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第93話 マルテスの怒り

 ドアの隙間から力なくずるりと体を入れてきたメアリーは、半身を廊下に残したまま力なくその場に倒れ込んだ。


「メ、メアリーさん!?」

「ひ、酷い……」


 マルテスとレイナが声を上げ、メアリーへ駆け寄った。

 切り傷などは見当たらないものの、顔は酷く腫れ上がっていて、掴まれて振り回されたのか衣服があちこち損傷している。


「マルテス、メアリーをベッドへ」

「は、はい!」


 ベッドに寝かされたメアリーは、呼吸が不安定で荒く、体も小刻みに痙攣を始めている。

 頭部にも強いダメージを受けたのかもしれない。

 鼻も折れ、うっすらと開いている口から見える前歯も数本根元から折れている。


「お、女の顔にここまで……こりゃ上級ヒールじゃねーと元には戻らねえぞ」


 ライドが神妙な面持ちでぽつりとつぶやいた。

 切り傷も刺し傷もなく、腹部など急所へのダメージがないということは、殺す意思はなかったみたいだ。

 ただ、ダメージが顔に集中しているのは明確な意図があってのことだ。


 まあ犯人は大方あの男。パーティを抜けると言われ、猜疑心か嫉妬にでも駆られて衝動的に……といったところか。

 メアリーは素行こそ悪かったが、容姿は良い方だ。寄ってくる男はそれなりに多いだろう。


「ど、どうしよう。タリスマンも空っぽだし、施療院…… ううん、教会に連れて行くしか――――」

「でもよレイナ嬢、これの治癒ってなると大金がいるぜ? そんな金持ってんのかよ」

「それくらいならギルドの口座にあるかも」

「さすがはAランク冒険者様だぜ、そんならなんとか――――」

「でも、この街の神父様のヒールじゃ、可哀想だけど命は助かっても後遺症とかが残るかも……」


 ヒールには下位から順に、ピュアヒール、ヒール、セイクリッドヒール、アストラルヒールがある。

 街の神父が扱えるのは、軽度の骨折だったり、切り傷や噛み傷程度を治癒できるヒールがせいぜいだ。


 セレイナはセイクリッドヒールやアストラルヒールを当たり前のように使っていたが、本来ならそのレベルは国が囲う聖女や大司教クラスじゃないと扱うことが出来ない魔法。

 そういえば大勢の重傷者を一斉に治すヒールも使っていたな。まさしく彼女は女神と言っても遜色のない存在なのだ。


「あっ!」


 マルテスが何か思い出したように声を上げた。


「リ、リントさん。あの時、リントさんは瀕死の僕を治してくれましたよね? ちぎれた腕や足も……何とかならないでしょうか!」

「ち、ちぎれた腕って……そんなの治せるのってアストラルヒールクラスじゃない! この人が使えるの!?」


 やれやれ……

 親しい人間や仲間以外の目がある場所ではあまりやりたくはないんだが。友と決めた人間の頼みなら仕方ないか。

 改心しようとする人間を無視して死なれるのも後味が悪い。


「そこをどいてくれ」

「あ、兄さん、なにかするんで?」


 俺はメアリーの肩に手を触れた。

 体内のマナが澱んで乱れている。このままだと持って一日って所か。よくここまで歩いてこれたもんだ。


「あ、彼女の顔が!」

「戻って……いく」


 メアリーの痛々しかった顔は、俺が触れることによって元の状態へと戻っていき、そして荒れていた呼吸も落ち着きを取り戻した。


