第13話:【シェリー回】銀髪の野良猫と月下の散歩、盗めないのは貴方の心
摂政公邸の朝は、今日も今日とて爆発音とプロテインシェイカーを振る音で幕を開けた。
マリエルが「アル様の朝食は私の火力が生み出す極上オムレツですわ!」と叫べば、レベッカが「不浄な油分は不要です! 茹でた鶏ささみこそが神の朝食なのです!」と応戦する。
そんな喧騒を余所に、主役であるアルトリアは、執務室の窓枠に腰を下ろしていた。
手には、先ほど影から音もなく現れた銀髪の少女、シェリーから手渡された「王都名物の安酒」の小瓶がある。
「……いいのかい、摂政様。あっちの『火力おバカ』と『筋肉シスター』に捕まると、また一時間はお説教だよ?」
シェリーが、猫のようなしなやかな動きでアルトリアの隣に滑り込んできた。
彼女は、王都の裏社会を熟知する敏腕スカウト。かつては王宮の宝物庫さえ狙った伝説の泥棒猫だ。
「……構わん。あいつらの熱意には感謝しているが、たまにはこうして、静かな風に当たりたくなる。……シェリー、お前は、なぜ今朝に限ってここに来た?」
「んー、そうだねぇ。……アンタが『摂政』なんてお堅い椅子に座らされて、背中の筋肉が凝り固まってる気がしてさ。……ちょっと、夜遊びに行かない? 『影』の仕事の、ついでだよ」
シェリーの不敵な笑みに、アルトリアはふっと口角を上げた。
彼女は重厚な礼装を脱ぎ捨て、漆黒のマントを羽織った。
「……いいだろう。お前の『夜歩き』に、付き合ってやろう」
◇
月明かりが石畳を青白く照らす、王都の路地裏。
昼間の華やかさとは裏腹に、そこには湿った風と、犯罪の残り香が漂っていた。
アルトリアはマントを深く被っているが、その隙間から覗く鋭い眼光と、歩くたびに微かに鳴るブーツの音は、隠しきれない「強者の覇気」を放っている。
「……懐かしいな。ここに来るのは、副団長時代に泥棒を追いかけて以来か」
「ひゃはは! その節はどうも。……アンタに追い詰められた時は、マジで年貢の納め時だと思ったよ」
シェリーが指差したのは、一本の古い時計塔の裏道だった。
数年前、若き副団長だったアルトリアは、王宮の秘宝を盗み出したシェリーを、たった一人でここまで追い詰めたのだ。
「……あの時、アンタは私を突き出さなかった。……『お前の指先は、鍵を開けるためではなく、誰かの命を繋ぐためにあるべきだ』なんて、キザな台詞を残してさ」
「……言ったか? そんなことを」
「言ったよ! おかげで私の『泥棒としてのプライド』はズタズタ。……それ以来、私の心はアンタに盗まれたままなんだから、責任取ってよね」
シェリーが、アルトリアの腕にすり寄るように絡みついた。
銀髪がアルトリアの肩を掠め、夜風に乗って甘い香りが鼻を突く。
アルトリアは立ち止まり、シェリーの頭を乱暴に、しかし慈しむように撫で回した。
「……責任、か。ならばお前には、一生私の『目』として働いてもらうぞ。……泥棒猫に、王宮の蔵の番をさせるのも一興だろう?」
「えー、それは猫に鰹節だよ、ダンナ。……でも、アンタが隣にいてくれるなら、金貨の山よりも価値があるかな」
その時、周囲の空気が一変した。
暗闇の中から、数人の男たちが音もなく現れる。彼らの手には、猛毒を塗った短剣が握られていた。
「……見つけたぜ、銀髪の裏切り者。……それに、そっちのデカいのが噂の『摂政』か。アンタの首をバルクに売れば、一生遊んで暮らせる金になるんだよ!」
それは、かつてシェリーが所属していた「黒い月」の残党たちだった。
彼らはアルトリアが追放から戻り、国の権力を握ったことを逆恨みし、暗殺を企てていたのだ。
「……ダンナ、下がってて。こいつらは私の――」
