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それからというもの、俺は意識的に「見ない」努力をするようになった。


人の裏を読むのは簡単だ。簡単すぎる。


だからこそ、危険だった。


笑っている人間の奥にある苛立ち。優しさの裏にある打算。言葉の端に滲む嘘。


見えなくてもいいものまで、全部見えてしまう。


それは、世界を正しく理解する力であると同時に、世界を歪める呪いでもあった。



そんなある日、一人の女と出会った。


きっかけは仕事だった。


俺の会社に、あるベンチャー企業の代表が相談に来たのだ。


まだ若い。20代後半くらいだろうか。


名は、ユイと言った。


「正直に言います。今のままだと、あなたの会社は一年持たない」


俺はいつも通り、事実を淡々と伝えた。


普通ならここで顔色が変わる。焦りや反発が出る。


だがユイは違った。


「ですよね」


あっさりと頷いた。


その瞬間、違和感が走った。


――読めない。


初めてだった。


表情も、声の揺れも、視線の動きも、すべて分析しているはずなのに、核心が掴めない。


まるで霧の中にいるみたいだった。


「…おまえ、何者だ?」


思わず口に出していた。


ユイは少しだけ笑った。


「同じですよ」


「何が」


「“卵”、使いましたよね」


心臓が一瞬、強く打った。



「私の才能は、“遮断”です」


ユイはそう言った。


「遮断?」


「他人からの干渉を切る。視線、感情、分析、全部」


なるほど、とすぐに理解した。


だから読めない。


俺の「観察」を、根本から無効化している。


「面白いな、その才能」


「いいや。役に立たないって」


そう言って、彼女は肩をすくめた。


だが俺にはわかる。


それは“当たり”だ。


少なくとも、この世界では。


「で、どうするんだ。会社はもう無理だ」


「潰します」


即答だった。


迷いが一切ない。


「でも、その前に一つだけ試したいんです」


「何を?」


「あなたと組む」



最初は断るつもりだった。


リスクが高すぎる。


わざわざ沈みかけの船に乗る理由がない。


だが――


興味が勝った。


自分の「観察」が通じない相手。


そんな存在が、この世界にいること自体が異常だった。


「期間は?」


「三ヶ月」


「条件は?」


「全部任せます。ただし、私のやり方には口を出さないでください」


強気だ。


普通なら成立しない交渉だが、不思議と不快ではなかった。


「いいだろう」


気づけば、そう答えていた。



三ヶ月後。


会社は、生き残っていた。


いや、それどころか――


急成長していた。


理由は単純だった。


ユイの「遮断」は、外部だけでなく内部にも作用していた。


社員同士の無駄な忖度、恐怖、遠慮。


そういった“ノイズ”を切り捨てることで、意思決定が異常なほど速くなった。


そこに俺の「観察」を合わせる。


市場の動き、人の心理、競合の意図。


すべてを読み取り、最適な一手を打つ。


普通ならありえない速度で、結果が出た。



だが、順調すぎると、必ず歪みが出る。


ある夜、ユイがぽつりと言った。


「ねえ」


「なんだ」


「私たち、ちょっと危ないかも」


「今さらか」


軽く返したつもりだったが、彼女は真剣な顔をしていた。


「違う意味で」


「どういう意味だ」


「このままだと、“人間じゃなくなる”」


その言葉に、妙な既視感があった。


俺が感じていた違和感と、同じ種類のものだ。


「あなたは見すぎる」


ユイは言った。


「私は切りすぎる」


「…それで?」


「バランスが取れてるようで、実はどんどん偏ってる」


確かにそうかもしれない。


俺たちは互いの欠点を補っているようでいて、同時に加速させてもいる。


より鋭く、より極端に。


「じゃあ、どうする」


ユイは少しだけ考えて、こう言った。


「もう一人、必要」


「誰だよ」


「まだ孵ってない人」



才能を持つ人間。


いや、正確には――


まだ“孵化させていない”人間。


「そんなの、そこら中にいるだろ」


「でも、“気づいてる人”は少ない」


確かにそうだ。


卵の存在を知っている時点で、もう普通じゃない。




「見つけるぞ」


気づけば、俺はそう言っていた。


なぜかはわからない。


ただ、確信があった。


それが――


俺たちがまだ“人間”でいるために必要な、最後のピースだと。




数日間。

街を繰り出し探し続けた俺たちは、ある男に目をつけた。


終電間際のホームは賑やかであった。


酒に酔った人が騒ぎ、浮かれている人もいる。


この空間では騒ぐ人間と、そうでない人間が、同じ空間に立っている。


その中で――そいつは、動いていなかった。


電光掲示板を一度見て、視線を落とす。


また顔を上げるが、電車には乗らない。


一本、また一本と電車が来ては去っていく。


それでも、動かない。


間も無く最後の電車が来る頃合いだろう。


「……いるな」


俺は小さく呟いた。


「ええ」


ユイも、同じ方向を見ている。


「典型的ですね」


「何がだ」


「“まだ選んでない人”の顔」


少し疲れた顔。


だが、その瞳の奥に――


まだ割れていない、“何か”が確かにあった。



「あなた、まだ卵を持ってるわね。」


ユイが、そう声をかけた。


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