「これでもう大丈夫だ」

「す、すごい……いや、すごいなんて言葉じゃとても……」

「なにが起こったの? 私、奇跡でも見てるのかしら」

「あ、兄さん。あんた、神様かなんかなんすか……?」


 三人とも開いた口が塞がらないといった感じだ。

 できれば “何をしたのか” とは聞かないでほしい。俺もどう説明したらいいのか非常に困る。というかめんどくさい。

 セレイナのヒールのように、なにか光とかエフェクトでも出てくれれば誤魔化しようはあるんだが。

 傍から見たら、触れただけで治すなんて神の御業としか見えないだろうな。


「ん……うぅ」


 メアリーが目を覚まし、体を起こした。


「――――ここは」


 彼女は記憶が曖昧なようで、キョロキョロと部屋を見渡している。


「メ、メアリーさん! よかった、なんともないですか?」

「マルテス……? なんともって…… そういえば私、ボルドに酷く殴られて、それから――――」

「ええ、酷い怪我だったんですよ。リントさんが治してくれたんです」

「彼が……?」


 メアリーはほぼ無意識の状態でここまで来たようだ。

 ギルドでマルテスにこの宿と部屋を教えたのを覚えていていたらしい。


「――――本当にありがとう。命を救われちゃったみたいね」

「気にしなくていい。マルテスの頼みだ」

「え?」


 メアリーはベッドの上からマルテスを見上げた。


「マルテス、またあなたに救われたのね。ありがとう」


 メアリーの頬に一筋の涙が伝い、マルテスの拳は強く握られた。そして、真剣な表情で俺の方に向き直った。

 男が何かを決意した顔だ。そして、その顔からはニアとリキを前にしている時の、母性と父性が入り混じったような頼もしさを感じる。

 どんな言葉が来ようと、俺はこの子を後押しする。この時、俺はそう決めた。


「リントさん。僕は、強くなったんですよね?」

「そのはずだ。さっきの素振りで自分でも感じただろ?」

「はい。 ――――力が溢れてきてる気がします」


 マルテスはメアリーの方を再び振り向いた。

 その顔には、これまでの気弱で、果てしないお人好しだったマルテスには無縁のはずだった怒気を纏わせていた。


「メアリーさん。ボルドさんはどこです?」

「え……? ちょ、ちょっとなにをするつもりなの? 教えないわ!」

「――――教えてください」


 メアリーは困惑したように俺の顔を見た。その顔に、俺は一つ頷いて返した。


「……わ、わかったわ。ボルドは多分――――」



♢ ♢ ♢



 エンドラの繁華街に店を構える酒場。

 まだ日の高い昼の時間だが、店は冒険者やその日暮らしの酒飲みたちで賑わっていた。


「親父ぃ!! 葡萄酒をもう一杯くれ!!」


 ボルドはジョッキをテーブルへと叩きつけるように置いた。


「ボルドの旦那、昼間っから飲み過ぎだ。今日はここらへんで――――」

「うるせえんだよ!! 早く持ってきやがれ!! クソッ!!」


 ボルドは苛立ちで顔に険しいシワを作り、ジョッキの取っ手を握り壊した。


「お、落ち着けってボルド。明日またギルドにでも行って、ローナーの奴らからメアリーの代わりでも見つけようぜ」

「代わりだぁ!? 鑑定持ちのウィザードなんかそうそう見つかるかっ!! クソ、メアリーの奴、ろくに手も握らせねーうちに抜けるだなんてぬかしやがって。あの男に唆(そそのか)されたに違いねえ!」

