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38歳の新人衛兵、不眠症の年下騎士団長に「抱き枕」として徴用される  作者: 団田図


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第29話 墓前の宣言

 王都の第一地区にある、冷たい石造りの豪邸。

 かつて「氷の城」と呼ばれ、静寂と冷気だけが支配していたその場所に、今は温かい湯気と芳醇な香りが満ちていた。


 朝のキッチン。

 ベルン・ガーランドは、エプロン姿でフライパンを揺すっていた。

 厚切りのベーコンが脂を弾かせ、卵が半熟に固まっていく。隣のコンロでは、昨夜から煮込んだポトフがコトコトと音を立て、野菜の甘い香りを漂わせている。


「……よし。こんなもんか」


 ベルンが皿に盛り付けようとした、その時だった。


 ドサッ。


 背後から、重たい何かがのし掛かってきた。

 腰に細い腕が回され、背中に額が押し付けられる。


「……団長。重いです」

「……うるさい。充電中だ」


 背中の主は、寝起きで髪を爆発させた家主、クラウス・フェン・アルゼインだった。

 事件解決後、ベルンは「体調管理とリハビリ」という名目で、再びこの屋敷に連れ戻されていた。

 そして、この「朝の充電」が日課となっていた。


「まだ完成しないので、もう少し寝てていいですよ」

「……駄目だ。貴様の匂いが薄れると、目が覚める」


 クラウスはベルンの背中に顔を埋め、スースーと深呼吸を繰り返す。

 干し草と、出汁と、少しの汗の匂い。

 それを肺いっぱいに吸い込むことで、クラウスの身体機能は「戦闘モード」へと切り替わっていくらしい。


「……動くな。卵など焦がしておけ」

「貴方がくっついているから火加減が見えないんですよ」

「……私の世話と卵、どっちが大事なんだ」

「卵です」

「即答するな!」


 クラウスは不満げにベルンの脇腹をつねったが、腕の力は緩めない。むしろ、逃がさないと言わんばかりに強く抱きしめてくる。

 その体温は高く、背中越しに伝わる心音は穏やかだ。

 ヴァルデングという呪縛から解き放たれた彼は、まるで甘え方を知ったばかりの猫のように、ベルンにべったりだった。


「……ベルン」

「はい」

「……今日のポトフ、人参は入っているか?」

「入ってますよ。ちゃんと食べてくださいね」

「……チッ。貴様が口移ししてくれるなら考えてやる」

「寝言は寝てるときに言ってください」


 軽口を叩き合いながら、ベルンは苦笑した。

 幸せな朝だ。

 弟を殺され、復讐に燃えていた半年間には想像もしなかった、穏やかな光景。

 けれど、胸のポケットには、一通の封筒が入っていた。

 『辞表』。

 その重みが、ベルンの心に小さな棘のように刺さっていた。


   +++


 王都の空は、抜けるような青だった。

 連日の雨が嘘のように上がり、水溜まりが太陽を反射してキラキラと輝いている。


 共同墓地の外れ。

 ベルンは、弟エミル・ガーランドの墓石の前に立っていた。

 手には、事件の顛末が記された新聞記事と、エミルが好きだった安酒。

 そして、復讐のために振るい続けた、刃こぼれした剣。


「……終わったよ、エミル」


 ベルンは墓石に水をかけ、静かに語りかけた。


「ヴァルデングは捕まった。過去の余罪も次々と暴かれて、一生陽の目を見ることはないだろう。……お前の無念は、晴らしたぞ」


 風が吹き抜け、墓地の木々を揺らす。

 ベルンは酒を一口含み、残りを墓前に撒いた。


「……でも、不思議だな。もっと胸がすくかと思ったが……ただ、静かだ」


 復讐こそが生きる糧だった。

 その燃料が燃え尽きた今、心の中には広大な空洞が広がっているようだった。

 ベルンは腰から剣を外し、墓石の横にそっと置いた。


「もう、これは必要ないな。……俺の手は、誰かを傷つけるためじゃなく、美味いものを作るためにあるんだ」


 ベルンは自分のてのひらを見つめた。

 剣ダコの下に、かつての包丁ダコがまだ残っている。

 クラウスの側にいれば、自分はまた剣を握ることになるだろう。彼は英雄で、戦いの中に生きる人だ。

 復讐を終えた自分が、彼の光ある未来に影を落とすわけにはいかない。


「……そろそろ、潮時か」


 ベルンが立ち上がろうとした、その時だった。


「――待たせたな、ベルン」


 背後から、不機嫌そうな、しかしどこか弾んだ声がした。

 振り返ると、そこには場違いなほど煌びやかな男が立っていた。

 純白の礼服に身を包み、勲章をジャラジャラと下げた、正装のクラウスだ。

 そしてその腕には、墓石が埋まりそうなほど巨大な、白百合の豪華な花束が抱えられている。


「だ、団長? なぜここに」

「貴様の匂いをたどったらここへ来た。……それに、部下の家族に挨拶するのは、上官の務めだ」


 クラウスはズカズカと歩み寄ると、エミルの墓前にドサッと花束を供えた。

 そして、背筋を伸ばし、真剣な表情で敬礼した。


「初めまして、エミル・ガーランド殿。……クラウス・フェン・アルゼインだ」


 墓に向かって自己紹介を始めた。

 ベルンは慌てて止めようとしたが、クラウスは構わず続けた。


「貴方の兄上には、多大なる世話になっている。……私の胃袋と、睡眠と、精神安定のすべてを彼に握られていると言っても過言ではない」

「ちょ、団長! 故人に何を言いつけてるんですか!」

「黙っていろ。重要な話の最中だ」


 クラウスはベルンを一瞥し、再び墓石に向き直った。

 その瞳は、いつになく真摯で、熱を帯びていた。


「……彼は復讐を終え、生きる目的を見失っているかもしれない。だが、安心してくれ。……貴方の兄上は、私が預かる」


 風が止まった気がした。

 ベルンは目を見開いた。


「彼は私が守る。彼の作るスープも、その背中も、老後の面倒まで含めて……私が全責任を持つ。だから、貴方は安心して眠ってくれ」

「……っ」


 まるで、結婚の挨拶のような口上だった。

 ベルンの顔がカッと熱くなる。

 クラウスは満足げに頷くと、ベルンの方を向いた。


「……済んだぞ。帰るぞ、ベルン。腹が減った」

「……あの、団長。預かるって何ですか、預かるって」

「言葉通りの意味だ。……不服か?」

「不服というか……重いです、愛が」

「フン。光栄に思え」


 クラウスはマントを翻して歩き出した。

 その背中を見送りながら、ベルンは懐の辞表を握りしめた。

 こんな風に言われてしまっては、決意が揺らぐ。

 だが、だからこそ――ケジメをつけなければならないとも思った。

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