第98話 旅立ちと交錯
--- オルディア王国 エンドラ ---
マルテスの大健闘から一夜明けた朝五時。
今日からまた旅に出ないといけない。ザミルバルタへは、おそらくひと月はかかるだろうか。
そうなると、当然ゆっくりと湯に浸かることなんてできないわけだ。
ということで、俺はいま温泉に入っている。
霧がかった早朝の空気を感じながらの朝風呂は格別だ。
せっかく温泉付きのお高い宿に泊まってるんだ。骨の髄まで堪能しないともったいない。
向うでも、社員旅行で行った熱海の温泉では、二泊三日の宿泊で十回は温泉に入ったもんだ。
日本人といったらやっぱ風呂だ。テルマエ好きの古代ギリシャ人にもこれは譲れない。
いつもなら朝稽古の時間だが、エリオは今日はまだ起きてこないだろう。
マルテスに触発されたのか、夜の訓練では目を爛々とさせながら剣を握っていた。
ハードワークすぎると俺が止めるほどだ。
旅立ちの日でもあるし、今日はゆっくりと寝かせてやろう。
昨日は、暁の刃の結成記念ということで、俺の奢りで祝賀会を開いた。
完全個室のちょっといい店を予約して、大いに盛り上がった。
酔ったレイナが銀梟を抜けると騒ぎ大変だったが、とてもいい祝賀会となった。
リヴィアに連絡を取り、久々にセレイナとも話が出来た。
声を聴くと、やはり会いたくなってしまう。
胸の奥から溢れそうになる高揚感にも似た心地よい感覚。
ソワソワと落ち着かなくなる気持ち。
これは、セレイナのことを想った時にしか湧き出てこない感覚だ。
この気持ちはまごうことなく…………ダメだな、今は断定しないでおこう。
今それを、脳内であっても口にしてしまったら俺はきっとブレてしまう。指針が、この滾る気持ちが揺らいでしまう。
俺がこの旅の終着点でしようとしていることは、セレイナには見られたくなかった。
だから、この旅にセレイナを同行させなかった。
多分だが、彼女なら俺のすることを全て肯定して、変わらずにあのまっすぐな瞳を俺に向けてくれるかもしれない。
――――いや、それは俺の驕りだろうか……希望的観測に過ぎないのだろうか……
従者であるがゆえに、与えられた義務として主を尊重しているだけだとしたら、あの笑顔の裏で彼女の心根は俺を軽蔑するかもしれない。
俺はそれが怖かった。
それと同時に、こういう葛藤がまだ生まれてくることに、少しホッとしている自分がいた。
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風呂から上がり、俺は果実ミルクを購入した。
俺は腰に手を当て、渇いた喉にそれを流し込む。
「ゴク、ゴク、ゴク、ゴク。プハーー!」
美味いが、風呂上りはやはりコーヒー牛乳が至高だなと俺は思う。
一気に半分以上を飲み干しておいて言うことではないが、そこも譲れない。
そういえば、この世界にコーヒーがないのには少し驚いた。似たような物くらいあってもよさそうなものだが。
少なくとも、ヴォルフ・ガーナインとオルディアでは見かけたことはない。
コーヒーの木と同じようなものがあって、実はまだその実がコーヒー豆になると発見されていないだけかもしれない。
地球でも、コーヒーの需要は世界的にとても高い。
もし発見出来たら、俺たちの一大産業になりえるかもしれない。
時間はいくらでもある。後々の計画にこれも加えておこう。
「リント様もお風呂に来ていたんですね」
宿に常備されてあるローブの上にフードマントを羽織ったセフィリアが、温泉のある離れへとやってきた。
朝日が、彼女の透き通った白い肌を照らす。
改めてエルフというの種族は美しいと思う。まだ他のエルフを見ていないから、セフィリアが特別そうなのかどうかはわからない。
寝起きの若干乱れた髪に、無防備な笑顔。
我が娘ながら破壊力はすさまじい。……娘ではないが。
宿の中でも一人で歩かせるのが心配になるほどの美貌だ。なんなら、故郷へ送り届けずにこのまま俺の娘として……
なんてこともたまに思ったりしてしまう。
そのたびに俺は自分を戒める。こう見えてセフィリアはまだ子供だ。家族と暮らした方が幸せに決まっている。
だが、もし彼女が俺たちといることを望んだ時は……
その時は全力でご両親に頭を下げよう。
娘さんを俺たちにください!! と。
「セフィリアも最後に温泉に浸かりに来たの?」
「はい。温泉というものに初めて入ったけど、とっても気に入りました」
「そうか。――――どうした? 俺の顔を見てニヤニヤして」
「昨日、セレイナ様と通信した時からリント様、優しい顔してるなって思って。口調も会った頃みたいだし」
「そ、そうかな?」
「はい。こっちのリント様の方がいいと思います。あ、リンネさんたちがうるさくて聞こえなかったんですけど、何を話してたんですか?」
「まあ、色々だよ。混みだす前に入っておいで。朝の一人温泉は気持ちいいぞ」
「はい」
セレイナには、残り三つある封印石の探索を頼んだ。
フェリドゥーンは伯爵としての責務があるし、ベルセフォネは……どこか不安がある。
某国で大量の圧殺死体が、なんてニュースでも聞こえてきたら困りものである。
セレイナは封印石の波動をフェリドゥーンたちより感じ取れるみたいだし、無暗に人を害したりもしない。
身の安全に関しても、特に心配はしていない。彼女を害せる者なんて、この世界にそうそういるとは思えないからな。
俺さえ五体満足で居れば、彼女たちは無類の存在だ。
それでも、くれぐれも無理はしないようにとは伝えた。
