第7話 あさりの酒蒸し 4/5
いや「ほお」じゃないわ。
「そうなの?」
「……わかんない」
野沢が伏し目がちに言う。
わからない。
なるほど。
そういう感覚になるのか。
「かもしれない」って言ってたもんね。
「え? あのさ、今まで野沢が付き合ってた人は?」
「んー……それはそれで、まぁ好きではあったんだよね」
「へー」
くそぅ。
まだ男行けてないのに男行き終わったやつの話聞くのか。
「でも、なんていうか……それは、付き合う相手は男の人っていう前提に、私がいたから、そうしてたっていうのかな」
「へー」
まだ男行けてないのに男行き終わったやつの話聞くのか。
「今、別れちゃうかもしれない人も、好きではあったんだけど、ほんとの自分で向き合ってなかったって、言うのかな」
「うん」
まだ男行けてないのに男行き終わったやつの話聞くのか!
「ごめんね、こんなこと、珠美にしか言えなくて」
「あ、私にしか言ってないんだね」
「うん、姉とか妹とかいたら、話してるのかも知れないけど……」
「意外に、そういう身内にこそ言えないのかもよ」
「うん……珠美はさ、引かない?」
「野沢が男よりも女の人を好きなこと?」
「う、うん」
『え、そんな話になってんの?』
ややこしいタイミングで入ってくるなこの人。
チハルさんがK-POPの動画につられてリビングに飛んできた。
「引かないわよ。言ってくれた人は、今までいなかったけど。言わないだけで、言えずにいる人ってやっぱりそこそこいるでしょ。それに、本人には、深刻っていうか、大事なことだしさ。それで引いたら友達とは言えないわね」
「そっか……ありがとう。そう言ってもらえて、気が楽になった」
『うーん、これはこれで、いい展開かもね』
なにがよ。
チハルさんに反論しようとしたとき、ちょうど昨日、チハルさんとしたやり取りを思い出した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「あ! でも聞いて! いますごいことに気づいた! 性交としか書かれてない!『異性との性交』とは書かれてない! これって同性であっても認めるってことよね?」
「……そうね」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
待ってよ。
いい展開って、これ?
思い至ったときに、ローテーブルの上の料理に目が行った。
あさりの酒蒸し。
それを野沢がひとつ、箸でつまんで口元に運んだ。
貝殻に直接口をつけ、ちゅっ、と音を立てて、身を吸った。
その瞬間、体中に桃色の電流が流れた。
違う違う違う!
ちょっと待って!
私の焦りを感じ取ったのかチハルさんが口を挟む。
『貝合わせとはまた古典的なことするわね』
そうじゃないししないわよ!
※注釈※
「貝合わせ」とは、女性同士が股を開き貝殻に見立てた女性器同士を密着させて擦り合わせる性行為のことを意味する表現。
本来は、平安時代から伝わる、外した二枚貝のペアを探す、神経衰弱に似た貴族たちの遊びのこと。
※※※※
「どうかした?」
焦る私に野沢が心配そうに言う。
「なんでもないよー! ほら! 飲もうよ! せっかくの宅飲みなんだからさ!」
「う、うん。ありがとう。ほんと優しいよね」
「そうでしょー?!」
『うーん、でも、同性の場合、行為のどの段階でもって処女喪失って認定するのかな……まぁ、見てればわかるか。私が消えていなくなったときにしてた行為が該当するってことだもんね』
うるせーな、しないってば!
そもそもそんなモードになってないでしょ野沢も。
……そうよ、別に私を好きって言ってるわけじゃないんだし。
「珠美のこと、ずっと好きだったのかも」
『よし!』
「ちょっと!」
思わず強い口調で制してしまった。
チハルさんに向けたのか、野沢に向けたのかは自分でもわからない。
野沢が驚いた顔でこちらを見ている。
「あ! 違うの野沢! 今のは間違えたの!」
「ま、間違えたって、なに?」
「ごめん、ちょっと、整理させてってこと。いきなりいろいろ出てきたから……」
「そ、そうだよね。ごめん……急にこんなこと言われてもね」
「あははははは……あ、そうだ、ワイン取っといたんだった。飲まない?」
笑ってごまかすために、そしてごまかせている気になるために、酒を飲むしかない。
「お、いいね。赤? 白?」
「泡よ! 酒屋さんで半額セールの掘り出し物!」
「へー! いいじゃん!」
ふたりして、重い空気にならないよう、ことさらに明るく振る舞っている。
「ひとり用の冷蔵庫じゃ、けっこう場所取るからさー」
「あー、そうだよねー」
「早めに飲んじゃいたいし、ひとりじゃ多すぎるから、ちょうどいいわ」
言いながらキッチンへ行き、冷蔵庫を開けた。
庫内の下の方のスペースに寝そべるスパークリングワインのボトル。
2週間ほど前に、普段使わない酒屋で衝動買いしたものだ。
それ以来、ずっとここにあった。
とりあえず飲んじまうしかないわ。
野沢も飲ませちゃえば楽しくなってフワフワして、好きだなんだと言ったりしないはずだ。
「今日のご飯にも合いそうだね」
「でしょー?!」
イタリアンだのフレンチだの、そんな気の利いた料理は作らなかったが、スパークリングワインに合いそうにないものはなかった。
缶チューハイに合うんだから、合うでしょ。
缶チューハイ=スパークリングワイン。
背の低いグラスをふたつ、というか、ただのガラス製のコップふたつをキッチンの上の棚から出した。
ワインを入れてもチグハグにならないコップというと、これしかなかった。
変じゃない理由は、ガラス製で無色透明だということしかない。
それくらいの、ありあわせのグラスだ。
「おまんたせー」
「かまわんよー」
『え、なにそのノリ。混ぜてよ』
深刻な話は野沢も嫌なのだろう。
軽口が心地よく行き交う。
ごめんねチハルさん。妖精じゃなかったら、ほんと、いい友達になれたと思う。
「さー! とことん飲むわよー!」
ローテーブルに並ぶ料理の数々の横に、ワインボトルとグラスを置いて、野沢の隣に座った。
「あとでいくらか教えてね、今日の飲み代」
「別に要らないって言いたいけど、じゃあ1000円で」
「おけ。後で渡すね」
「ほいほい」
野沢にてきとうな返事をしながら、スパークリングワインのコルクを外しにかかる。
コルクにまとわりつく針金をゆるめ、強く握りグリグリとゆるめていく。
「え? そんなやり方?」
野沢がだし巻き卵をつまみながら言う。
「え? 違うの?」
「いや、布巾とか」
使わないの?
野沢は恐らくそう言いたかったんだろう。
けれど、その前に事は起きた。
ポンッ!
大きな音が部屋に響いた。




