閑話 怪奇現象
エブンズダール邸、奴隷女性たち
--- ヴォルフ・ガーナイン王国 エブンズダール ---
屋敷の庭園では、戦闘侍女フロリスのリーヴェが花壇の手入れをし、メルティナがアプローチの掃き掃除をしていた。
そして、コラールの美しく澄んだ歌声が庭園を包み、その歌声に集まってきた色鮮やかな小鳥たちの囀りが、まるで合唱しているかのようにコラールの歌を装飾する。
いつもと変わらない、屋敷の朝の光景である。
「おいコラール、お前もなんか仕事しろよ」
掃き掃除の手を止めたメルティナが、不満げな顔で腰に手を当てた。
「私も歌でお屋敷を彩ってるわよ。ほら、小鳥さんたちもとっても綺麗。リント様にも是非お見せしたいわね~」
「……ったく」
その時、屋敷の窓が小刻みに振動をはじめ、それはやがて激しさを増していき、小鳥たちが一斉に飛び去った。
窓ガラスはガタガタと不安を助長させる音を立て、揺れの大きさを住民に知らせる。
「まただ」
「最近多いわねぇ」
メルティナとリーヴェが屋敷を見つめ呟いた。
一分ほどで揺れは収まり、メルティナは門を開け街の様子を確かめる。
しかし、街の人々は何事もなかったかのように普段通りの生活をしている。あの揺れなら何かしらの反応があってもよさそうなものだが、誰一人気にも留めていない様子だった。
「おかしいな……」メルティナは小さく首を傾げ、庭園へと戻った。
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屋敷の中では、奴隷の女性たちが自分の持ち場で忙しそうに動いていた。
その顔はどれも満足げで口元に笑みを浮かべている。
それは、フェリドゥーンやフロリスたちの管理の下、彼女たちがいかに充実した生活を送れているのかが手に取るようにわかるものだった。
しかし、一見平和に見える屋敷だが懸念すべき点もあった。ここ最近、屋敷内で起こっている奇怪な現象だ。
先ほどの地震に始まり、花瓶がひとりでに落ちたり、酷い時は戸棚が勝手に開き食器が全て飛び出してきて割れてしまう。
この数日で、何度食器を買い替えたのかわからない。
いわゆる “ポルターガイスト現象” なのだが、フロリスの隊長であるリヴィアも、原因不明の怪奇現象に頭を悩ませていた。
――――コンコン
リヴィアが、エントランスホールに面している応接間のドアをノックした。
「ベルセフォネ様、少々よろしいでしょうか」
「勝手に入りなさい」
「失礼いたします」
応接間には、ハンモックに横たわっているかのように宙に浮き、優雅に紅茶を嗜むベルセフォネと、その傍らに執事のように付き添っているセルドの姿があった。
「お姉さまはティータイム中だ。何か用があるなら手短に伝えなさい」
リヴィアは鋭い視線でセルドを一瞥した。だが、すぐにそれを押し殺すように自らを戒め、目を瞑った。
「セレイナ様のことなのですが」
「あの女がどうかしたの?」
「はい。部屋に籠られてからすでに一週間以上が経ちます。お食事なども取られていないようですので、ベルセフォネ様からお声がけ頂けないかと。私たちが伺っても反応がありませんでしたので」
ベルセフォネは視線を天井へと向けると、目を閉じ紅茶を啜った。
「大方、祈りでも捧げてるんでしょ。それに、私たちは基本的に食事を必要としないわ。リントからのマナの供給で大抵のものは賄えるのよ」
「ですが……」
その時、セルドが苦しそうに胸を抑えた。
「うっ……」
「どうかしたの? セルド」
「今しがた二階からの聖域の波動が強くなったようでして……申し訳ございません」
ベルセフォネは小さくため息をつくと、ティーカップをテーブルに置いた。
「あなたにはあの女の祈りの波動が強すぎるようね。――――仕方ないわね」
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二階の中央に位置するセレイナの寝室は、眩い光の波動に包まれていた。
窓際に立ち胸の前で指を組み、セレイナは凛人達の無事を祈り続けていた。
時折、波動が乱れる。
その都度、彼女は閉じている瞼をピクリとさせ、再び、より強い想いを込めて祈る。
その背後に黒い渦が出現し、ベルセフォネが中から顔を覗かせた。
「――――ねえあなた」
「…………」
「――――聞こえないのかしら?」
「…………」
「アストレイア!」
「…………」
「――――リント!!」
「……え?」
リントという単語にセレイナは反応し、肩が少し跳ねた。
「今なら聞こえてるかしら? 主バカさん」
「べ、ベルセフォネ。ごめんなさい、気づかなくて」
