第8話:【前編】美神の化粧部屋と、王子の呪われた「惚れ薬」
ダンジョン『美神のクローゼット』第七階層――そこは、これまでの岩肌や鏡の回廊とは一線を画す、絢爛豪華な空間だった。
壁は淡いピンクの輝石で磨き上げられ、空気中には微かに花の香りが漂う。通路の至る所に巨大な三面鏡と、宝石が散りばめられたパウダーコーナーが並んでいた。
通称、『美神の化粧部屋』。
「……なんだ、この落ち着かない場所は。魔物の気配よりも、粉おしろいの匂いの方が強いぞ」
アルトリアは、愛用の大剣を肩に担ぎ直し、警戒を解かずに進む。
だが、その一歩を踏み出した瞬間、フロア全体が眩い光に包まれた。
『――判定:原石の輝き、最大値。貴女たちの内なる美を、今こそ外面へと解放いたしましょう!』
いつものハープ音が、今度はオーケストラのような重厚な調べとなって響き渡る。
光が収まった時、四人の姿は劇的な変化を遂げていた。
「あら……? 私の杖、火力が視覚化されていますわ!」
マリエルの持つ古びた樫の杖は、鳳凰の羽を象った黄金の装飾が施され、先端からは常に美しい火の粉が舞っている。彼女自身のドレスも、燃えるような真紅のシルクへと変貌していた。
「見てください、アル姉様! 私のシスター服が、より広背筋のラインを強調する『神聖加圧仕様』になりましたわ! おまけに、この聖印……持つだけで大胸筋がパンプアップするのです!」
レベッカは、より過激に(機能的に)なった戦闘用シスター服に身を包み、黄金に輝く聖印を掲げて悦に浸っている。シェリーもまた、影の中に溶け込むような漆黒のライダースーツ風装備へと変わり、その身のこなしはより一層、猫めいたしなやかさを増していた。
そして、パーティの中心――アルトリア・ベルンシュタイン。
彼女の漆黒の鎧は、月光を反射するような滑らかな銀色の白銀鎧へと昇華されていた。
バイザーが上がり、露わになった彼女の顔は、戦う者の厳しさと、守る者の優しさが同居した、もはや「美の概念」そのもののような神々しさを放っている。
「……動きやすいな。鎧の重さを全く感じん。これが『内なる美』の反映だと言うのか?」
「アル様……最高ですわ。今のアル様なら、一瞥するだけでドラゴンも恋に落ちて自爆するに違いありませんわ!」
「アル姉様! その銀色の前腕筋、拝ませてください! 今すぐデッサンするのです!」
仲間たちが熱狂する中、アルトリアはふと、フロアの隅に設置された「緊急転送用魔法陣」が激しく明滅しているのに気づいた。
◇
一方、王宮の地下室。
カイル・ド・ラ・バカデミア王子は、怪しげな闇商人から一つの小瓶を受け取っていた。
中には、毒々しいほどに真っ赤な液体――禁断の魔道具『絶対服従のルージュ』が入っている。
「ヒッヒッヒ……。殿下、これは強力ですぜ。一度唇に塗り、ターゲットに接吻すれば、相手は一生、貴方の犬になる……。拒むことなど、神にもできやせん」
「フッ、素晴らしい。アルトリアめ、僕を無視して女たちと戯れる不敬を、この愛の呪いで洗い流してあげよう」
王子の『バカ日記』には、この時の邪悪な(と本人は愛だと思っている)決意が、地の文でこう綴られていた。
『○月×日。
ついに手に入れた。究極の愛の特効薬だ。
アルトリアは、僕という太陽を直視できず、わざと冷たく振る舞っているのだ。
ならば、僕が優しくその唇を奪い、彼女の心を僕への依存で満たしてあげよう。
泣いて、縋って、僕の靴を舐めるアルトリア……。ああ、想像しただけで僕の美学が疼くよ。
マリエルたちも、その僕に平伏すアルトリアを見て、再び僕の元へ戻ってくるに違いない』
カイル王子は、震える手でそのルージュを自分の唇に塗りたくった。
鏡の中には、唇だけが異常に赤くテカテカと光る、奇妙なナルシストの姿が映っていた。
「よし、完璧だ。……空間跳躍の栞、発動! 今度こそ、僕の愛の毒牙にかかるがいい!」
金に物を言わせたショートカット魔法が発動し、王子は再び、アルトリアたちのいる第七階層へと転送された。
◇
第七階層、化粧部屋の中央。
「……また来たか、あの不快な魔力反応が」
アルトリアが眉をひそめた瞬間、空間が歪み、カイル王子が転がり込んできた。
だが、今回の王子はこれまでの「高笑い」がなかった。
彼は無言で、テカテカに光る真っ赤な唇を突き出し、まるで獲物を狙う獣(ただし非常に不気味な)のような目でアルトリアを凝視している。
「……殿下? その口元はどうした。毒キノコでも食べたのか?」
「……フ……フフフ……。黙れ、アルトリア……。さあ、僕の愛を受け取るがいいッ!!」
王子は、周囲の護衛も構わず、全力でアルトリアに向かってダイブした。
その狙いは、アルトリアの頬――いや、唇である。
「食らえ、愛の死の接吻ッ!!」
スローモーションのように、赤く光る王子の唇が、銀色のアルトリアへと迫る。
しかし、アルトリアの反射神経は、王子の妄想を遥かに凌駕していた。




