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二十年仕えた王女が私を敵に売った。それでも守ることにした  作者: セッシー


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第十三話 三騎

 手綱を握る指が汗ばんでいた。


 三騎。正面。百歩。横に並んでいる。鎧には紋章がない。腰に剣。一人は槍。朝日が鉄の胸当てを白く光らせている。


 距離を計った。百歩。馬を走らせれば十秒で届く。だが三対一。槍持ちが先手を取れば、馬の脚を狙われる。


 右手を剣の柄に置いた。布の下の傷口が熱を返した。


「旅の方。名と用件を」


 声は丁寧だった。だが丁寧な声で道を塞ぐのは、盗賊ではない。盗賊なら声をかけずに囲む。


「商人です。北部の牧場に用があります」


 嘘をついた。外套の下に書簡がある。侯爵の紋章が入った紹介状。


 先頭の騎兵が馬を一歩進めた。槍ではなく、目で探ってきた。顔を見ている。服を見ている。馬を見ている。


「商人にしては、鞍が軍用ですな」


 侯爵の馬だった。軍馬用の鞍がついている。商人は軍鞍を使わない。最初の嘘が、一つ綻びた。


「中古で手に入れました。安かったので」


「手綱の握り方も軍式だ」


 二つ目。この男は細かく見ている。ただの関所番ではない。訓練を受けた人間だ。


 沈黙が落ちた。朝の風が草原を渡っている。遠くで馬の嘶きが聞こえた。辺境伯の牧場の馬だろう。


 先頭の男が槍を右手に持ち替えた。左手が鞍の横に下がった。


「もう一度聞く。名と、用件を」


 三度目は、丁寧さが一段落ちていた。


 選択肢を数えた。


 正体を明かす。書簡を見せる。辺境伯の名を出す。——だが、この三騎が辺境伯の兵である保証がない。紋章がないのだ。もし宰相府の手の者なら、書簡を渡すことになる。殿下の命を渡すことと同じだ。