「まあ見てくれは良い女だったからなぁ。夜になったら娼館にでも行って気を紛らわそうぜ。なっ」

「うるせえって言ってんだよッッ!!!!」


 ボルドはそう叫んでテーブルを蹴り上げた。

 テーブルは卓上の料理をぶちまけながら、店内を激しく転がり残骸と化した。


 店内がざわつく。


「おい、ボルドの奴どうしたんだ? 今日はまた随分と荒れてるじゃねーか」

「なんでも女に捨てられたみたいだぜ」

「ああ、あの一緒にいた綺麗なねーちゃんか? フラれて癇癪なんて情けねえ」

「おい、聞えるぞ。あれでもAランクだ。怒らせでもしたらあとがヤベーからな」


 店内のあちこちから、小声でとボルドたちへの皮肉が囁かれた。


 ちっ、聞えてんだよクソボケどもが。

 ボルドは銅貨数枚をカウンターへ投げつけると「場所を変えるぞアレン!」と乱暴に席を立ち、外へと向かった。


 その時、酒場の扉が開いた。


「どけっ!!」

「――――どきません」

「ああッッ!?」


 ボルドは視線を落とし、その姿を見て目を見開いた。

 目の前には、死んだと思っていたマルテスが立っている。ボルドは突然の出来事に、その場から数歩後ずさりをした。


 マルテスは、相変わらずその容姿には似つかわしくない怒りの表情を浮かべ、腰にはガエラ金属製の剣を携えている。


♢


 マルテスとボルドが対峙した。

 マナから察するに、ボルドと今のマルテスはほぼ同格。

 しかし、戦闘での経験値はボルドに軍配が上がるだろう。


 でも、手を貸したりはしない。この世界に “決闘罪” なんてものはない。譲れないものを持った者同士が敵対したら、そこには勝つか負けるか、生か死か以外残らない。


 死んだ方が悪く、生きたものが正しさを主張できる。そんな世界だ。


「マ、マルテス。お前、生きてたのか……」

「――――おかげさまで」

「マ、マルテス!」


 レイナが心配の声を上げると、ボルドの視線はレイナへと動き、そして、その後ろに立っているメアリーへと向けられた。

 ボルドはこめかみに青筋を立て、顔を怒りの様相へと変化させた。


「メアリーてめぇ!! なんでそこにいる!!」


 そして声を荒げたあと、異変に気づいたように顔色を変えた。

 まあコロコロと表情が変わる男だ。少し情緒が不安定なんじゃないのかと心配になる。


「お、お前、その顔……怪我はどうした!!」


 その言葉を遮るように、マルテスは剣を抜くと地面へと刺し、手を離した。


「――――マルテス、自分が何をしてるのかわかってんのか? ああッ!?」

「ボルドさんも武器を地面へ突き立ててください」


 これは、この世界で広く使われている決闘を申し込む儀式だ。


 相手も自身の武器を地面へ突き刺せば決闘を承諾したことになる。

 そして、互いに武器から十歩下がり、合図はなく互いの呼吸次第で開始となる。


 武器を手放すことにより死を受け入れ、殺されても相手を恨まず、いかなる報復もしないというのが絶対的な決まりである。


「へ、バカな奴だぜ。何がてめーをその気にさせたか知らねーけどよ」


 ボルドも背負っていた戦斧を地面へと突き立てた。

 そして、お互いに十歩下がった。いつでも戦闘を始められる状態だ。


「やり直そうと決めたメアリーさんにあんなひどい仕打ちを…… 僕は許しません!!」

「あ? てめえに何の関係があるってんだ? まさかメアリーに惚れでもしたのか? マルテスのくせにとんだお笑い草だぜ。あいつは強い男に尻尾を振ることしかできねえ女なんだよ! てめえなんか相手にされるか!」

「なにを言ってるんです……」

「ああ!?」

「メアリーさんにも家族はいるでしょう!! 僕は妹が……ニアがあんな目に合わされたら絶対に許さない。メアリーさんの家族に代わって、僕がお前を懲らしめてやるッッ!!!!」

「なんだとてめえッッッ!!!!」

「――――マルテス、あなた……」


 二人が一斉に武器へと走った。

 最初に武器に手をかけたのはマルテスだった。やはりスピードはマルテスの方が速い。


「うあああああぁぁーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」


 マルテスが雄たけびを上げボルドに斬りかかった。少し遅れて武器を手に取ったボルドはそれを迎え撃つ。


 防御態勢に入ったボルドの戦斧とマルテスの剣が激しくぶつかり、火花が散った。

お読みいただき、ありがとうございました!


♦筆者より♦

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