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【AI軍事考証】王国玄冬記 ―勇者なき世界で、王殺しから始まる王国の動乱―  作者: Soh.Su-K
Ⅲ虚ろなる一角獣 簒奪戦争

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Ⅲ-35 絞締

 四日目の朝、霧は昨日よりもさらに濃く、生温かい死臭を孕んで坂道を停滞させていた。


 第一関門の跡地。そこはかつてドワーフの工兵たちが誇った堅牢な要塞の残骸が、巨大な骸骨のように泥から突き出している。連合軍の兵たちは、昨夜のうちにその残骸を乗り越え、戦果を求めてさらに奥へと進んでいた。だが、進めば進むほど、彼らは奇妙な違和感に包まれていた。

 敵が、いない。

 正確には、正面からぶつかってくる敵の「面」が見えないのだ。


「――怯むな! 敵は敗走した! このまま第二土嚢帯を押し潰せ!」


 ウェッソン家当主、ダニエルの咆哮が響く。

 ジウ家に婚約を破られた嫡男ベアードの恨みを映したかのように、ウェッソン隊は苛烈な勢いで奥へと殺到した。だがその咆哮には、怒りとは別の、どこか追い詰められた響きがあった。

 ウェッソン隊の重装歩兵が、泥に足を取られながらも「門のない」第二土嚢帯へとなだれ込む。

 そこは、ショーンベルガーが意図的に作り出した、巨大な緩衝地帯であった。


 第二土嚢帯には、第一や第三のような巨大な「門」が存在しない。代わりに、人の背丈ほどもある土嚢の壁が、千鳥状に、あるいは渦巻くように幾重にも配置されている。

 突入したウェッソン隊は、瞬く間に分断された。巨大な軍勢の強みである「数」が、土嚢の角を曲がるたびに削り取られ、数人単位の小集団にバラバラに解体されていく。


「――今だ、突けッ!」


 土嚢の陰。泥の中に潜んでいた守備兵たちが、一斉に顔を出した。

 彼らが手にするのは、この狭い迷路での戦闘に特化した短槍や片手斧である。ショーンベルガーの指揮下にある兵たちは、土嚢の隙間から「目」と「喉」だけを正確に狙い、突き刺しては即座に影の中へと消える。

 ウェッソン隊の兵士たちが、叫ぶ暇もなく泥の中に沈んでいく。一人が倒れれば、その後続は土嚢に阻まれて身動きが取れず、自軍の死体を踏み台にしようとして足を滑らせ、そこをまた別の隙間から刺し貫かれる。


「……計算通りですね。敵は『数の暴力』を振るう空間を奪われ、個の死に囚われている」


 第二土嚢帯の後方。石籠を積み上げた即席の指揮所で、カールグスタフは無感情に木札を並べ替えていた。

 彼の手元には、前線の兵士たちの疲労度を「分」単位で管理する算式がある。


「ショーンベルガー殿、中央の第四区、圧力が上がっている。三分後に第二小隊を交代させろ。代わりにフランキ殿の予備から三十人、あそこの『栓』に送り込め」


「わかっている。……おい、聞いたか! 第四区、入れ替わりだ! 引く奴は泥を払い、水を飲め。戻る奴は獲物を研げ!」


 ショーンベルガーの怒号が飛び、疲弊した兵士たちが秩序正しく後退し、代わりに乾いた顔の兵士たちが土嚢の壁へと張り付く。この「粘り」こそが、第二土嚢帯の真骨頂であった。門があればいつかは壊される。だが、土嚢と石籠の迷宮は、削られてもなお「地形」として敵を拒み続けるのだ。


 しかし、連合軍もまた、十万という物量の底知れなさを発揮し始めていた。

 午後。

 ダニエル・ウェッソンの焦燥は極まり、彼はついに自軍の兵士を「盾」にして、力任せに土嚢の壁を解体し始めた。


「土嚢を切り裂け! 石籠を引き倒せ! 質量で埋めてしまえ!」


 数百の兵士が同時に土嚢に取り付き、泥まみれの布をナイフで裂き、中の砂をぶちまける。物理的な「面」による破壊。それに対し、第二の防衛線が一箇所、大きく撓った。

 土嚢が崩れ、そこからウェッソン家の精鋭たちが、堰を切ったように流れ込んでくる。


「決壊だ! ここが突破口だぞ!」


 勝ち誇るダニエルの目の前で、その「穴」を塞ぐように、一人の男が躍り出た。

 中央予備隊長、フランキ・ヴァン・ガイルース。

 彼は近衛としての白銀の甲冑を泥で汚し、重厚な長剣を低く構えていた。


「……言ったはずだ。一兵たりとも、王都の土は踏ませんと」


 フランキの剣閃は、エンフィールドのような鋭い「刺」ではなく、敵を鎧ごと圧し潰すような、重厚な「断」であった。

 突入してきたウェッソン隊の先鋒に対し、フランキは自ら先頭に立ってぶつかった。


 ガキィィィィン!!