「アストレイア。その光の波動、セルドには影響が強いわ。迷惑だからそろそろやめてもらえるかしら?」
「え、ええ。気を使えずに申し訳ありません。……あの、ベルセフォネ。アストレイアではなく私にはセレイナと言う名が――――」
「興味ないわ。忠告はしたわよ?」
「あ……」
そう言い残すと、ベルセフォネは渦の中に姿を消した。
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昼が近いこともあり、厨房は熱を帯びていた。
エルマは目に炎を宿し調理に没頭している。その姿はすでに立派なプロの料理人だ。
アキノの薬で病から回復した母親のエリーダも、そんなエルマの姿に笑みを浮かべながら厨房を手伝っている。
見回りをしていた用心棒のマッシュが、厨房からの匂いに誘われて姿を見せた。
この屋敷は、食事をするダイニングルームの奥に厨房があり、部屋から厨房が見える造りになっている。
厨房の入り口前に設置してあるカウンターに両肘を乗せ、マッシュは中を覗き込んだ。
「エルマ、今日の昼飯はなんだい?」
「今日はいい肉が仕入れられたから肉料理がメインさ。マッシュさんはパンと米どっちがいい?」
「おほっ! 肉かぁ!! 肉と言ったら俺は米だな、米は力が湧いてくる」
「了解! もう少しだから待っててくれよ」
「……そういえば」
料理で何かを思い出したマッシュが、ダイニングのテーブルを拭いていたマイネに声をかけた。
「なあマイネ」
「はい、なんですか?」
「フェルナンドのおっさんの姿が全然見えないけど、あの人って一緒に来なかったっけ?」
「あー、そういえば全然見かけませんね。屋敷の前に来た時は一緒だったと思うんですけど」
「だよなぁ」
厨房のエルマとエリーダの手が止まった。
二人は顔を見合わせたあと、エリーダがマッシュに尋ねた。
「そ、そのフェルナンドって人はどんな人でした?」
「ん? 鼻の下に立派な髭を蓄えたガタイの良いおっさんだよ。元料理人ってことで、向こうでは飯を作ってもらってたよ」
「その人も奴隷に?」
「ああ。お互いに詮索もしないから素性はわからないけどね。大方、借金でも作ったとかそんな感じなんじゃないかな」
「……そうですか。その人は、ここへは来たんですね?」
「一緒に移動してきたはずなんだけどさ、全然姿を見かけないんだよ」
二人はまた顔を見合わせ、包丁を握るエルマの手は力が入り震えていた。
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昼になり、全員がダイニングルームへと集まってきた。
凛人の意向で、奴隷たちも、フロリスや凛人不在時の主代理である星骸たちと同じテーブルに着いて食事をするのが決まりだ。
力関係こそあれど、そこには格差は存在しない。この屋敷で暮らす者たちは家族なのだ。
料理が並べられ、全員が席に着く。
マッシュは手を揉みながら、何から食べようかとキョロキョロしている。
「全員揃いましたね。では食事にいたしましょう、いただき――――」
リヴィアの食事の合図が止まった。
階段に視線を向けるリヴィアに釣られ、全員が階段を見た。
「あの、私もいただいてよろしいですか?」
セレイナが一週間ぶりに部屋から出てきた。
「もちろんでございます! お待ちしておりました。セレイナ様」
リヴィアはセレイナをエスコートすべく、即座に席を立った。
セレイナは、皆から手厚い歓迎を受け、食卓はいつも以上に賑わった。
皆一様にセレイナのことを気にかけていたようだった。
マッシュは頬を赤らめながら、セレイナに自分の隣が空いていることをしきりに伝えていたが、ミーナの姉であるレイラがマッシュの肩に手を置き「分不相応はおやめなさい」と憐れむように首を振った。
和やかに食事は進み、皆エルマが腕によりをかけた料理に舌鼓を打っていた。
「しかし――――」
中央に盛り付けられた肉にフォークを突き刺しながらマッシュが口を開いた。
「リント様もアルマさんやセフィリアちゃんと旅なんて両手に花じゃないですか、羨ましいなぁ。リント様って顔も良い方だし金持ちだし、オルディアでも女がほっとかないでしょうね」
と、マッシュが陽気に笑ったその時、テーブルがカタカタと揺れ始めた。
全員がまたかといった感じで反射的に上を見上げた。
だが次第に揺れは強さを増していき、奴隷の女性たちが不安の声を漏らす。
いつもは揺れが収まるころには、これまでにないほどに勢いを増していき、テーブルがスライドするほどの揺れとなり建物がバキバキと音を立て始めた。
「みなさん、落ち着い――――」
ハッとした顔をしてリヴィアが言葉を止めた。
