【50】救世主
唐突に勝ち気になった鼠に腹が経ったのか、黒龍が見せつけるようにして尾を持ち上げる。
そして、ゆっくりと、それはもうゆっくりとその尾に力を込め始めた。
避ける云々以前に、立つだけで割と精一杯だ。その上で全力の尻尾攻撃、まあ間違いなく死ぬだろう。
僕の顔を歪ませたいのであろう黒龍が、何処まで殺すのに時間をかけてくれるか……
「良く言いました!!」
聞き覚えのない声がその場に響き渡った。
黒龍はその声が聞こえて瞬間に体を硬直させ、ニヤニヤと見せつけながら持ち上げていた尻尾を、態度を一転させて全速力でこちらにぶつけてくる。
終わったと思って反射的に目を瞑ったが、痛みも衝撃もやって来ない。
何事かと思いそろそろと目を開けると、眼の前に女性が立っており、尻尾を武器で受け止めていた。
「素晴らしい覚悟です、青年」
薄紫の髪をバレッタで纏めた、肌の白い女性。
身長は僕と比べて考えると180前後の高身長で、寝間着のようなゆったりとした服を着ている。
目を細めて笑っていて、瞳の色はよく見えない。ただ、誰かに似ていると感じる外見の女性が……相当高身長であるはずなのに、自分よりも更に大きなハルバードで黒龍の攻撃をいなしていた。
「え、と……」
冷静に回転しきらない頭で、必死に何をすべきか考える。けれど一度死ぬ方向で覚悟してしまった頭を再起動させるのはそう簡単ではなかった。
「ちょっとだけお手伝いしてあげましょうね」
眼の前の女性は、笑顔のまま、ゆったりとした歩みで、黒龍の方へ歩き出す。
買い物に行く道中と言われれば信じてしまうほどに穏やかな歩み。しかし手に持っている、アーネリカのそれより更に物騒で無骨なハルバードだけがミスマッチである。
黒龍が、後ずさっている。女性は頬に左手を当てたまま距離を詰め、
「えいっ」
気合が入っているとはお世辞にも言い難い声と共に、ハルバードが振り下ろされる。
聞こえてきたのは金属音でもなく、爪や鱗と激突する音でもなく。
肉が叩き斬られる音が、聞こえた。
「……はい?」
「やぁねぇ、鱗がない部分でも一刀両断出来ないなんて」
変わらずお淑やかに小首をかしげている女性と、ハルバードが半分まで突き刺さっている黒龍の尾。
ゆったりとした手つきで、しかしとんでもなく荒々しく。女性が自分の方に、つまり手前に、究極の力任せでハルバードを引き抜く。
血が吹き上がる。黒龍が物凄く悲痛な声を上げた。あれは僕でもそうなる。めちゃくちゃに痛いはずだ。
「えいっ」
再び上からの斬りつけ。元々肉があらわになっていた傷跡はすでに斬りつけられて血を流している。それを更に広げるように……というか、明確に尾を切断しにかかったハルバードの斬撃。
「全く硬い……」
これでも切断しきれなかった尾から、再びハルバードが引き抜かれる。
そして女性は、初めて『溜め』の動作を見せた。
左足を一歩引いて、ハルバードを両手で構えて上段に振りかぶる。
「鱗ですこと!!」
思い切り振り下ろされたハルバード。それと同時に黒龍の尾が宙を舞った。
アーネリカが傷をつけるので精一杯な黒龍の尾を、一方的に切断してみせたのである。
「……はぁ?」
「ふぅ……あら?あららたいへん。思ったより重症だったのね。笑ってるからもうちょっとマシかと」
僕の方を振り返るなり、先程の余裕たっぷり強者ムーブはどこへやら、あわあわと狼狽え始めた。
そして慌てようはそのままに、僕を抱き上げて走り始める。
「あなたー。ごめんなさいアーネリカと一緒にこの子も治してもらえるかしら」
そして真っ直ぐに、隠れていたローザドーロさんの方へ走り寄り、彼の足元に一応優しく僕を転がした。
「ランティナ!?」
ローザドーロさんが、わかりやすく動揺した。
眼の前の女性——今気づいたがあれだけ血しぶき祭りな戦いのあとなのに一切汚れていない、怖い。じゃなくて。
眼の前の女性が、『そういえばそうだった』という顔をして一歩引く。
そしてその場で、きれいにお辞儀をしてみせた。
「名乗ってなかったわね。ごめんなさい。はじめまして、勇敢な青年。私はランティナ・ベルツォーネ」
