第二話
雨が止んだあとも、王都には湿った鉄の匂いが残っていた。
広場では、騎士たちが倒れた兵士を運び、商人たちが壊れた屋台を片付けている。黒い亀裂が開いていた場所だけは、誰も近づこうとしなかった。
そこには、八つの星と灰色の王冠を描いた紋章が刻まれている。
レオンは、その前に立っていた。
「触るなよ」
肩を布で縛ったハルトが、背後から声をかける。
「触るつもりはない」
「そう言う奴は、大体触る」
ハルトは負傷した肩をかばいながら、レオンの横へ並んだ。
槍の傷は深かったが、命に別状はないらしい。治癒術師に処置を受けたあとも、彼は自分の足で歩いていた。
「お前、昔から変なものに好かれるよな」
「変なもの?」
「その剣も、今回の化け物もだ」
レオンは剣へ目を落とした。
刃に浮かんだ星の光は、黒い羽根が消えたあとも消えずに残っている。
ミラは少し離れた場所で、崩れた屋台の焼け跡を見ていた。彼女が放った白炎は魔物だけを焼いたが、炎の余波で木箱や布地が焦げている。
「私、弁償しなくていいよね?」
「王都を救った褒賞が出るかもしれないな」
「じゃあ、その褒賞で弁償して」
「図太いな」
「よく言われる」
ミラは平然と答えた。
そこへ、鎧を着た騎士たちが近づいてきた。
先頭に立つのは、王都守備隊の隊長だった。彼はレオンの剣と、ミラの手に残る炎を警戒するように見つめる。
「レオン・アーヴェル。ミラ・ヴァレン。二人とも王城へ来てもらう」
「事情聴取か?」
ハルトが尋ねる。
「命令だ。今回の襲撃について、王宮は魔族の関与を疑っている」
ミラが眉をひそめた。
「私たちを疑っているの?」
「お前の炎は、王国の記録に存在しない。レオンの剣も同じだ」
隊長が手を伸ばす。
「武器を預けろ」
レオンは剣の柄を握った。
胸の奥で、かすかな痛みが走る。
預けてはいけない。
そんな確信があった。
「断る」
「レオン」
ハルトが低い声で呼び止める。
だが、レオンは剣から手を離さなかった。
「この剣は、俺以外には使えない。預けても意味がない」
「ならば、抵抗したと判断する」
守備隊の騎士たちが一斉に剣を抜いた。
広場の空気が張り詰める。
ミラの指先に白い火が灯った。
「王都を守った直後に逮捕するなんて、ずいぶん親切な国ね」
「ミラ、抑えろ」
「先に剣を抜いたのは向こうよ」
ハルトが一歩前へ出た。
「隊長、こいつらは俺の証言で十分だ。今回の魔物を倒したのはレオンとミラだ」
「証言者であるお前も負傷している。冷静な判断とは思えんな」
「冷静だから言っている」
ハルトの声から、普段の軽さが消えていた。
そのとき、王城の方角から鐘が鳴った。
ゴォン――。
広場にいた全員が空を見上げる。
鐘の音とともに、地面の紋章が黒く染まった。
八つの星のうち、ひとつだけが青白く光る。
レオンの剣が震えた。
「また来る」
ミラが呟いた。
地面から黒い糸が噴き出した。
それは倒れていた兵士たちへ絡みつき、彼らの身体を無理やり立ち上がらせる。兜の隙間から紫色の光が漏れ、兵士たちは味方へ剣を向けた。
守備隊が混乱する。
「死者はすべて消滅したはずだろ!」
「違う!」
レオンは叫んだ。
「あれは、さっきの魔物が残した力だ!」
黒い糸が広場全体へ広がっていく。
ミラが炎を放った。
白炎が兵士の身体を避け、糸だけを焼き払う。だが、糸は次々と地面から生えてきた。
「きりがない!」
ハルトが剣を振り、操られた兵士の刃を受け止める。
相手は仲間だった。
ハルトは斬ることができず、盾で押し返すしかない。
「レオン! こいつらを傷つけずに止められるか!」
「やる!」
レオンは剣を構え、兵士たちの背後へ伸びる糸を見た。
黒い糸は、すべて地面の紋章へ繋がっている。
ならば、中心を断てばいい。
レオンは走り出した。
操られた兵士たちが行く手を塞ぐ。刃が振られ、槍が突き出される。
レオンは攻撃を避けながら、剣の腹で相手を打ち倒していく。
その背後から、黒い糸が迫った。
ミラの炎が糸を焼き払う。
「前だけ見て!」
「助かった!」
「借りは高いよ!」
レオンは紋章の中心へ到達した。
そこには、広場の石畳とは違う黒い杭が突き刺さっていた。
杭の表面には、見覚えのある文字が刻まれている。
――灰冠は、星を喰らう。
レオンが剣を振り下ろす。
銀の刃が杭へ食い込んだ。
黒い杭から、誰かの声が響いた。
『一つ目の星よ』
レオンの頭の中に、あの黄金の瞳が浮かぶ。
『お前が仲間を集める前に、こちらから迎えに行こう』
杭が砕けた。
広場を覆っていた黒い糸が一斉に消え、操られていた兵士たちは倒れ込む。
静寂が戻った。
だが、王城の鐘は鳴り止まない。
ゴォン。
ゴォン。
ゴォン。
レオンは城の方を振り返った。
「鐘楼は、あそこじゃない」
ハルトが言った。
「何?」
「あの音は王城から聞こえているように聞こえる。だが、音の反響がおかしい。城の中じゃない。もっと下……地下から響いている」
ミラが黒い紋章を見下ろした。
「地下に何があるの?」
ハルトは首を横に振った。
「王都の地下には、古い水路と墓地がある。それ以外は知らされていない」
「騎士なのに?」
「騎士だから知らされないこともある」
隊長が近づいてきた。
先ほどまでの敵意は、もう残っていなかった。倒れた兵士たちを見回し、震える声で呟く。
「今のことは、王宮へ報告する。お前たちを拘束する命令も……一度、保留にしよう」
「地下へ行く」
レオンが言った。
「鐘の正体を確かめる」
「許可は出せない」
「なら、勝手に行く」
隊長が息を呑む。
ハルトがため息をついた。
「お前、本当に昔から無茶ばかりだな」
「ついてくるのか?」
「同期だからな」
ハルトは負傷した肩を押さえながら笑った。
「お前が地下へ落ちていくのを、見送るだけの趣味はない」
ミラも肩をすくめる。
「私も行く。あの声、気に入らないから」
三人は、広場の端にある古びた排水口へ向かった。
レオンが鉄格子に手を触れる。
剣の星が、地下へ向かって淡く輝いた。
鉄格子の向こうから、冷たい風が吹き上がる。
その風には、雨の匂いではなく、古い墓土と灰の匂いが混じっていた。
地下深くで、何かが蠢いている。
レオンたちが暗い階段を下りていくと、王都の地上から最後の鐘の音が響いた。
ゴォン――。
その音に応えるように、地下の闇の中で、ひとつの目が開いた。