目線の先には、一点を見つめ、ナイフとフォークを持ちながら放心状態になっているセレイナの姿があった。
リヴィアの顔を一筋の汗がつたう。
これはもしやと何かを察したリヴィアは、わざとらしく大きな声で言った。
「なにを言ってるのマッシュ! リント様が “セレイナ様以外の女” に現を抜かすなんてあるわけないでしょう!」
こんな時に何を言ってるんだという視線がリヴィアに向けられた時、揺れは小さくなり、止まった。
「ふあー、すごかったね、今の」
アキノが口いっぱいに食べ物を詰め込みながら喋ると、コラールが「こらこら、食べ物を口に入れて話さないの」と、アキノの口をハンカチで拭いてあげた。
「ど、どうかしたんすか? リヴィアさん」
マッシュが驚きながら口にすると、
「……いえ、なんでもありません」
と、冷静に返した。
――――ここ最近起きていた一連の怪奇現象。原因はおそらくセレイナ様だ。
薄々と感じてはいたが、今のことでその疑いが確信に変わった。
考えてみれば、この現象が起こり始めたのはリント様が旅立った翌々日。
リント様が旅立った日から、セレイナ様はぼんやりと窓の外を眺める時間が多くなり、そして、部屋から出て来なくなった。
逆算してみると、部屋に籠った日と、怪現象が起こり始めた日は重なるのだ。
理由はおそらく……
どうしたらいいだろうか。このままでは、食器は買い替えればいいが屋敷が持たない。
かといって、本人にどう伝えればいいのか。
リヴィアは思考を巡らせていた。
「どうかしたのか? 隊長」
「……なんでもないわ、メルティナ」
プー! プー! プー!
その時、リヴィアに預けられていた通信魔導具が鳴った。
この魔導具に通信できるのは、リント様とアーバンデイル家とギルド長だけ。
「はい、リヴィアです」
『あ、リヴィア? 凛人だけど』
「リ、リント様!?」
この方法があった。思いつかなかった。
なんというベストなタイミング、さすがはリント様だとリヴィアはさらなる心服を深めた。
セレイナもナイフとフォークを置き、リヴィアへと素早く首を巡らせた。
「リント様! お頼みしたいことが――――」
『ボス~、誰と話してるのニャ? あっちの相手するニャ~』
『こらリンネ! 飲み過ぎだぞ、離れろ!!』
『あたしも暁の刃に入る!! リントさんも賛成だよね!?』
『あなたは銀梟のメンバーでしょ!? もう四人いるから必要ないのよ!』
何やら向こうは賑やかだ。リヴィアは顔を硬直させた。
「あははは、やっぱリント様ハーレム状態だ! 羨ましいぜ、クソ―!!」
「こ、こらマッシュ!! 黙りなさい――――」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
振動を伴う地鳴りが響き、屋敷はかつてないほどの地震に見舞われた。
「きゃああーーーーーッッ!!!!」
悲鳴が響き渡る中、食器や壺などが次々と破裂していく。
脇にセルドを携え、部屋の隅のテーブルでワインを飲んでいたベルセフォネは、澄ました顔で闇のシールドを展開した。
『どうかしたの? リヴィア!』
「リ、リント様!! セレイナ様にお声をかけてあげてください!!」
『え? セレイナに何かあったのか!?』
「理由を説明してる暇はありません!! 早く!!」
『わ、わかった』
リヴィアは通信具をセレイナに向けた。
『セレイナ、聞こえる? 俺だよ、凛人』
その声に、セレイナは我を取り戻したように目を開いた。
「リ、リントさん」
『よかった。セレイナに何かあったのかと思って焦ったよ。なんともない?』
「は、はい。私は元気です、リントさん」
途端に揺れは収まった。
テーブルを囲んでいる面々は、戦々慄々としながらセレイナを見た。
さすがに皆察したようだ。
「リントさん、お変わりはありませんか? ちゃんとご飯は食べてますか?」
『うん、俺は元気だよ。――――なんかセレイナの声が聞けてほっとしたよ』
「リントさん……」
『あ、そうそう、セレイナにしか頼めないことがあるんだ』
「はい! はい、はい。ええ、わかりました。はい、では、リントさんもお気をつけて」
凛人からの通信は切れた。
セレイナは嬉しそうに、何事もなかったかのようにナイフとフォークを手に取った。
「みなさん、早く食べないと冷めちゃいますよ。まあ、テーブルの上がグチャグチャに! お掃除しないといけませんね!」
「は……はは、は」
その時一同は、定期的に凛人に連絡を寄こしてもらうように頼もうと心に決めた。
「青いわねぇ」
「お姉さま、青いとは?」
「ううん? なんでもないわ」
その時から、屋敷は怪現象に見舞われることはなくなったとさ。




