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第7話 あさりの酒蒸し 5/5


 コルクは軽快な音を立ててボトルから外れた。

 そのコルクは、そのまま私の手の中にとどまらなければいけなかったはずだ。

 野沢が言うように、布巾で覆いながらコルクを外していれば、ちゃんと手で受け止められたはすだ。

 しかし、ほろ酔いの私の手のひらを、いとも簡単に突破した。


 目で追うことさえできない速度で飛んでいくコルク。

 幸い、一直線にカーテンに飛び込んでくれたので、ガラスが割れるなどの二次災害にはつながらなかった。

 しかし、別方面の二次災害があった。

 コルクが勢いよく飛び出したことで、ボトル内部に一気に空気が流れ込む。

 勢いよく入った空気が中の液体をかき回し、一気にその体積を増大させた。

 要は、吹き出した。


 やば。


 野沢はコルクの行方を気にして、部屋の隅の方を見ていた。

 ボトルの異変に気づかない彼女の身体に、吹き出したスパークリングワインが、飛びかかる。


 ごめん、野沢。

 そしてチハルさんも、ごめん。

 泊まり確定かも……



 **********



「ほんじゃ、タオルと部屋着、洗濯機の上に置いてるから、使ってねー」

「ありがとー」


 浴室の中から野沢が返事をする。

 スパークリングワインを頭からかぶった野沢は慌てていたものの、怒ったりはしなかった。


「シャワーのまま、お湯張っちゃってもいいから。好きにしてね。お湯張るなら私も入るから、抜かないでね」

「はーい。ありがとー」


 野沢の返事が、ゴウンゴウンという洗濯機の音に重なる。

 幸い野沢の下着までは濡れなかったので、着ていた服だけを洗っている。


 まいったな……


『ちょっと!』

「……はい」


 予想通り、チハルさんの抗議が始まった。


『どうすんのよ? このままじゃお泊まりになっちゃうよ!』

「う、うん……ほんと、申し訳ない」


 小声で返事をした。洗濯機の動く音や浴室のお湯が出る音で、野沢には聞こえないはずだ。


『なにが?』


 チハルさんから、予想もしない言葉を言われた。


「な、なにがって? 泊まりになっちゃったら、チハルさん、自由に動けないじゃん。それに文句言ってるんじゃないの?」

『それはもういいわよ』

「い、いいの?」

『いいわよ。私が言ってるのは、このままお泊まりになったら、今夜なにか起きるわよ、ってことよ』

「そっちか……」


 確かに、告白してきた相手に「泊まってもいい」なんて言ってしまうと、気を持たせることになるかもしれない。


『なんなら、この際だから今夜のうちにキメちゃって、さっさと私を解放してよ』

「どの際よ」


 でも確かに……シチュエーションとしては、そっちに流れてるわよね。


 ふたりきりで宅飲みして、「前から好きだった」と告白されて、私のドジによるハプニングで服を洗うことになって、多分夜までには服は乾かないから泊まるしかない。

 身を委ねてしまえば、チハルさんが言うように、今日ですべてが片付くだろう。


『恋愛にしろ、パートナーづくりにしろ、いろんな形があるからね』


 いちいち後押ししてくるチハルさん。


「ちょっと待ってよ! 私はまだ、オッケー出したわけじゃないんだからね」


 チハルさんから逃げるように、言いながら脱衣所を出た。

 当然、チハルさんは追ってくる。


『そもそもさ、あんたが今日まで処女だったのって、男がそんなに好きじゃなかったってことも、あるんじゃないの?』

「いや……そんなこと……」


 そんなこと、意識したこともなかった。

 確かに、さきほどご飯を食べていたときに、強い性的な衝動に襲われたことは否定できない。

 その衝動は、高校時代の友達から告白されるという驚きでかき消されたが、衝動があったことは確かだ。


 いやいや! あれはただの性欲のスイッチじゃん!

 女同士でエッチしたいとか、そういう欲求とはまた別でしょ!


