第12話:【レベッカ回】筋肉シスターの聖なる夜、鋼の肉体は神を凌駕する
昨夜、王都の夜空を埋め尽くした『美神の花火』の余韻は、未だ冷めていなかった。
だが、摂政公邸の一室では、別の意味で「熱気」が臨界点に達しようとしていた。
「……マリエルさん。昨夜は随分と、アル姉様の魔力を『不当に』消費させたようですわね」
レベッカ・グラハムは、静かに、だが確実に殺気を孕んだ笑みを浮かべてマリエルを問い詰めていた。
彼女の背後には、怒りによって具現化した金剛力士像のような幻影が立ち昇っている(ように、周囲には見えた)。
「あら、何のことですの? 私たちはただ、新体制の門出を祝うために、少しばかり『共同作業』をしただけですわ。……おーほっほっほ! 筋肉しか脳にないシスターには、あの芸術的な魔法の共鳴は理解できないかもしれませんわね」
マリエルが勝ち誇ったように扇子を広げる。
その瞬間、レベッカの手に持っていた聖印が、ミシミシと嫌な音を立てて歪んだ。
「……共同、作業。……不浄ですわ。あまりにも不浄。アル姉様の神聖な魔力は、国家の安寧と、そして何より『健全な筋肉の維持』のために使われるべきなのです! それを、あんなチャラチャラした火遊びのために……! もはや、私が直接、アル姉様の『聖域(肉体)』を浄化し、再構築して差し上げるしかありませんわ!!」
レベッカは、マリエルの制止を無視してアルトリアの執務室へと突入した。
そこでは、慣れない書類仕事に埋もれ、眉間に深い皺を寄せたアルトリアが、ペンを剣のように握りしめて固まっていた。
「……ああ、レベッカか。済まないが、今は少し――」
「お黙りなさい、アル姉様! 見てください、その僧帽筋の強張り! そして、執務机に縛り付けられたことで大臀筋の血流が滞っておりますわ! これは由々しき事態なのです! さあ、今すぐ地下の『聖なる訓練室』へ向かうのですわ!!」
「え? おい、まだこの予算案が――」
「予算よりも筋肉! 国庫よりも広背筋なのです! さあ、行きますわよ!!」
アルトリアは、聖女とは思えない怪力で引き摺られ、公邸の地下へと連行された。
◇
公邸地下、最新の機材と清潔な石材で整えられた「聖なる訓練室」。
そこには、レベッカが独自に調合した最高級の『美神のプロテイン(プラチナ・バニラ味)』と、怪しく、しかし神々しく黄金に光るマッサージオイルが用意されていた。
「……レベッカ。マッサージなら、普通の騎士団の医務室でも受けられるのだが」
「甘いのです、アル姉様! あんな、汗臭い男たちの指先が、貴女の神聖な肉体に触れるなど、想像しただけで私の『オーバー・ヒール』が暴発してしまいますわ! アル姉様の身体を解し、高めることができるのは、神に選ばれしこの私の指先だけなのです!」
レベッカは、バサリと修道服の袖を捲り上げた。
その前腕には、聖女らしからぬ見事な血管が浮き出ている。
「さあ、アル姉様。その窮屈な礼装を脱ぎ、この施術台に横たわるのです。……拒絶は許しませんわ」
アルトリアは、レベッカの異常なまでの熱気に押され、溜息をつきながら上着を脱いだ。
銀色の『加圧式バトル・シスター服』さえも脱ぎ捨て、晒されたのは、数多の戦場と鍛錬を潜り抜けてきた、鋼のようにしなやかな背中だった。
ドクン、とレベッカの心臓が跳ね上がった。
(ああ……神よ。……いいえ、アル姉様。……この広背筋。まるで羽ばたこうとする大鷲の翼のような広がり。……そして、脊柱起立筋が描く、この深い溝……。これこそが、私が生涯をかけて守るべき『聖典』なのですわ……!)