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午前十時過ぎ。
全員が揃ったところで、俺たちはギルドへと向かった。
目的は “護衛の依頼” を出すためだ。
依頼主は、指名料を上乗せすることで依頼するパーティを選ぶこともできる。
もちろん俺が指名したのは――――
「すみません。護衛の依頼をしたいのですが」
「はい、護衛のご依頼ですね。では、こちらにご記入をお願い致します」
「ええ」
「――――ザミルバルタ方面、コロネウ山の麓まで、ですね。かしこまりました。コロネウ山までですと、護衛料は銀貨二枚からですね。銀貨五枚の五万ディーツをご提示いただけますと、高ランクパーティからもスムーズにお声がかかるかと思います」
「パーティを指名したいんだが」
「ご指名ですと、指名料として銀貨一枚をお支払いいただければ可能でございます。そのあとはパーティの方々と、依頼料の交渉になりますが」
「暁の刃を頼みたい。依頼料は金貨四枚でお願いする」
「暁の刃、ですね。かしこまりました。では、依頼料は金貨四枚で……き、金貨四枚!?」
「ああ」
「か、かしこまりました。で、ではそのように手配しておきます……」
まあこれは俺からのご祝儀みたいなものだ。
新しくパーティをスタートさせるのにも色々と出て行くものも多いだろう。
少し多いと思われるかもしれないが、これは施しじゃない。
プロの冒険者として、友として、仲間として。俺が彼らを評価して出すお金だ。
それに、これくらいの金額は彼らならすぐに稼げるようになる。
なんとなくそんな気がするのだ。
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午前十一時過ぎ、農村部に俺たちは集結した。
「あ、あの、ご指名ありがとうございますリントさん。それで、金貨四枚というはさすがに多すぎるというか……」
「良いんだマルテス。俺からのご祝儀ってことで受け取ってくれ。何かと物入りだろ? 家賃とかさ」
「で、でも」
「俺が “プロ” としてお前たちを信頼して出した報酬だ。その分、しっかりと護衛を頼むぞ。そして、何かあったらその時は手を貸してくれ」
「――――はい。わかりました、よろしくお願いします」
ライドが、目を潤ませながら俺の前に来た。
「兄さん、もうすぐお別れになっちまうなんて悲しいっす」
「なに泣いてんだライド、お前たちの晴れの門出だぞ。それに、お別れはまだ先だぞ」
「はい。なんか最近涙もろくなっちまって」
「それより、その背負ってる斧は」
「これはあのボルドってやつが持ってた斧です。やっぱこっちの方がしっくりきますね、俺には」
ディックが後ろからライドの肩に手を置いた。
「やっぱお前はそっちの方が似合ってるぞ」
「ディック……へへ」
出会った時、ライドは剣を使っていた。
元々は斧使いだったライドが剣を持っていたのは、過去を思い出したくなかったからに違いない。
「早く出発しないと森に入るのが夜になっちゃうわよ」
「森の手前で朝まで休憩すればいいだろう。何か問題でもあるのか?」
メアリーの言葉にディックが意見すると、メアリーは両の二の腕を抱えた。
「あ、あの森の前で休憩なんかしたくないのよ。あなたは知らないでしょうけど、二度も酷い目に合ってるんだから」
「ガルムはわかりませんが、オッド・ソーはもう出ないと思いますけど」
「それでもいやなの!!」
ディックは怯えるメアリーに肩をすくめた。
「じゃあ、すぐに出発で大丈夫ですか? リントさん」
「俺はいつでもいいですよ。暁の刃の前哨戦だとでも思って気軽に行きましょう」
「そう言って頂けると助かります」
俺たち一行は、コロネウ山へ向けて農村部を歩く。
暁の刃の四人と、こっちは俺とエリオとセフィリア、そして何故かリンネがいる。
俺たちの荷物を持ち、ついてくる気満々の様子だ。
「おいリンネ。どこまでついてくる気なんだ?」
「行く当てがないニャ」
「あのなぁ、お前の飯代や酒代も俺が負担してるんだぞ? 行くところがないなら、ここで冒険者でもして稼いだらどうだ?」
「そ、そんな……ボスはこんな幼気なメスを置いていく気なのかニャ」
「はぁ……じゃあ酒はしばらく禁止だぞ」
「そ、そんニャ~!」
悪い奴ではないと思うが、何が目的なのかが全くつかめない。
まあなんだ、酒代が多少かかるくらいでなにかするわけでもないし、戦いになれば戦力にもなる。
奴隷紋での恩もあるし、ザミルバルタくらいまでは付き合ってやろう。
もうすぐ農村部を抜ける。その時、遠くから複数の馬影が見えた。
俺は目を細めながら目を凝らした。馬影が近づくにつれ、それは騎影であると俺は気づいた。
金色に輝く鎧をまとい、オルディアの国旗を掲げたその集団は……
「あれは、王国の騎士団ですね。この街に何の用でしょうか」
おそらくは、あの爆発の調査だろう。
思っていたよりも動きが速かった。だが俺たちももう街を出るところだ。
時が来るまではもう会うこともないだろう。
その騎士団の先頭には、あの男の姿があった。
英雄ガイネル。
すれ違いざま、ガイネルは馬上から俺たちを睥睨した。
そして、俺とガイネルの視線が交錯する。
俺はできる限り自制するつもりでいたのだが、それでも抑えきれない殺気が漏れ出てしまっていたのか、ガイネルは一瞬驚いたように目を開き、すぐに元の威圧的な目に戻った。
すれ違ったあと、蹄の音が止まった。
「そこの君、少しいいかな?」
ガイネルの声に、俺もその場に足を止めた。




