第5話 ごぼうとレンコンのきんぴら 1/5
29歳OLの須藤珠美は「30歳になるまで処女のままだと妖精になる」という運命の元、妖精チハルとともに、1年間を過ごすことになった。
この1年は出会いの運が劇的に向上するとのことだが、すでに珠美はその運に振り回されている。
果たして珠美は妖精になってしまう前に処女喪失をすることができるのか。
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11月13日 金曜日
朝の用意にバタバタして、洗面所とリビングを往復している私を見ながら、チハルさんが声をかけてきた。
「今日であんたの今週の出勤も最後ねー」
「ほんとね。今週も頑張りました」
「頑張りましたじゃないでしょうが! 早く男作りなさいよ!」
「わかってるってば!」
私だって処女のまま30歳にはなりたくないよ……
30歳処女と29歳処女、とでは全く違う。
完璧に違う。
なんて言ってしまうと多分チハルさんはブチ切れる。
チハルさんはどう転んでも29歳からやり直せないのだから。
彼女から最初に聞いたルールはシンプルだった。
「30歳になっても処女だったらその女は妖精になる」
「29歳から30歳までの1年間は、処女を捨てるまで妖精が憑く」
チハルさん自身も、30歳まで処女だったから妖精にされているわけで、私が処女を捨てれば、チハルさんは「30歳になった時点に戻される」らしい。
あれ?
「……あのさ」
「なに?」
チハルさんが冷蔵庫の上の電子レンジに座ったまま答える。
「私が処女のまま30歳になって、妖精になっちゃったら、チハルさんはどうなるの?」
「また別の人に憑くことになるか、30歳になった自分の体に戻るか、ね」
「え? どっち?」
「どっちか選べるのよ」
「選べるの?」
「……どうでもいいけど、用意、大丈夫なの?」
「! ほんとだ!」
時計は7時50分を指している。
「歩きながら話してあげるから、さっさとしなさい」
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駅に向かって早足で歩いていると、肩に乗ったチハルさんが話しかけてきた。
彼女の姿も声も、周りの人は認識できないように、隠すことができる。
『さっきの続きだけどね、憑いた先の人が処女のまま30歳になったら、ほかの人のところで妖精を継続するか、解消するか選べるんだって』
「選べるんだ……」
駅までの道。歩道は広くないので、通勤・通学している人は近くにいる。
その人たちに聞こえないように、小声で話す。
「選ぶって……妖精続ける人なんかいるの?」
『いるんだってさ。考えてもみなさいよ。元の体に戻ったら30歳処女からやり直すのよ。やり直さなきゃいけないんだから、男づくりのノウハウはたくさん知っておいた方がいいでしょ?』
「な、なるほど……たしかに」
『私は嫌だけどね。妖精稼業をもう一年なんて、気が遠くなるわ』
それは、そうだろう。
彼女がどれくらい退屈しているかは、月曜日から木曜日までの4日間で嫌というほどわかった。
『というわけだから、私は早い分には大歓迎! 早く初エッチしてね』
「やめてよ、朝から」
『ごめんごめん、朝からムラムラしちゃうわね』
「そうじゃなくって」
『してないの?』
してる。
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電車を降ると、駅から職場までは5分ほどだ。
たくさんの人が電車を降り、通勤ラッシュの波を作っていた。
私も流れに乗り、少し早足で歩く。
チハルさんは肩に乗ったまま、おとなしくしている。
……まぁ、これで通勤は5日連続だから、飽きるわよね。
職場まで交差点があと3つというところで、信号が赤になった。
信号待ちの最前列で立っていると、山本課長がとなりに立っていることに気づいた。
向こうはこちらに気づいていない。
ジッと正面を見つめている。
『あんま見てるとバレるわよ』
チハルさんがニヤニヤしながら言う。
……そうよね、うん。
チラ見くらいにしとこう。
身長は170センチから175センチほどだろうか。
平均身長ほどほどというところだが、痩せてはいないためか、やや大柄に見える。
営業職という仕事柄、毎日スーツで通勤している。
白いシャツに黄色いネクタイ。
短く黒い髪の毛は硬そうに見える。
正面の赤信号をジッと見つめていたと思ったら、その顔が急に動いた。
こちらではなく、反対方向を向いたのでよかった。
……こっち向いてたら、チラ見してたのバレたな。
山本課長は信号が赤になっている横断歩道とは反対側、青信号の方に急に歩き出した。
いや、走り出した、と言った方がいい速度だった。
え? なんで?
そっち行ったら会社遠回りだけど。
彼が向かった先を見ると、小さな靴が、片方だけ横断歩道の真ん中に落ちていた。
そして、その先で、女性がまたがる自転車が止まっている。
後ろの座席には小さな子どもを乗せている。
あぁ……なるほど……
子どもがなにか母親に言う。
母親は自転車から降りようとするが、靴を拾った山本課長がそれに追いつき、靴を手渡した。
信号が変わった。
山本課長はそのまま、車道の向こう側で、信号が青になった横断歩道を渡っていった。
礼を言う母親。
子どもに手を振る山本課長。
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