レベッカは、震える手で黄金のオイルを手に取ると、アルトリアの肌にそっと触れた。
ひんやりとしたオイルが、アルトリアの熱を帯びた肉体の上で溶けていく。
「……くっ……。レベッカ、少し力が強すぎないか……?」
「いいえ、これこそが真の『愛の指圧』なのです! アル姉様、貴女は背負いすぎなのですわ。……この国の未来も、騎士たちの期待も。……でも、私の前でだけは、その鎧を脱ぎ捨てていいのです。……貴女の筋肉が、泣いておりますわ」
レベッカの指先が、魔法のようなリズムでアルトリアの筋繊維を解していく。
それは単なるマッサージではない。レベッカの全魔力を込めた『オーバー・ヒール』の微細な波動が、細胞一つ一つに浸透し、疲労を根こそぎ「超回復」させていく神聖な儀式だった。
「……ふぅ。……そうか。私は、少し疲れていたのかもしれんな」
アルトリアの意識が、心地よい浮遊感に包まれていく。
彼女は、幼い頃の自分を思い出していた。
ただ強くなりたくて、誰にも頼らず、一人で剣を振り続けていた日々。
だが、今。背中に感じるこの熱い手のひらは、自分のすべてを肯定し、支えてくれている。
「……レベッカ。お前は、なぜそこまで私に尽くしてくれるんだ。……私は、ただの脳筋な女騎士だぞ。王子にさえ、可愛げがないと捨てられた身だ」
アルトリアの、無防備な呟き。
レベッカは、マッサージを止め、アルトリアの背中に自分の額をそっと押し当てた。
「……可愛げ、などという安っぽい言葉で貴女を測ったあの男が、愚かなだけなのです。……私は、覚えていますわ。数年前、病弱で、祈ることしかできなかった私に、貴女が言った言葉を」
『神が助けてくれないなら、自分の脚で立て。……お前が望むなら、私がその「脚」の鍛え方を教えてやる』
レベッカにとって、その言葉は福音だった。
アルトリアは、彼女に「祈る対象」ではなく、「戦う意志」を与えてくれたのだ。
「私にとって、アル姉様こそが唯一無二の神なのです。……だから、お願いですわ。……一生、私の手の届くところで、その美しい筋肉を躍動させていてください。……貴女の健康、貴女の肉体、すべて私が責任を持って管理して差し上げますわ!」
感極まったレベッカが、アルトリアの肩を抱きしめる。
アルトリアは、心地よい倦怠感の中で、レベッカの必死な、しかし温かい想いを受け止めていた。
「……そうか。……なら、任せる。……お前の指先は、世界で一番……落ち着くからな。……一生、私の身体は、お前に預けるよ……」
それは、アルトリアにとっては「専属医」としての全幅の信頼を込めた言葉だった。
だが、レベッカの脳内では、その言葉が『永遠の愛の誓い』として、黄金の文字で記録された。
「……っ!! あ、アル姉様……! 今、一生と、一生とおっしゃいましたわね!? 預けるとおっしゃいましたわね!! あああぁぁぁ神よ!! ……いいえ、アル様ぁぁぁ!!」
レベッカの鼻から、ついに我慢の限界を超えた「聖なる鮮血」が噴出した。
アルトリアは、その叫び声を子守唄のように聞きながら、深い眠りへと落ちていった。
◇
翌朝。
アルトリアは、かつてないほど身体が軽く、肌もツヤツヤ(筋肉のキレは史上最高)な状態で目を覚ました。
「……おはよう、アル姉様。……最高に、美しい朝ですわね」
枕元には、一晩中アルトリアの手を握り締め、賢者のような悟りを開いた表情で微笑むレベッカの姿があった。
その傍らには、空になったプロテインの容器が山積みになっていた。
「……レベッカ? お前、寝ていないのか?」
「聖職者に睡眠は不要なのです。アル姉様の寝顔という名の聖典を、一晩中拝読しておりましたわ。……さあ、朝のスクワット(千回)の時間ですわよ!」
そこへ、部屋の扉が爆風と共に吹き飛んだ。
「この泥棒シスター!! 聖職者の身でありながら、アル様の寝所に一晩中居座るなんて、不浄! あまりにも不浄ですわぁぁぁ!!」
マリエルが、杖を構えて乱入してくる。
アルトリアは、朝一番の喧騒に溜息をつきながらも、どこか誇らしげに、自分の盛り上がった二頭筋を眺めるのだった。
「……やれやれ。摂政の仕事より、こいつらの相手の方が体力を使いそうだな」
レベッカの「筋肉信仰」が、教義として確立された瞬間であった。
アルトリアのジゴロな日々は、より一層、濃密な愛と筋肉に包まれていく。
だが、その背後で、銀髪の影が月明かりに紛れて忍び寄っていた。
「……お熱いねぇ、二人とも。……次は、私の番かな?」
シェリーの不敵な笑みが、次なる嵐を予感させていた。