 逃げる。馬を返し、山道に戻る。だが一日失う。殿下が待っている。


 斬る。三対一。右腕の傷。勝てる保証はない。


 ——四つ目。


 馬から降りた。


 三騎の視線が集まった。槍持ちの肩が微かに上がった。


 剣の柄から手を離した。両手を体の横に下げた。丸腰の姿勢。


「名は、言えません。用件も言えません。ただ——バルノー辺境伯にお目にかかりたい。私が持っているものを辺境伯が見れば、話が通じます」


 先頭の男の目が細くなった。


「持っているものとは」


「あなた方には見せられません。辺境伯にだけ」


「我々を信用しないと」


「あなた方の旗がないからです。辺境伯の兵であれば、旗を掲げるか紋章を着ける。あなた方にはどちらもない。信用の根拠がない」


 風が止まった。三騎の間に視線が走った。先頭と二番目が一瞬、目を合わせた。


 二番目の騎兵——剣だけを腰に帯びた痩せた男——が口を開いた。


「紋章を外しているのは命令だ。領地の境界で紋章入りの兵が立てば、隣接領から軍事的威嚇と取られる。斥候は目立たないほうがいい」


 斥候。辺境伯の斥候か。


 だが、自称できる肩書きだ。まだ信用はできない。


「斥候であれば、辺境伯に伝令を出せるはずです。名を言えない者がここにいると。辺境伯がどう判断するかで、私の行動を決めます」


 先頭の男が長い間、こちらを見ていた。目が動いている。この男もまた、計算する種類の人間だった。


「——名が言えない理由は」


「言えば、あなた方の命が危険に晒される可能性がある。知らないほうがいい情報です」


 三番目の騎兵——最も若い、赤毛の男——が鼻を鳴らした。


「大層な話だ」


「赤毛」


 先頭の男が一言で黙らせた。


 馬の尾が虫を払う音だけが残った。


「……いいだろう。ここで待て。動くな。動けば——」


 槍の穂先が太陽を反射した。言葉の続きは、穂先が語っていた。


 先頭の男が馬を返し、砦の方角へ駆けた。蹄が草原の土を蹴り上げる。残った二騎が、左右に位置を変えた。挟む形だ。


 立ったまま待った。書簡が外套の内側で体温を吸っている。殿下の布が右腕に巻かれている。


 風が東から吹いていた。殿下のいる方角から。


---


 半刻ほどが過ぎた。


 砦の方角から、馬蹄の音が返ってきた。二頭分。先ほどの男と——もう一騎。


 新しい騎兵は甲冑の代わりに革の上着を羽織っていた。乗馬ズボン。髪が白い。年配の男だ。背が低く、鞍の上で体が揺れないのは、長年馬に乗ってきた体だった。


 近づくにつれ、顔が見えた。日焼けした肌。目の周りの皺が深い。口元は引き結ばれている。


 白髪の男が馬を止めた。


「——ほう」


 一言だけ発して、馬を降りた。こちらの足元を見た。馬の鞍を見た。手を見た。


「侯爵の馬だな。鞍の裏に焼印がある。ヴィルヘルム家の紋だ」


 鞍の裏。そこまで見る男だった。


「辺境伯殿ですか」


「バルノーだ。——名は言えないそうだな」


「はい。ただ——」


 外套の内側から、書簡を取り出した。侯爵の紋章が入った封蝋。辺境伯の目がそこに止まった。


「侯爵の封蝋か」


「紹介状です」


 辺境伯が書簡を受け取った。封蝋を確認し、開いた。読む速度は遅い。一行ずつ、指で追っている。


 読み終えた。顔を上げた。


「第二王女の騎士か」


「はい」


 辺境伯の目が変わった。計算ではない。値踏みでもない。確認だった。


「侯爵の手紙には、殿下が屋敷に留まっていると書いてある。おまえが来たのは、盟約の発効条件だな」


「はい」


「——入れ」


 辺境伯が馬に跨り直した。


「斥候を出していたのは、おまえを待っていたからだ。侯爵から犬が来た。三日前に。『騎士を一人送る。通してやれ』とな」


 犬。牧羊犬。侯爵は出発前から辺境伯に連絡を取っていた。三騎の斥候は、私を探していたのだ。道を塞いだのは——保護するためだった。


「あの三騎は、私を——」


「守っていた。この道を通る不審者を排除し、おまえらしき者がいれば確保する。侯爵の言伝だ」


 右腕が重くなった。布の結び目が手首に食い込んでいる。侯爵の声が蘇った。「死ぬな。生きて辺境伯に届けろ」。あの男は言葉だけでなく、手も打っていた。


 殿下が侯爵の屋敷に留まることを受け入れた理由が、少しだけ分かった。あの男は部下を使い捨てにしない。殿下はそれを見抜いた。


---


 砦の門をくぐったのは、昼前だった。


 石壁の内側は広かった。厩舎が三棟。馬の匂いが充満している。砂地の訓練場に蹄の跡。壁際の鍛冶場から、蹄鉄を打つ音が響いていた。


 通された部屋は二階の隅だった。窓が東と南に一つずつ。南の窓からは牧草地が見えた。馬の群れが緑の上を点々と動いている。


 辺境伯が去り、一人になった。


 懐から紙を取り出した。昨夜、暗がりの中で「殿下」とだけ書いた紙。炭筆の字が折り目で擦れて、薄くなり始めている。


 机の上に紙を広げた。窓からの光は充分だった。炭筆を握り直した。


 殿下。無事に辺境伯に着きました。


 ——報告の文は書けた。手が覚えている動きだ。


 次の行。殿下が求めた言葉。なぜ戻ったのか。


 布の結び目に触れた。殿下の指が作った形。同じ形にはならないと、山道で知った。


 剣は主に手紙を書かない。だが——書けない理由は、騎士であることとは別の場所にあった。


 書けば、殿下がそれを読む。読んだ殿下が、次にどんな顔をするか。それを見届ける場所に、自分がいない。


 百歩の距離を三騎に塞がれたとき、胸を締めたのは剣の恐れでも書簡の恐れでもない。殿下の傍に戻れなくなることだった。


 それが答えだ。それが全てだ。


 それをまだ、文字にできない。


 紙を畳んだ。報告の一行だけが残った。


 窓の外で、馬が嘶いた。数千の馬がいる牧草地。あの馬が動くとき、殿下の計画が動く。


 その日のために——私はここにいる。

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