第30話 甘やかなる終身刑
その日の夜。
第零班の執務室は、さながら小さな宴会場と化していた。
「うっひょー! なんすかこれ! ベルンさん、今日は王様の誕生日っすか!?」
ギルバート一等兵が、テーブルに並んだ料理を見て歓声を上げた。
前菜のテリーヌ、魚介のカルパッチョ、牛頬肉の赤ワイン煮込み。
そして中央には、黄金色に輝くコンソメスープ。
ベルンが、ありったけの技術と感謝を込めて作ったフルコースだ。
「今日は無礼講だ。存分に食べろ」
クラウスも上機嫌だった。
ベルンの向かいの席に座り、スープを一口啜る。
その瞬間、彼の表情がとろりと蕩けた。
「……ん。……美味い」
「ありがとうございます。……前に作った残り野菜のスープを、最高の食材で再現してみました」
「……あの時とは違うな。……もっと、深い味がする」
クラウスは愛おしそうにスプーンを動かした。
宴は和やかに進んだ。
ギルバートが酔っ払ってクラウスに絡み、クラウスが氷の視線で撃退し、ベルンがそれを笑って宥める。
いつもの、騒がしくて温かい第零班の夜。
ベルンは、楽しそうに笑うクラウスの横顔を見つめていた。
憑き物が落ち、年相応の青年のように笑う彼。
もう、大丈夫だ。
俺がいなくても、彼は笑える。
俺という「復讐の記憶」は、ここで去るべきだ。
ベルンは席を立ち、給湯室へと向かった。
片付けをするフリをして、心を落ち着かせるために。
廊下に出ると、ギルバートが追いかけてきた。
彼は酔っ払っているように見えたが、その目は妙に醒めていた。
「……ベルンさん」
「ん? 飲みすぎですか、ギルバート一等兵」
「違いますよ。……自分、まさか『これで最後』とか思ってないっすよね?」
ギルバートの指摘に、ベルンは息を呑んだ。
やはり、長く付き合ってきた同僚にはお見通しか。
「……復讐は終わりましたからね。私はただの、38歳の元料理人です。ここにいる理由はありません」
「はあ……。ベルンさんって、肝心なところで鈍感っすよね」
ギルバートは呆れたように溜息をつき、執務室のドアを指差した。
ガラス越しに、中の様子が見える。
クラウスが、ベルンの空席をじっと見つめている。
ドアが開く音を待って、耳を澄ませているのが分かる。
その姿は、主人の帰りを待つ忠犬そのものだった。
「見てくださいよ、あの団長を。……復讐が終わったら居場所がない? ここがベルンさんの実家みたいなもんじゃないっすか」
「……ギルバートさん」
「あれを捨てていくんすか? 野良猫よりタチ悪いっすよ、今の団長は。……自分がいなくなったら、またあの気色の悪いゼリー生活に逆戻りっすよ」
ギルバートはベルンの肩をポンと叩いた。
「……素直になりましょうよ。本当は、ここにいたいんでしょう?」
その言葉に、ベルンの胸が痛んだ。
いたい。
ずっと、あの不器用な人のそばで、スープを作り続けたい。
でも、それは許されるのだろうか。
ベルンは深呼吸をし、覚悟を決めて執務室へと戻った。
+++
宴がお開きになり、ギルバートが千鳥足で帰った後。
執務室には二人だけが残った。
静寂が戻った部屋で、クラウスは満足げに食後の紅茶を飲んでいた。
「……良い夜だった。ベルン、片付けは明日にして、もう帰ろう」
「団長」
ベルンは、クラウスのデスクの前に立った。
そして、懐から白い封筒を取り出し、デスクの上に置いた。
『辞表』。
クラウスの動きが止まった。
カップを持つ手が空中で静止する。
室温が一気に下がった気がした。
「……なんのつもりだ、これは」
「見ての通りです」
ベルンは背筋を伸ばし、努めて冷静に告げた。
「事件は解決しました。私の目的である復讐も終わりました。……よって、本日付けで騎士団を退団し、元の料理人に戻ります」
「…………」
「貴方の側には、私のような復讐鬼は似合いません。これからは光のあたる場所で、輝かしい未来を歩んでください。……短い間でしたが、お世話になりました」
言い切った。
これでいい。これで彼は、自由になれる。
ベルンが頭を下げようとした、その時。
ビリッ!!