 という鋼鉄同士の衝突音。フランキは敵の盾を真っ向から受け止めると、その強靭な膂力で敵を押し戻し、生じた僅かな隙間に剣を叩き込んだ。

 フランキは第二土嚢帯の「せん」であった。

 線が崩れ、敵が溢れ出そうとするその一点に、彼は自らの命を、そして近衛の精鋭たちの力を集中的に投入する。


「押し返せ! 泥ごと奴らを追い出せ!」


 フランキの突撃に呼応し、後退していたショーンベルガーの槍隊が再び横から突き出す。

 局所的な数対数の戦いにおいて、フランキという絶対的な武力の支柱がある限り、ウェッソン隊の「突破」は「孤立」へと変わった。決壊したはずの場所は、フランキの剣によって瞬く間に再接着され、流れ込んだ敵兵は迷宮の中で各個撃破されていく。


 その頃、さらに後方。第四土嚢帯の「出撃線」には、雨を吸って重くなったマントを翻す男がいた。

 エンフィールドである。

 彼は第三関門という「予備の喉首」の陰で、自らの短槍隊を整列させていた。


「……オリバー卿。奴ら、第一関門の跡地に大弩バリスタを再配置しようとしています」


 エンフィールドの言葉に、ボーチャードは目を細めて霧の先を見た。

 第一関門の跡地。そこは今、第二土嚢帯へ兵を送り込み続ける連合軍の「橋頭堡」と化している。そこにバリスタが据えられれば、第二土嚢帯の土嚢は頭上から粉砕され、ショーンベルガーたちの「粘り」は終わる。


「……エンフィールド様。貴方の初陣、二度目の舞を見せていただけますか」


 ボーチャードの言葉は、敬意と、そして戦友としての信頼に満ちていた。

 エンフィールドは不敵に笑い、短槍の柄を指で弾いた。


「……出て、戻る。俺の槍の『癖』、もう一度よく見ててください」


 第四の線から、エンフィールドの精鋭が飛び出した。

 彼らは第二土嚢帯の混戦を迂回し、坂の南側、ガルドーネが守る急斜面の縁を滑るように駆け下りた。狙うは、第一関門跡地に集結しつつある、サンダラー・コルト率いるバリスタ防衛部隊の背後。


 泥を撥ね、雨を切り、エンフィールドは影のように戦場を滑走した。

 突如として背後に現れた「バーテルバーグの一角獣」を刻んだ軍旗に、コルト勢の兵士たちが戦慄する。


「――背後!? バカな、敵は迷路の中に閉じ込めているはずだぞ!」


「――蹴散らせッ!」


 エンフィールドの短槍が、先頭の指揮官の喉を貫いた。

 一突き。そして二突き。

 彼の動きは、昨日よりもさらに洗練されていた。

 敵の正面とぶつかるのではない。敵がもっとも嫌がる「一点」を抉り、混乱が広がる寸前に、その牙を引き抜く。

 エンフィールドは自ら最前線で槍を振るいながら、兵たちの機動を掌握していた。


「深入りするな! 三人倒したら右へ回れ! 戻る軌道を空けておけ!」


 サンダラー・コルトが剣を抜き、エンフィールドを捉えようとした瞬間。

 エンフィールドの槍は、サンダラーの目の前で、コルト家の旗手をその旗棒ごと大地に縫い止めた。


「……また貴様かッ!」


 サンダラーの絶叫を背に、エンフィールドは既に踵を返していた。

 取り残されたサンダラーは、荒い息をつきながら、一瞬だけ南の稜線を見た。視線はすぐに前に戻る。だが、その一瞬は確かにあった。


 †


 バリスタ再配置の失敗が本陣に届いたのは、それから半刻も経たぬうちのことだった。


 グラッチは報告を聞きながら、クーガーの顔を見ていなかった。

 見る必要がなかった。

 四日間でバイカルの主力は潰れ、マカロフは泥の底にいる。正面は止まり、斜面は剥がされ、地下道は水に沈んだ。そして今、後方のバリスタまで一瞬で無力化された。

 グラッチは天幕の布を一点だけ見つめた。


(……終わりだ)


 感情ではなく、算術として。勝ちの目が、もうどこにもない。

 問題はクーガーがそれを認める男かどうかだ——認めないことは、グラッチには最初から分かっていた。だからこそ、最悪の未来が「いつ」来るかだけを、この男は黙って数えている。


「グラッチ。なぜ黙っている」


「……報告の通りです、閣下。バリスタの再配置は頓挫しました」


「ならば次の手を打て。それだけのことだ」


 グラッチは深く頷き、天幕を出た。

 外の空気は、泥と血と、腐りかけた死体の臭いが混ざり合っていた。本陣の後方、コルト家とスミス家の幕舎に灯りが見える。この時刻に、表に出るはずのない者たちの影が動いていた。

 グラッチはそれを見て、静かに目を逸らした。

 三家が動くなら動けばいい。止める義理は、もうどこにもなかった。


 †


 救護所。

 ウェリン・ジウは、もはや自分の手が誰の血で汚れているのかも分からなかった。


「……次の担架! 止血を優先して! 後の人は……」


「……後の人は死体置き場だ。ウェリン殿、手を止めるな」


 カールグスタフが、新しい麻布を彼女の隣に置いた。

 彼の表情は、一昨日よりも、昨日よりも、さらに冷え切っている。

 だが、その手元にある木札の並びは、この絶望的な戦況において、一つの「勝算」を導き出していた。


「……ボーチャード様。敵の損耗率は予想を超えました。……クーガーは、もうすぐ焦れる」


 カールグスタフの視線の先。霧の向こう側では、十万という軍勢が、自軍の死体の重みで窒息しようとしていた。

 クーガーの掲げる『光』は、今やカイツール坂の泥の中に、醜く、そして絶望的に沈み込んでいる。


 四日目の夕刻。

 雨は依然として降り続いていたが、連合軍の進軍は、第二土嚢帯という「喉の奥」で、完全に停止していた。


「……聞こえるか、クーガー。これが、お前が踏みにじろうとした王国の、最後の喉鳴りだ」


 第四の線で、ボーチャードは独り、暗闇の平原を見つめて呟いた。


 そこには、かつての「下男」が次代の王としての牙を剥き、かつての「没落貴族」が不屈の壁となり、そして「死の商人」の計算が死神の鎌を研ぐ、新しい王国の姿があった。

【 次回更新予定 】 4月1日(水) 20:50

毎週 水・金 の週2回更新


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