シェリーが短剣を抜こうとしたその瞬間。
アルトリアの手が、彼女の肩を優しく押し止めた。
「……いい。お前はもう、影の中で手を汚す必要はない。……言ったはずだ、お前は私の『目』だと。……不浄な掃除は、私の筋肉が引き受ける」
アルトリアが一歩、前に出た。
彼女は剣を抜かない。ただ、マントを翻し、拳を固めただけだ。
「……かかってこい。お前たちのその濁った意志、私の鉄拳で砕いてやる」
男たちが一斉に飛びかかる。
だが、アルトリアの動きは、夜風よりも速かった。
一撃。
先頭の男の顎を、掌底が打ち抜く。
二撃。
飛び込んできた二人の鳩尾に、鋭いストレートが突き刺さる。
「……あ、あぐっ……!? なんだ……この、壁を殴ったような衝撃は……っ!」
「……鍛え方が足りん。……そんな柔な拳で、私の大切な仲間に触れようとしたのか?」
アルトリアの瞳に、冷徹な「殺気」と「守護の意志」が宿る。
彼女が地面を踏みしめただけで、石畳がクモの巣状に割れた。
その圧倒的な「ジゴロ 力」を伴った強者のオーラに、残りの男たちは腰を抜かし、武器を捨てて逃げ出した。
「……ふぅ。……騒がせてすまなかったな、シェリー」
アルトリアが振り返り、いつもの穏やかな表情に戻る。
シェリーは、呆然とその光景を見つめていた。
彼女にとって、アルトリアは光。
自分を闇から引きずり出し、汚れた自分さえも「大切だ」と言ってくれる、残酷なほどに優しい太陽だ。
「……ホント、アンタって人は。……泥棒よりタチが悪いよ、ダンナ」
シェリーは、アルトリアの胸に顔を埋めた。
鎧のないアルトリアの身体は、驚くほど温かく、そして鋼のように硬かった。
その心音を聴きながら、シェリーは確信した。
もう、この人の影から離れることなど、神が許しても自分が許さないだろうと。
「……ねえ、ダンナ。……帰る前に、一回だけ、私の『戦利品』、受け取ってよ」
シェリーが爪先立ちになり、アルトリアの首筋に顔を寄せた。
冷たい唇が、アルトリアの熱を帯びた肌に触れる。
それはキスというにはあまりにも短く、噛み跡というにはあまりにも甘い、シェリーだけの「所有印」だった。
「……おま……っ、シェリー!? 何を――」
「ひゃはは! これは私の取り分だよ! じゃあね、ダンナ。続きは……夢の中で!」
シェリーは銀髪をなびかせ、夜の屋根伝いに、公邸の方へと消えていった。
残されたアルトリアは、首筋を抑えながら、夜空を見上げて溜息をついた。
「……やれやれ。……明日の朝、マリエルたちに何と言えばいいのだ」
◇
翌朝。摂政公邸のダイニング。
アルトリアが首元を隠すように高襟の服を着ているのを、マリエルの鋭い目が捉えた。
「……アル様。今朝はどうして、そんなにお堅い格好をなさっていますの?」
「……いや、少し風邪気味でな。喉を冷やさないようにしているだけだ」
「嘘ですわ! アル姉様の首筋に、かすかに『猫の引っ掻き傷』のような魔力反応を感じるのですわぁぁぁ!!」
レベッカが、聖印を振り回して絶叫した。
マリエルの杖からは、今にも王都を消し飛ばしかねないほどの大炎が噴き出している。
「……シェリー!! 貴女、どこに隠れていますの!? 今すぐその銀髪を焼き尽くして差し上げますわ!!」
「ひゃはは、お嬢様たち。嫉妬は見苦しいよ? 愛は奪ったもん勝ち、でしょ?」
影から聞こえるシェリーの嘲笑。
アルトリアは、朝食のステーキを口に運びながら、遠い目をして呟いた。
「……平和な王宮とは、一体何だったのか」
乙女たちの愛の争いは、いよいよ隣国の王女シグルドを巻き込み、国際問題へと発展していく。
アルトリアの「ジゴロ 力」は、もはや留まる所を知らなかった。




