第28話 雨上がりの帰還
ベルンの絶叫と共に、クラウスは残った魔力を全て剣に注ぎ込んだ。
「凍てつけ!!――氷葬閃技昇ゥ!!」
切っ先から放たれた絶対零度の閃光が、雨粒ごと空間を凍結させた。
ヴァルデングが防御魔法を展開しようとするが、遅い。
足元から一瞬にして氷が這い上がり、その体を拘束する。
「ぐ、おぉっ……!?」
ヴァルデングは氷柱の中に閉じ込められ、身動きを封じられた。
首元に、クラウスの剣先が突きつけられる。
勝負あった。
「……く、くく……」
ヴァルデングは凍りついた唇で、それでも笑った。
「残念だよ、クラウス。……殺せ。それで君は完成する。親代わりの私を殺して、君は真の『処刑人』になるんだ」
最期まで、この男はクラウスを自身の作品として完成させようとしている。
クラウスの手が震えた。
殺意はある。こいつを生かしておけば、また誰かが犠牲になるかもしれない。
だが。
(……団長)
脳内に、静かな呼びかけがあった。
制止ではない。ただ、そばにいるという合図。
その温かさが、クラウスの手の震えを止めた。
「……断る」
クラウスは剣を引いた。
「私には、新しい『父』は必要ありませんから」
「……何?」
「私には……帰る場所が必要なので。人殺しの手で、あいつのスープを飲んだら、うまくなくなる」
クラウスは冷ややかに見下ろした。
「貴様は法で裁く。弟を殺されたベルンのために、そして貴様が利用した全ての犠牲者のために。……その罪、生きて償え」
その時。
屋敷の外から、けたたましい蹄の音が響いてきた。
ベルンが手配していた、治安維持局監査室の直轄部隊だ。
「確保ーッ! ヴァルデング判事、並びにその私兵を拘束せよ!」
雪崩れ込んでくる騎士たち。
ヴァルデングは抵抗することもできず、数人の騎士に取り押さえられた。
連行されていく彼の背中は、もはや王都の守護者ではなく、ただの哀れな老人に見えた。
騒乱の中。
クラウスはその場に立ち尽くしていた。
緊張の糸が切れ、膝が笑っている。
視界の端が白く霞む。魔力の使いすぎだ。
「……団長ッ!!」
聞き慣れた声。脳内ではなく、鼓膜を震わせる生の声。
振り返ると、遠くからベルンが、泥まみれになって走ってくるのが見えた。
その姿を認識した瞬間。
フツリ。
頭の中で繋がっていた回路が、唐突に切断された。
双眸連結の解除。
「……がッ、あぁっ……!」
「ぐっ……!」
同時に、二人はその場に崩れ落ちた。
リンクが切れた反動。
そして、共有していたダメージが一気に肉体にフィードバックされる。
ベルンが滑り込むようにして、倒れゆくクラウスを受け止めた。
ガシッ。
泥だらけのテラスで、二人は縋り合うようにして座り込んだ。
「……ハァ、ハァ……無事ですか、団長……」
「……無事な、ものか……。全身が、バラバラになりそうだ……」
クラウスはベルンの腕の中で、苦しげに息を吐いた。
脇腹の傷が痛む。
だが、それ以上に――ベルンの肩の傷、足の疲労、そして頭痛までもが、自分の感覚として残響している。
痛い。重い。
けれど、温かい。
「……ベルン。……痛ったぁ……」
「……私もです。……貴方の脇腹、けっこう深くやられてますよ」
ベルンは顔をしかめながら、それでも嬉しそうに笑った。
互いの傷の痛みが、相手が生きている証拠だと噛み締めるように。
「……馬鹿な、魔法だ……」
「ええ。二度とごめんです」
クラウスはベルンの胸に顔を埋めた。
雨に濡れた軍服からは、泥と血の匂いがする。
だが、その奥にある、あの「干し草のような」匂いは変わらない。
「……終わったな」
「はい。終わりました」
ベルンが、クラウスの濡れた銀髪を、大きな手でゆっくりと撫でた。
子供をあやすような、優しい手つき。
クラウスの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは悲しみの涙ではなく、長い悪夢から覚めた朝露のような涙だった。
「……団長。約束通り、お返しします」
ベルンは泥だらけの手で、胸ポケットから銀色の金具を取り出した。
アルゼイン家の家宝である飾緒の先端。生きて戻るための担保として預かっていたものだ。
だが、クラウスはその手を押し戻し、ベルンの掌をギュッと閉じさせた。
「……いらん。持っていろ」
「ですが、これは大切な家宝でしょう」
「勘違いするな。やるわけではない。……無期限で『貸して』やるだけだ」
クラウスは懐から、あの小さな銀のスプーンを取り出し、悪戯っぽく唇の端を吊り上げた。
「だから、貴様のこれも私が借りておく。……担保の更新だ」
「……はは。随分と長い契約になりそうですね」
「当然だ。私の舌が飽きるまで……いや、一生付き合ってもらうぞ」
銀の金具と、銀のスプーン。
互いの命の一部のような二つの金属が、泥にまみれた二人の絆を、何よりも強く、永遠のものとして結び直していた。
「……帰るぞ、ベルン」
クラウスは掠れた声で言った。
「……腹が、減った」
「ええ。帰りましょう、団長」
ベルンは微笑み、クラウスの体を強く抱きしめ直した。
「我が家へ。……とびきりのオムライスを作りますよ」
雨上がりの夜空に、雲の切れ間から月が覗いていた。
二人の英雄は、泥の中で寄り添い合い、確かな体温を分かち合っていた。
それは、どんな魔法よりも強く、二人を繋ぎ止める絆の形だった。




