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38歳の新人衛兵、不眠症の年下騎士団長に「抱き枕」として徴用される  作者: 団田図


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第20話 暴かれた黒幕

 一時間後。

 ベルンは下町の廃墟――かつての『陽だまり亭』の跡地にいた。

 瓦礫を素手で退け、焼け焦げた床板を引き剥がす。

 泥だらけになりながら掘り返した土の中から、油紙に包まれた小さな鉄箱が出てきた。


 震える手で開ける。

 中には、古い捜査資料の写しと、エミルの友人の手帳が入っていた。

 エミルには記者の友人がいたが、若くして病で亡くなったと聞いていた。

 資料の日付は十年前。『嘆きの聖女事件』。

 無実の少女が魔女として処刑された、悲劇の事件だ。

 その判決を下したのがヴァルデングだった。

 だが、手帳に挟まれていたメモには、真犯人がヴァルデングの甥であり、それを隠蔽するために少女に罪を被せた証拠が記されていた。

 筆跡鑑定書、賄賂の記録。決定的な証拠だ。

 きっとエミルは友人の記者からこれを託されていたのだろう。


「……こんなもののために」


 ベルンは証拠を懐にねじ込んだ。

 その時だった。


 フワッ……。


 風に乗って、あの臭いがした。

 腐った果実と、鉄錆の臭い。

 魔獣の残り香だ。


「……!」


 ベルンは顔を上げた。

 臭いは新鮮だ。ついさっき、ここを通ったばかりだ。

 ベルンは走り出した。

 臭いの跡を辿る。

 下町を抜け、大通りを横切り、貴族たちが住む第一地区へ。

 そして、辿り着いたのは――壮麗な鉄柵に囲まれた、ヴァルデング判事の私邸だった。


 ベルンは物陰に身を潜めた。

 「観察眼」を凝らす。

 門の警備兵の目を盗み、何かが敷地内へと滑り込むのが見えた。

 空間が揺らぎ、陽炎のように透明な輪郭が浮かび上がる。

 透明魔獣だ。

 それが、まるで飼い犬が家に帰るように、ヴァルデングの庭へと入っていく。

 奥の庭園では、初老の紳士――ヴァルデングが、バラに水をやっていた。

 彼は何もない空間に向かって微笑みかけ、手にした生肉の塊を放り投げた。

 空中で肉が消滅し、咀嚼そしゃく音が響く。


「……よしよし。いい子だ」


 確定だった。

 これ以上の証拠はない。

 餌に特殊な薬物を仕込み、特定の匂い(ヴァルデングの香水)には攻撃しないよう条件付けして飼いならしていた。


 しばらくするとヴァルデングは、来客の知らせを受け、屋敷の中へと戻っていった。

 ベルンはエミルが残した鉄箱を強く握りながら歯を食いしばり、その場を去った。


   +++


 一方、その頃。

 ヴァルデング邸の応接室では、クラウスが上気した顔で紅茶を飲んでいた。


「よく来てくれたクラウス。こうして定期的に会いに来てくれてうれしいよ」


 庭から戻ってきたヴァルデングが、手を拭きながら入ってきた。

 その笑顔は慈愛そのもので、先ほど魔獣に餌をやっていた男と同一人物とはとても思えない。


「君は私の誇りだ。亡き父君も、天国で喜んでいるだろう」

「……勿体ないお言葉です、ヴァルデング様」


 クラウスは感動に震えていた。

 実の親からは一度も愛されず、他界してしまった。

 そんな自分に「誇り」だと言ってくれるのは、世界でこの人だけだ。


「君にこれをやろう」


 ヴァルデングが差し出したのは、美しい装飾が施された短剣だった。


「私の家の紋章が入っている。……これを持っているということは、君は私の息子も同然ということだ」

「……ッ! あ、ありがとうございます……! 一生の宝にします!」


 クラウスは短剣を胸に抱きしめた。

 心が満たされる。

 自分は一人じゃない。この偉大な父がいる限り、自分の正義は揺るがない。

 そう確信して、彼は私邸へと帰った。

 愛する同居人の待つ場所へ。


   +++


 夜。

 クラウスが上機嫌で私邸に帰宅すると、リビングは暗かった。

 明かりもつけず、ベルンがソファに座っている。

 テーブルの上には、泥だらけの鉄箱と、古びた紙束が置かれていた。


「……ベルン? どうした、暗いぞ」


 クラウスが魔石灯をつける。

 照らし出されたベルンの顔を見て、クラウスは息を呑んだ。

 いつも温厚なその瞳に、見たこともない暗く冷たい炎が宿っていたからだ。