乾いた音が響いた。
ベルンが顔を上げると、クラウスが辞表を手に取り、無表情のまま引き裂いていた。
ビリビリ、ビリリッ!
紙片が雪のようにデスクに散らばる。
「……団長?」
「ふざけるな」
クラウスが立ち上がった。
その青い瞳は、怒りと、そして隠しきれない焦燥で揺れていた。
「誰が許可するか! 戻るだと? 貴様の帰る場所はここだ! 私の隣だ!」
「ですが……私はもう、戦う理由が……」
「理由など私が作る! ……貴様は、重大な罪を犯したんだぞ!」
クラウスは机を回り込み、ベルンの胸倉を両手で掴み上げた。
至近距離。
その瞳に、涙が滲んでいるのが見えた。
「私を……! 貴様の存在がなければ生きられない体にした罪だ!!」
「……え?」
「責任を取れ! 私をこんな風に餌付けしておいて、勝手にいなくなるなど許されん行為だ!」
それは、ただの我儘だった。
けれど、世界で一番切実な、愛の告白にも聞こえた。
クラウスはベルンを睨みつけ、涙声で叫んだ。
「認めん! 貴方は終身刑だ! ……私のそばで、生涯スープを作る刑に処す!」
終身刑。
その言葉の響きに、ベルンは呆気にとられた。
そして、ゆっくりと意味を咀嚼し……こみ上げてくる笑いを抑えきれなくなった。
「……はは、終身刑ですか。それはまた、厳しい判決ですね」
「笑うな! 私は本気だ!」
「上訴は?」
「棄却する! ……逃がさん」
クラウスはベルンの胸倉から手を離すと、ベルンの胸ポケットに指を突っ込んだ。
取り出したのは、以前「担保」として預けた、アルゼイン家の飾緒の金の金具だ。
「……これをまだ持っているな」
「ええ。返そうとしたら、貸しておくと言われたので」
「そうだ。……その金具を持っている限り、貴様はアルゼイン家の“所有物”だと思え」
クラウスはその金具がついた紐を、ベルンの首に回した。
まるで、首輪をつけるように。
そして、そのままベルンの首に腕を回し、強く抱きついた。
「……これは担保じゃない。私の『首輪』だ」
「……団長?」
「死ぬまで外さん。……だから、行くな」
耳元で囁かれる、震える声。
ベルンは観念した。
この人は、自分がいないと駄目なのだ。
そして自分もまた、この人のそばにいたいと願っている。
復讐のためではなく、ただ、この愛すべき上官のために。
ベルンは、抱きついてくるクラウスの背中に、そっと手を回した。
「……了解しました。服役させていただきますよ、看守殿」
「……フン。模範囚なら、たまには仮釈放くらいは認めてやる」
クラウスはベルンの肩に顔を埋め、安堵の息を吐いた。
散らばった辞表の紙片が、二人の新たな契約を祝う紙吹雪のように見えた。
+++
翌朝。
第零班の執務室に、いつもの朝が訪れた。
だが、ベルンの姿は少し違っていた。
サイズが合わない草臥れた二等兵の軍服ではない。
仕立ての良い、上質な生地で新調された、団長補佐官用の制服に袖を通している。
肩には、あの金色の飾緒が、誇らしげに輝いていた。
「……どうだ、サイズは」
クラウスが、自分のデスクから上目遣いに尋ねた。
その顔は、満足げだ。
「ぴったりです。……これ、いつの間に用意してくれたんですか?」
「倉庫に眠っていたのを引っ張り出しただけだ。……たまたま合うようだな」
嘘だ。つい先日、街のテイラーが何も言わずに採寸に来た。黙って特注していた。
ベルンは苦笑しながら、襟を正した。
「似合っている。……今日からが、本当の『勤務初日』だ。ついて来いよ、ベルン」
「イエス、マイ・ロード(仰せのままに、団長)」
ベルンは深々と一礼した。
かつての復讐者の顔はない。
そこには、最愛のバディと共に生きる、一人の騎士の顔があった。
キッチンから、スープの良い香りが漂い始める。
二人の「終身刑」という名の、甘やかで騒がしい日々が、ここからまた始まるのだった。