姓がベルツォーネ。そしてハルバード。瞳の色こそ見えないが、薄紫の髪にこの美貌、そして何より、あの戦い方と圧倒的な怪力。
「アーネリカの母ですわ」
お噂はかねがね、と言いたくなるほど耳馴染んだ単語が、そしてその噂その人が、眼の前で笑っていた。
◇
「ランティナ、お前家で安静にしているはずでは」
「だってこんなに苦戦してるって分かってしまっては、一人ダラダラと眠っていられないでしょう?」
なるほどローザドーロさんにとっても、彼女の参加は予想外であったらしい。というか病床の身であるはずなのに、ここまで来た上にあの圧倒的破壊力を行使したのか。
さすがアーネリカの血の源流と言うべきか、輪をかけて別格である。
「待てハウスキーパーはどうした」
「撒いたわ」
「撒くな!!」
ローザドーロさんが振り回されている……というか撒くって何。まさかこの人怒られるのも阻害されるのも全部理解した上で強行突破してきたのか。
「体調は大丈夫なのか」
「大丈夫ではないわね。ただ寝ていても悪化するだけだもの。それならこちらに来たほうが、勝算は高いわ」
「お前な……ッ」
「私無しで勝ち目は見えたかしら?」
「見えて、無いが……」
この女性、つよい。惚れた弱みもあるとは思うが、何が何でも人を言いくるめるだけの話術を持つはずのローザドーロさんがタジタジである。
「時間は稼げるわ。取り敢えず二人を癒してあげて。余裕があれば私に補助をくださいな?」
「わかった。常と同じに」
「ええ。信じてるわ」
ふわりと自然な流れで抱き合った後に、ランティナさんは黒龍の方へ走っていった。
夢見る乙女のような目でその背中を見送ったお父さんは、僕の治療にも着手する。
右手でアーネリカ、左手で僕を。別々の魔法を使っているのだから器用なものである。
「お父さん」
「喋るな」
「ランティナさんって」
「今は喋るな。下手をすると悪化する。腹抉れたのを忘れたか」
「はぁい」
お腹の痛みをひたすらに耐える。ローザドーロさんは僕とアーネリカの腹部に手を当ててそこから光を発している(詳細は不明)が、冷や汗が止まらないらしい。
特に僕の方が色々とヤバいらしきことは顔を見てわかる。迷惑をかけてしまっていることが申し訳ない。
「治療……薄皮作るので精一杯だぞこの傷。どうやって立ってた」
「気合と根性?」
「だから喋るな」
「聞いたのそっちなのに」
「喋るなキスして塞ぐぞ」
「あらま逢瀬?いえ不倫?どのみちアタシお邪魔だったかしら?」
予想外の声に無理矢理瞼を押し上げようとする。
しかしそれを押し留めるように、先ほどの声の主のものと思われる手が目の上に置かれた。
温かい手に安心していると、手が退けられる。すると先程まで鉛のように重かったはずの瞼がすんなりと上がった。
あの数秒で軽い治療まで施されたらしい。目を彷徨わせて少し探せば、案の定見覚えのある、深い紫色のライダースーツが目に映る。
「断固として拒否する俺は妻一筋だ……ドクター!?」
「ハァイ。ベラちゃんと呼んでちょうだい」
紫色で纏められた化粧と、深い紫色のライダースーツ。きれいな逆三角形で構築された肉体美をその色味で彩った……かかりつけ医がそこに立っていた。
僕に遅れて振り向いたローザドーロさんが腰を抜かしかけているので、ほぼ完全に気配を消していたらしい。
因みに先生の背後にゴリゴリのバトルアックスが二つ見えている。僕の周りはフィジカルゴリラしかいないらしい。
「ドクターまでなぜここに」
「バ患者のバイタルが凄いことになってたから、『罵ッ!!』しに来たのよ」
「罵りで済みますかソレ……」
「黙れ喋るな地上波放送出来ないことしてやろうか」
お父さんもお父さんでブレなさすぎると思う。というか意識朦朧寄りとは言え、愛娘が横で眠ってるんだから下手な発言は謹んでほしい。
「そしたらまぁ、何時ぞやのカワイコちゃんも大惨事じゃない。ここはセンセイに任せてみない?」
本職医者を引き寄せる豪運はアーネリカ、はたまたローザドーロさんのものか。
大助かりである。これでアーネリカの毒の除去と僕が動ける程度の回復ができる。
「……お願いします」
「OK。安心して任せてちょうだい。伊達に本職やってないんだから」