「……団長。座ってください」

「……なんだ、改まって」


 クラウスはいぶかしげにソファに座った。

 ベルンは静かに、しかし震える声で切り出した。


「弟を殺した黒幕が分かりました」

「本当か! 誰だ、その愚か者は。私がすぐに斬り捨ててやる」

「……そうしてください。できるのならば」


 ベルンはクラウスの目を真っ直ぐに見据えた。


「犯人は……ヴァルデング判事です」


 時間が止まった。

 クラウスは数秒間、言葉の意味が理解できないように瞬きをした。

 やがて、その顔が怒りで歪んだ。


「……貴様、何の冗談だ」

「冗談ではありません。これが証拠です」


 ベルンはエミルのレシピノートと、発掘した証拠書類を突きつけた。


「判事は過去の冤罪事件を隠蔽するために、それに気づいたエミルを始末したんです。……今日、私は見ました。彼の屋敷に、透明魔獣が出入りしているのを」

「嘘だッ!!」


 ドンッ!!

 クラウスがテーブルを拳で叩き割らんばかりに殴りつけた。


「取り消せ! 今すぐその汚い言葉を取り消せ!」

「事実です! この資料を見てください! 彼がどれだけ汚い手を使って……」

「黙れ黙れ黙れッ!!」


 クラウスは耳を塞ぎ、叫んだ。

 その姿は、信じていた世界が崩壊するのを拒絶する子供そのものだった。


「あのお方は……ヴァルデング様は、私にとって父だ! 唯一、私を人として認めてくださった方だ! そのあのお方が、人殺しだと? 魔獣使いだと? ふざけるな!」


 クラウスは立ち上がり、テーブルの上の証拠書類を薙ぎ払った。

 紙片が宙を舞う。

 エミルの命がけの告発が、床に散らばる。


「……団長」

「私への当て付けか? それとも、私の幸せが妬ましいのか? だからこんな……薄汚い紙切れで、私とあの方を引き裂こうとするのか!」


 クラウスの目には涙が溜まっていた。

 怒りではない。恐怖だ。

 ベルンを信じれば、ヴァルデングという「父」を失う。

 ヴァルデングを信じれば、ベルンという「安らぎ」が嘘になる。

 その矛盾に耐えきれず、クラウスは一番安易で、一番残酷な防衛本能を選んだ。


「……出て行け」


 クラウスは震える指で扉を指差した。


「二度と私の前に顔を見せるな。……貴様など、最初から拾ってくるべきではなかった」


 決定的な拒絶。

 ベルンは床に散らばった弟の形見を、一枚ずつ丁寧に拾い集めた。

 何も言わなかった。

 言い訳も、説得もしなかった。

 今のクラウスには、何を言っても届かないと悟ったからだ。

 洗脳に近い依存。それを解くには、言葉ではなく、もっと強い衝撃が必要だ。


「……分かりました」


 ベルンは立ち上がった。

 その顔には、深い悲しみと、それ以上の覚悟があった。


「お世話になりました、騎士団長様」


 他人行儀な敬称。

 それが、二人の甘い日々の終わりを告げる鐘の音だった。

 ベルンは背を向け、振り返ることなく部屋を出て行った。

 バタン。

 重い扉が閉まる音が、広い屋敷に反響した。


   +++


 静寂が戻ったリビング。

 クラウスは一人、立ち尽くしていた。

 怒りは波が引くように消え去り、後に残ったのは、内臓を抉り取られたような喪失感だけだった。


「……なんでだ」


 クラウスは膝から崩れ落ちた。

 寒い。

 一週間前までは当たり前だったこの部屋の冷たさが、今は耐え難いほどに寒い。

 視線の先に、ベルンが忘れていった上着がソファに残されていた。

 クラウスは這うようにして近づき、その上着を掻き抱いた。


「……なんで貴様なんだ、ベルン」


 上着に顔を埋める。

 干し草と、出汁の匂い。

 今朝、「充電」したばかりの温かい匂い。

 それが今は、涙が出るほど苦しい。


「……なんで、よりによってあの方を……」


 信じたくない。

 だが、ベルンのあの目。

 真実を見据える「観察眼」を持つ男の、悲痛な決意の目。

 あれが嘘だとは、心の奥底ではどうしても思えなかった。


 広い「氷の城」で、クラウスはベルンの抜け殻を抱きしめ、小さく丸まった。

 その夜、彼は一睡もできなかった。

 そしてベルンもまた、官舎の硬いベッドで、天井を見つめ続けていた。

 二人の「家」は、脆くも崩れ去った。

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