第22話 倉庫の罠
夕刻。
第零班の執務室に、一通の速達が届いた。
差出人は『王都治安維持局』。
内容は、先日の魔獣襲撃事件に関する重要参考人としての出頭命令だった。
「……来たか」
ベルンはその手紙を見つめ、静かに呟いた。
指定された場所は、王都の外れにある廃棄区画の第4倉庫。
事情聴取にしては、あまりに人気のない場所だ。
時間も、陽が落ちてからの指定。
罠だ。
分かりやすすぎるほどの罠だ。
だが、ベルンに逃げるという選択肢はなかった。
これに行かなければ、次はクラウスに危険が及ぶかもしれない。
それに、これは好機でもあった。
相手が直接手を下そうとしてくるなら、そこで決定的な証拠を掴めるかもしれない。
「……ギルバート一等兵」
「あ、はい! なんすか、ベルンさん!」
「俺は少し出かけてきます。……後のことは頼みました」
「え? あ、はい。……すぐ戻るんすよね?」
ベルンの背中が、どこか遠くへ行ってしまうような気がして、ギルバートは不安げに聞いた。
ベルンは答えず、寂しげに笑い、手紙を机の上に置いたまま部屋を出た。
彼は給湯室へ向かい、ことことと煮込んでいた鍋の火を止めた。
メモ用紙にペンを走らせる。
『クリームシチューです。温めて食べてください』。
それを鍋の蓋に貼り付け、ベルンは執務室を出た。
+++
廊下に出ると、ちょうど外回りから戻ってきたクラウスと鉢合わせた。
夕陽が差し込む長い廊下。
二人の足が止まる。
数メートルの距離が、永遠のように遠く感じられた。
「…………」
「…………」
言葉が出なかった。
言いたいことは山ほどある。
謝りたい。信じてほしい。気をつけてほしい。
だが、今の二人には、それを伝える言葉が見つからなかった。
クラウスは気まずそうに視線を逸らし、ベルンはただ穏やかに、かつての上司を見つめた。
「……夕食、用意してあります」
ベルンが絞り出したのは、そんな些細な日常の言葉だった。
「……ああ」
クラウスは短く答えた。
ベルンは一礼し、クラウスの横を通り過ぎていく。
すれ違う瞬間、あの干し草のような匂いが鼻を掠めた。
(……待て)
クラウスの心臓が、早鐘を打った。
行かせてはいけない気がした。
その背中を呼び止め、もう一度「帰るぞ」と言わなければならない気がした。
「……べ」
名前を呼びかけた時、ベルンは角を曲がり、その姿は見えなくなっていた。
「……フン。どうせ、買い物だろう」
クラウスは胸のざわめきを無理やり抑え込み、自分に言い聞かせた。
執務室に戻れば、温かいシチューがある。
それを食べれば、きっとこの不安も消えるはずだ。
そう信じて、彼は扉を開けた。
+++
王都、廃棄区画。
崩れかけたレンガ造りの倉庫が立ち並ぶその場所は、死のような静寂に包まれていた。
ベルンは指定された第4倉庫の前で足を止めた。
そこには、一人の男が立っていた。
「やあ。時間通りだね、ガーランド君」
ヴァルデング判事だった。
従者も連れず、たった一人。
だが、その周囲には、異様なまでの「圧」が満ちていた。
「……判事殿自らのお出迎えとは、光栄です」
ベルンは剣の柄に手をかけた。
ヴァルデングは優雅に微笑んだ。
「君のスープの評判は聞いているよ。クラウスが絶賛していた。……一度、食べてみたかったが」
パチン。
ヴァルデングが指を鳴らした。
瞬間、世界が歪んだ。
倉庫の影、屋根の上、地面の窪み。
あらゆる「空間」から、カチ、カチ……という硬質な音が響き始めた。
一匹や二匹ではない。
数十匹の透明魔獣の気配が、ベルンを取り囲んでいた。
「残念だが、最後の晩餐になりそうだね」
ヴァルデングの目が、爬虫類のように細められた。
「やれ」
号令と共に、見えない殺意が殺到した。
「――ッ!!」
ベルンは剣を抜いた。
だが、敵は透明。しかも多勢。
風切り音だけを頼りに刃を弾くが、背後からの攻撃は防ぎきれない。
ザシュッ! ズバッ!
「ぐあっ……!」
肩が、見えない刃によって切り裂かれる。
傷口は浅いが鮮血が舞う。
ベルンは必死に剣を振るうが、それは虚空を切るばかりだ。
「無駄だよ。彼らは私の忠実な下僕だ。……君の弟のように、静かに逝きたまえ」
ヴァルデングは安全圏から、ショーを楽しむように眺めている。
(……強いな)
見えない魔獣たちがとどめを刺そうと迫ってくる。
死ぬのか。
ここで、復讐も果たせず、汚名を着せられたまま。
危険な状況でベルンの脳裏に浮かんだのは、弟エミルの笑顔ではなかった。
あの不器用で、偏食家で、寂しがり屋の騎士団長クラウスの顔だった。
今頃、シチューを食べているだろうか。
ちゃんと温めただろうか。
俺がいなくなったら、またあの味気ないゼリー生活に戻るのだろうか。
「……はは……」
それだけが、心残りだな。




