第三話
排水口の向こうには、地下へ続く階段があった。
石で造られた古い階段は、長い年月の間に崩れ、ところどころ水に沈んでいる。壁には苔が生え、天井から落ちる雫が、暗闇の中で規則正しく音を立てていた。
レオンが先頭を歩き、ミラがその後ろに続く。
最後尾はハルトだった。
彼は片手に剣を持ち、負傷した肩をかばいながら慎重に足を進めている。
「本当に大丈夫なの?」
ミラが振り返った。
「何が?」
「肩。槍に貫かれていたでしょ」
「浅かった」
「血が止まってないけど」
「それは……少し深かっただけだ」
ハルトは笑った。
その笑顔が強がりであることを、レオンは知っていた。
「無理なら戻れ」
レオンが言う。
「お前ひとりで行かせたら、もっと無理をするだろ」
「俺は無理をしていない」
「それを無理って言うんだ」
ハルトは階段の下を睨んだ。
「それに、地下で何が出てくるかわからない。お前とミラだけじゃ、周囲を見張る人間が足りない」
ミラが小さく笑う。
「力がなくても、役に立つことはあるんだね」
「力がないって、初対面でそこまで言うか?」
「だって、レオンと私は魔法が使える。あなたは普通の剣士でしょ」
「普通で悪いか」
「悪くはないよ。ただ、危険な場所に来る理由がわからないだけ」
ハルトは少し黙った。
地下から、鐘の音が響く。
ゴォン――。
石壁が震え、階段の水面に細かな波紋が広がった。
「理由ならある」
ハルトは前を見たまま言った。
「俺は、レオンの同期だ。あいつが死ぬかもしれない場所へ行くなら、俺も行く。それだけだ」
レオンは振り返らなかった。
だが、その言葉を聞いて、剣を握る手に力がこもった。
階段は地下深くまで続いていた。
やがて三人は、広い空間へ出た。
そこは古い水路だった。
天井は高く、左右には黒い水が流れている。水路の壁には、王都のものとは思えない古代文字が刻まれていた。
文字の周囲には、八つの星と灰色の王冠を描いた紋章がある。
「またこれ……」
ミラが眉をひそめた。
レオンは紋章へ近づいた。
剣の星が淡く輝く。
壁の文字が、青白い光を帯びた。
『灰冠の下に眠るもの、八つの器を求める』
レオンが読み上げる。
「器って何?」
ミラが尋ねた。
「わからない」
「八つの器。八つの星。私たちのことかな」
その言葉に、ミラの指先の炎が突然揺らいだ。
炎の中に、一瞬だけ黒い影が浮かぶ。
人の顔のようにも見えた。
ミラはすぐに手を握り、炎を消した。
「今、何か見えなかった?」
レオンが聞く。
「何も」
「でも――」
「何もないって言ったでしょ」
ミラの声は、いつもより強かった。
ハルトが二人の間へ視線を向けたが、何も言わなかった。
水路の奥で、何かが動いた。
水面が揺れる。
レオンは剣を抜いた。
「来る」
黒い水の中から、無数の手が伸びた。
濡れた骨の腕が岸へ這い上がり、続いて獣のような魔物が現れる。身体は鼠に似ていたが、人間ほどの大きさがあり、背中から黒い角が突き出している。
一体ではない。
水路の両側から、十数体が姿を現した。
ミラが手を掲げる。
「燃やすよ」
「水路を壊すな」
ハルトが叫んだ。
「天井が崩れたら全員、生き埋めだ」
「じゃあどうするの?」
ハルトは周囲を見回した。
魔物たちは水路の出口を塞ぐように広がっている。その奥には、古い鉄門があった。
「魔物を倒す必要はない。門まで走る」
「無茶だね」
「戦っている間に数を増やされるよりましだ」
レオンがうなずいた。
「俺が先に道を開ける。ミラは後ろを頼む」
「ハルトは?」
「俺は門を開ける」
ミラが呆れた顔をした。
「あなたが一番危険じゃない?」
「だから、俺がやる」
魔物が一斉に飛びかかってきた。
レオンは先頭の一体を斬り、続けて二体目の爪を剣で受けた。魔物の身体から黒い煙が噴き出し、刃へまとわりつく。
剣の星が輝いた。
黒い煙が弾け、魔物が水路へ叩き落とされる。
レオンはそのまま鉄門へ向かって走った。
背後から魔物が迫る。
白炎が水路を照らした。
ミラの炎は広がらず、細い槍のように伸びて魔物の足だけを正確に焼いていく。
「どう? 私、役に立ってる?」
「十分だ!」
「じゃあ後で褒めて!」
「考えておく!」
ハルトは鉄門の前へ到着し、錆びた鎖を斬り始めた。
だが、鎖は硬く、刃を受けても傷ひとつつかない。
背後から魔物が迫る。
ハルトは振り返り、剣を構えた。
肩の傷から血が流れ、握った剣へ落ちる。
「くそっ……!」
魔物の爪が振り下ろされた。
ハルトは盾で受け止めたが、衝撃で片膝をつく。
レオンが戻ろうとした。
「来るな!」
ハルトが叫ぶ。
「門を開けろ! 俺は時間を稼ぐ!」
「ひとりでは無理だ!」
「無理でもやるんだ!」
ハルトは魔物の爪を押し返し、剣を突き出した。
刃は魔物の肩へ食い込んだが、相手は倒れない。別の魔物が背後へ回り、ハルトの首へ爪を伸ばした。
その瞬間、レオンの剣が飛んできた。
剣は魔物の爪を弾き、壁へ突き刺さった。
レオン自身は、素手で魔物へ飛びかかっていた。
魔物とともに水路へ倒れ込み、黒い水が大きく跳ねる。
「レオン!」
ミラが叫んだ。
水面の中で、魔物の腕がレオンの首へ絡みつく。
息ができない。
水は冷たく、暗く、底がなかった。
そのとき、剣の紋章から銀の光が走った。
レオンの手元に、剣が戻ってくる。
彼は水中で刃を振った。
魔物の身体が凍りつき、砕け散る。
レオンは水面へ顔を出し、激しく咳き込んだ。
ミラが白炎を放ち、残った魔物たちを後退させる。
「馬鹿! 死ぬ気なの!?」
「ハルトが危なかった」
「だからって自分まで死んだら意味ないでしょ!」
「二人とも、口喧嘩は後だ!」
ハルトが鎖を断ち切った。
鉄門が軋みながら開いていく。
三人は門の向こうへ転がり込んだ。
ハルトが最後に扉を閉じる。
魔物たちが鉄門へ群がり、爪を立てた。
しばらくの間、激しい音が続いた。
やがて、静かになった。
レオンは壁にもたれ、濡れた服から水を滴らせていた。
ハルトが肩で息をしながら笑う。
「なあ、レオン」
「何だ」
「地下探索って、最初からこんなに楽しいものなのか?」
「知らない」
「俺はもう帰りたい」
ミラが腕を組む。
「帰りたいって言いながら、結局ついてくるんだ」
「そういう性格なんだよ」
三人の前には、さらに地下へ続く巨大な階段があった。
階段の両脇には、八体の石像が立っている。
それぞれの石像の胸には、星形の穴が空いていた。
そのうち一体だけが、レオンの剣と同じ青白い光を放っている。
レオンが近づくと、石像の口がゆっくりと開いた。
『第一の星、目覚める』
地下のさらに奥で、何かが目を開けた。
今度は、鐘の音ではなかった。
巨大な獣の咆哮が、暗闇の底から響いてきた。




