第24話 再会と閃光
二階のヴァルデングが、パチパチと拍手をした。
「感動的だね、クラウス。まさか、君が私の命令に背いてまで、こんな薄汚いスパイを助けに来るとは」
「父上……」
クラウスはヴァルデングを見上げた。
その瞳には、まだ縋るような色が残っている。
「間違いですよね? 彼はスパイなどでは……」
「間違いではないよ。彼は君にとって『邪魔なノイズ』だ」
ヴァルデングは慈愛に満ちた笑みを浮かべたまま、残酷な真実を口にした。
「君は私の最高傑作だ。王都の秩序を守る、完璧で鋭い剣。……だが、剣に『心』は必要ない。特に、温かい食事や安らぎといった、君を鈍らせる不純物はね」
「……不純物?」
「そうだ。だから、君の兄も、君の実の親も、全て私が処理した。……君が孤独で、美しくあるために」
クラウスの呼吸が止まった。
事故死だと思っていた家族を殺しただと?
それにベルンを殺そうとしているのも。
全ては、クラウスを「都合のいい孤独な凍てつく兵器」として完成させるためだったと言うのか。
「……秩序のための犠牲だ。感謝してほしいくらいだよ」
「……私のために、人を殺していたと言うのですか……」
ガシャン。
クラウスの手から、剣が滑り落ちた。
心が、音を立てて砕け散るのが分かった。
自分が信じていた正義は、父の歪んだ欲望の上に成り立っていた。
自分は英雄などではない。大量殺人の片棒を担がされた、ただの人形だったのだ。
「あ、あぁ……あ……」
クラウスはその場に崩れ落ち、頭を抱えた。
戦意喪失。
ヴァルデングは冷ややかに笑った。
「真実を知って壊れてしまったか。……残念だよ、クラウス。君には再教育が必要だね」
ヴァルデングが手を掲げる。
暗闇の奥から、さらに巨大な魔獣の気配が滲み出てくる。
「まずその男を殺し、その血で君を洗礼し直そう」
絶体絶命。
ベルンは歯を食いしばった。
戦うか?
いや、無理だ。
今のクラウスは廃人同然だ。
自分も片手が使えない。この数の魔獣を相手に、クラウスを守りながら戦うことは不可能だ。
ここで全滅すれば、犬死にだ。
(引くしかない。……生きて、立て直すんだ)
ベルンは懐の閃光弾を握りしめた。
「団長! しっかりしてください!」
ベルンは叫び、閃光弾のピンを抜いた。
「目を閉じて!!」
カッッッ!!!!
倉庫内が、真昼よりも眩しい白光に包まれた。
暗闇に目が慣れていたヴァルデングと魔獣たちが、悲鳴を上げて目を覆う。
「今だッ!」
ベルンは、座り込むクラウスの腕を掴んで引きずり起こした。
その体は鉛のように重く、反応がない。
だが、ベルンは強引に抱え込み、剣を拾って全速力で走り出した。
「逃げますよ! 生きて、あいつを裁くために!」
倉庫の裏口を蹴破り、二人は激しい雨の夜闇へと飛び込んだ。
+++
王都の地下水路。
廃棄区画から続く古い排水トンネルの奥に、かつて管理小屋として使われていた小さな空間があった。
外の雨音は遠く、滴る水の音だけが響く。
ベルンは、ずぶ濡れになったクラウスを、乾いた床の上に座らせた。
近くにあった木箱を壊し、近くにあった着火剤で小さな焚き火を起こす。
揺らめく炎が、二人の影を壁に映し出す。
クラウスは、体育座りで膝を抱え、虚空を見つめていた。
銀色の髪から滴る水が、涙のように頬を伝う。
その体は、小刻みに、しかし止まることなく震え続けていた。
「……私は……人殺しに育てられた、人形だったのか……」
掠れた声が、漏れ出した。
「父上……なぜ……私は、貴方を信じて……」
「…………」
ベルンは何も言えなかった。
どんな言葉も、今の彼には空虚に響くだろう。
肩の傷がズキズキと痛むが、そんなことはどうでもよかった。
目の前で、愛する人の心が壊れていくのを見る方が、何倍も痛い。
ベルンは自分の上着を脱ぎ、それをクラウスの肩に掛けた。
それでも、震えは止まらない。
寒さのせいではない。魂が凍えているのだ。
ベルンは、クラウスの背後に回り込んだ。
そして、躊躇うことなく、その広い両腕で、後ろからクラウスを抱きしめた。
「……ッ!?」
クラウスの体がビクリと跳ねる。
だが、ベルンは離さなかった。
冷え切った体を、自分の体温で包み込むように、強く、優しく抱きしめる。
干し草と、泥と、そして微かな血の匂いが混じった、ベルンの匂い。
「……今は、何も考えないでください」
ベルンは、クラウスの濡れた髪に顔を埋めて囁いた。
「俺がここにいます。……貴方が人形なものですか」
ベルンの太い腕が、クラウスの胸の前で組まれる。
その手は、ゴツゴツしていて、温かかった。
「貴方は、私の作ったスープを『美味い』と笑ってくれた人です。私が怪我をすれば怒り、いなくなれば迎えに来てくれた、誰よりも人間味あふれる人です」
「……ベルン……」
「私は知っています。貴方の心がどれだけ温かいか。……だから、あんな男の言葉に、貴方自身を否定させないでください」
背中から伝わる熱。
トクトクと脈打つ、力強い心音。
それが、バラバラになりかけたクラウスの輪郭を、辛うじて繋ぎ止める。
「……う、ぁ……あぁ……ッ」
クラウスの喉から、嗚咽が漏れた。
堰を切ったように、涙が溢れ出した。
彼はベルンの腕を握りしめ、子供のように声を上げて泣いた。
信じていた世界が壊れた悲しみと、それでもこの温もりが残っていたという安堵が入り混じった涙だった。
ベルンは何も言わず、ただ黙って、泣きじゃくる「氷の処刑人」を抱きしめ続けた。
外は冷たい雨が降り続いている。
だが、この狭く薄汚い隠れ家の中だけには、確かな体温があった。
復讐の炎は消えていない。
だが今はただ、この傷ついた青年の心が、朝を迎えるまで凍りつかないように守ること。
それが、ベルンの新たな戦いだった。




