表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二十年仕えた王女が私を敵に売った。それでも守ることにした  作者: セッシー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/16

第八話 二人の道

 旧街道を三日歩いた。


 膝が痛む。二十年前なら一日半の道を、三日かけている。旧街道は舗装されていない。木の根が地面を割り、雨水の溝が道を横切る。


 四日目の明け方、隠れ家の裏口に辿り着いた。


 殿下は地図の前に立っていた。


---


 隠れ家は石造りの農家を借り上げたものだ。表向きは干し草の倉庫。窓は板で塞がれ、光源は卓上の蝋燭が二本だけだった。


 壁に貼られた地図に、赤い印が増えていた。私が出発したときは三つだった。今は七つ。


「お帰りなさい。レオン」


 殿下が振り返った。顔に疲労が浮いている。頬が痩せ、目の下に影がある。だが声は平らだった。


「ヴィルヘルム侯は」


「盟約に乗ります」


 殿下の肩が、一瞬だけ下がった。息を吐いた。声には出さず、体が反応していた。


「条件は」


「殿下との直接面会。十日以内。場所は侯爵が用意します」


 殿下が地図に目を戻した。指が東部を辿る。ヴィルヘルム侯爵の領地。その南のヘルデン子爵領。さらに東の街道。


「十日」


「はい。宰相府の使者が侯爵の屋敷に来ていました。東部の地方貴族を切り崩しにかかっています。ヘルデン子爵が第一王女側に流れるだろう、と侯爵が」


「ヘルデンか」


 殿下の指が、子爵の領地の上で止まった。


「小さな領主だ。だが交易路沿いの領主には横の繋がりがある。一人が傾けば、空気が変わる」


「侯爵も同じことを言っていました」


「そうだろうな。あの人は空気を読む。空気を読んで——空気が変わる前に動く人だ」


 殿下が蝋燭の傍に座った。地図から目を離し、私の顔を見た。


「レオン。座りなさい」


 椅子に座った。三日分の疲れが膝から腰に上がってくる。蝋燭の灯りが二人の影を壁に映していた。


「報告の続きを」


「旧街道を使いました。帰りは検問が増えていて——侯爵の指示です。手配書が東部にも回っています」


「おまえの」


「はい」


 殿下が目を閉じた。


「おまえを追放したのは姉だ。手配書を出したのも姉だ。——おまえを使っている限り、この計画の弱点はおまえの身柄だ」


「承知しています」


「承知していて、旧街道を三日歩いたのか」


「四日です。膝が」


「四日」


 殿下の声が、わずかに揺れた。すぐに平らに戻した。


---


「行きます」


 殿下が立ち上がった。


「東へ。ヴィルヘルム侯に会う」


「殿下——」


「おまえが言う前に言う。危険だ。隠れ家を空ける間、王都との連絡は途絶える。近衛の内通者との接触も止まる。姉が先に侯爵を取り込む可能性がある。全部分かっている」


 殿下が地図の前に立った。右手が東部を指し、左手が王都を押さえている。二つの距離。その間を、この人は一人で渡ろうとしている。


「それでも行く。侯爵の条件を蹴れば、盟約が崩れる。盟約が崩れれば三十日の計画が——」


「消えます」


「消える。だから行く」


 蝋燭の炎が揺れた。窓の板の隙間から、夜明けの風が漏れてくる。


「殿下。一つ、お願いがあります」


「何だ」


「道を私に選ばせてください」


 殿下が振り返った。


「旧街道を四日歩きました。地形は頭に入っています。丘の位置、川の渡し場、身を隠せる場所。検問の配置も確認しました。殿下を通す道は——」


「おまえが選ぶ、と」


「はい」


 殿下の目が細くなった。私を測る目。二十年間、何度も見てきた目だ。裏切りを見抜く目でもあり、信頼を確認する目でもある。


「条件がある」


「聞きます」


「おまえ一人で先行するな。私と一緒に歩け」


「殿下——」


「おまえに何かあれば、私は侯爵の屋敷に辿り着けない。おまえは私の道案内であって、囮ではない」


 喉の奥が詰まった。二十年仕えた。売られた。それでも守ると決めた。この人は——この人は、私が壊れることを許さない。


「……承知しました」


---


 出発は翌朝と決まった。


 殿下は隠れ家の仲間に指示を出し始めた。留守中の王都の連絡手段。姉の動きの監視。近衛の内通者への伝達。


 私は地図の前に座り、道順を組み立てた。


 旧街道の中で検問がない区間。川を渡る地点。夜営に使える場所。二人分の食料と水。徒歩の場合の所要日数。


 三日。私一人で四日かかった道を、殿下と二人で三日に縮める必要がある。侯爵の期限は十日。往復の移動と面会を合わせて——余裕がない。


 蝋燭の灯りで地図を読んでいると、殿下が戻ってきた。


「レオン」


「はい」


「一つ聞く。ヴィルヘルム侯は——おまえを、どう見た」


 侯爵の顔を思い出した。あの男は嘘がつけないのではなく、つかないのだな、と言った目。


「正直な男だ、と」


「そうか」


 殿下の口の端が、かすかに動いた。笑みとは呼べない。だが、無表情でもなかった。


「正直か。——おまえに正直でいられるのは、おまえが正直だからだ」


「殿下」


「寝ろ。明日は早い」


---


 藁の寝台に横になった。天井の梁に蜘蛛の巣がかかっている。


 膝が痛い。だが、痛みの中に安堵がある。帰ってきた。報告を終えた。侯爵は乗る。殿下は動く。


 あとは——この足が、殿下を侯爵のもとへ送り届ければいい。


 壁の向こうから、殿下が地図をめくる音が聞こえた。紙が擦れる音。蝋燭の灯りが隙間から漏れている。


 眠りに落ちる直前、一つだけ考えた。


 殿下が東に向かう。


 私の手配書が東部に出回っている。


 殿下と二人で旧街道を歩く。検問がない道を選んだ。だが検問がない道は——人目がない道でもある。


 もし旧街道で待ち伏せされたら。


 侯爵は「おまえが捕まれば、私がエリスに乗った証拠が残る」と言った。


 証拠が残る。つまり——誰かが、証拠を残したい者がいるとすれば。


 目を開けた。


 天井の蜘蛛の巣が、夜風で揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