 落ち着くために、リビングのテーブルの前に座った。

 テーブルの上にはさっきまでふたりで食べていた料理がまだある。

 ワインがこぼれた場所はしっかりと拭いたつもりだが、部屋はほのかにお酒の匂いがする。


『嫌ならいいと思うよ。でも、そんなにめちゃめちゃ嫌でもなさそうに見えたのよ』

「いきなり言われても……」


 言いながら、テーブルの上のワインボトルを持った。

 まだ少し中身が残っていたので、コップに注いだ。


「飲む?」

『ありがと。キッチンだとお酒飲めなかったからさー』

「ごめんね、料理は『余った分置いてる』って言えるけど、お酒は向こうに置く言い訳できなかったから」

『わかってるわかってる。いいわよ別に』


 チハルさんではコップを持てないので、私が持ち上げて飲ませてあげた。


『んー! 炭酸抜けてるけど、おいしいじゃん!』


 気楽なもんね。



 **********



「ねぇー! 珠美ー!」


 脱衣所から野沢の声が聞こえる。


「はーい。なにー?」


 野沢がそろそろ出てくる。

 そう思うと、少しだけ憂鬱になってしまう。


 嫌いとかじゃないけどさ……気まずくなるのは、ちょっとね……


 しかし、気まずくなるのを避けるのはどう考えても無理だ。

 いろいろと考えている私に、野沢が言う。


「やっぱさー、服貸してくれない? 私帰るわー!」

「えっ?」

「いや、やっぱ急に来て泊まるのは申し訳ないからさー。布団もないんでしょ?」

「う、うん……布団は、ないね」

「ごめんね、服はまた取りに来るから。借りた服もそのとき返すし。それでいい?」

「……うん……あ、じゃあ、服出すね! ちょっと待ってて」

「ごめんねー、ありがとー。でも元はと言えばあんたが私にお酒ぶっかけたからなんだからねー」

「わかってるわよ! ごめんってば!」


 野沢はお風呂の間に自分なりに考えて、帰るという選択をしたようだった。



 **********



 15分後。野沢の後ろ姿をマンションのエントランスで見送った。

 時刻は午後7時。

 落ち込んでなさそうに、いつもと変わらないように振る舞いながら帰っていった野沢。

 家は近くはないが、1時間と少しもあれば着くはずだ。

 あまり長い間、後ろ姿を見送る気にならなかったので、早々に6階へ戻った。

 玄関に入り靴を脱ぐと、チハルさんが声をかけてきた。


『心中お察しするわよ』

「……ほんと?」

『ほんとよ!』


 チハルさんは真剣に答えてくれた。


『だって、告白してきた相手が、えーっと、ずっと仲良かった友達……で、女同士……家でふたりっきり……』


 チハルさんの方を見ると、なにやら指を折って数えている。もう3本折っている。


『ほろ酔い……ハプニングでお酒がかかる……お風呂入る……ほら、跳ねたわよ』


 6本目の指を折った手を見せながら力強く言ってきた。


「……チハルさんは、男よりも女よりもギャンブルが好きだったのね」


 リビングに入って、ベッドに寝転んだ。

 チハルさんが顔のそばに来る。


『ちがうって! 私が言いたいのは! あんたも今日は大変だったわね! ってこと!』

「……そうだね。ありがとう」

『あと麻雀では賭けてないから! 公営ギャンブルのみよ!』

「わかったわよ」


 なんかもうこのまま寝ちゃえるくらい疲れたわ……


『大丈夫よ。ずっと友達だったんだから。また仲良く遊べるわよ』

「……そうかな?」

『そうよ! 女同士、不安になることないじゃん!』

「女同士って言ってもさー。向こうは私に告白してきたんだよ?」

『だからなによ。女が好きな女と、男が好きな女でしょ? 女同士じゃん。友達になれない理由どこ? あんたがきっぱり断れば、向こうも新しい相手探すだけよ』

「……そうだね」

『そうよ!』


 野沢にお断りのメッセージを送れたのは、それから30分後だった。

 既読はすぐについて、返事も来た。


 それに安心して、眠りに落ちた。




 第7話 おわり

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