって、さっさと私を解放してよ』
「どの際よ」
でも確かに……シチュエーションとしては、そっちに流れてるわよね。
ふたりきりで宅飲みして、「前から好きだった」と告白されて、私のドジによるハプニングで服を洗うことになって、多分夜までには服は乾かないから泊まるしかない。
身を委ねてしまえば、チハルさんが言うように、今日ですべてが片付くだろう。
『恋愛にしろ、パートナーづくりにしろ、いろんな形があるからね』
いちいち後押ししてくるチハルさん。
「ちょっと待ってよ! 私はまだ、オッケー出したわけじゃないんだからね」
チハルさんから逃げるように、言いながら脱衣所を出た。
当然、チハルさんは追ってくる。
『そもそもさ、あんたが今日まで処女だったのって、男がそんなに好きじゃなかったってことも、あるんじゃないの?』
「いや……そんなこと……」
そんなこと、意識したこともなかった。
確かに、さきほどご飯を食べていたときに、強い性的な衝動に襲われたことは否定できない。
その衝動は、高校時代の友達から告白されるという驚きでかき消されたが、衝動があったことは確かだ。
いやいや! あれはただの性欲のスイッチじゃん!
女同士でエッチしたいとか、そういう欲求とはまた別でしょ!
落ち着くために、リビングのテーブルの前に座った。
テーブルの上にはさっきまでふたりで食べていた料理がまだある。
ワインがこぼれた場所はしっかりと拭いたつもりだが、部屋はほのかにお酒の匂いがする。
『嫌ならいいと思うよ。でも、そんなにめちゃめちゃ嫌でもなさそうに見えたのよ』
「いきなり言われても……」
言いながら、テーブルの上のワインボトルを持った。
まだ少し中身が残っていたので、コップに注いだ。
「飲む?」
『ありがと。キッチンだとお酒飲めなかったからさー』
「ごめんね、料理は『余った分置いてる』って言えるけど、お酒は向こうに置く言い訳できなかったから」
『わかってるわかってる。いいわよ別に』
チハルさんではコップを持てないので、私が持ち上げて飲ませてあげた。
『んー! 炭酸抜けてるけど、おいしいじゃん!』
気楽なもんね。
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「ねぇー! 珠美ー!」
脱衣所から野沢の声が聞こえる。
「はーい。なにー?」
野沢がそろそろ出てくる。
そう思うと、少しだけ憂鬱になってしまう。
嫌いとかじゃないけどさ……気まずくなるのは、ちょっとね……
しかし、気まずくなるのを避けるのはどう考えても無理だ。
いろいろと考えている私に、野沢が言う。
「やっぱさー、服貸してくれない? 私帰るわー!」
「えっ?」
「いや、やっぱ急に来て泊まるのは申し訳ないからさー。布団もないんでしょ?」
「う、うん……布団は、ないね」
「ごめんね、服はまた取りに来るから。借りた服もそのとき返すし。それでいい?」
「……うん……あ、じゃあ、服出すね! ちょっと待ってて」
「ごめんねー、ありがとー。でも元はと言えばあんたが私にお酒ぶっかけたからなんだからねー」
「わかってるわよ! ごめんってば!」
野沢はお風呂の間に自分なりに考えて、帰るという選択をしたようだった。
**********
15分後。野沢の後ろ姿をマンションのエントランスで見送った。
時刻は午後7時。
落ち込んでなさそうに、いつもと変わらないように振る舞いながら帰っていった野沢。
家は近くはないが、1時間と少しもあれば着くはずだ。
あまり長い間、後ろ姿を見送る気にならなかったので、早々に6階へ戻った。
玄関に入り靴を脱ぐと、チハルさんが声をかけてきた。
『心中お察しするわよ』
「……ほんと?」
『ほんとよ!』
チハルさんは真剣に答えてくれた。
『だって、告白してきた相手が、えーっと、ずっと仲良かった友達……で、女同士……家でふたりっきり……』
チハルさんの方を見ると、なにやら指を折って数えている。もう3本折っている。
『ほろ酔い……ハプニングでお酒がかかる……お風呂入る……ほら、跳ねたわよ』
6本目の指を折った手を見せながら力強く言ってきた。
「……チハルさんは、男よりも女よりもギャンブルが好きだったのね」
リビングに入って、ベッドに寝転んだ。
チハルさんが顔のそばに来る。
『ちがうって! 私が言いたいのは! あんたも今日は大変だったわね! ってこと!』
「……そうだね。ありがとう」
『あと麻雀では賭けてないから! 公営ギャンブルのみよ!』
「わかったわよ」
なんかもうこのまま寝ちゃえるくらい疲れたわ……
『大丈夫よ。ずっと友達だったんだから。また仲良く遊べるわよ』
「……そうかな?」
『そうよ! 女同士、不安になることないじゃん!』
「女同士って言ってもさー。向こうは私に告白してきたんだよ?」
『だからなによ。女が好きな女と、男が好きな女でしょ? 女同士じゃん。友達になれない理由どこ? あんたがきっぱり断れば、向こうも新しい相手探すだけよ』
「……そうだね」
『そうよ!』
野沢にお断りのメッセージを送れたのは、それから30分後だった。
既読はすぐについて、返事も来た。
それに安心して、眠りに落ちた。
第7話 おわり




