第九話「デート・ディ(昼/前編)」
デパートの地下展覧会場、リリアルと弥一がついたそこは、冷房のよく効いた生け花展覧会だった。
「今日、そんなに暑くないのに、冷房が入ってるね」
ふと、リリアルがそんな疑問を口にする。
「あっ、それはですね。生け花は気温が一度上がるだけでもしおれてしまう場合が多いので、こういう地下会場を使って、その上で冷房をいれてっていう工夫をしているんです」
「そうなんだ」
なんともデートらしくない会話であったが、リリアルも弥一も内心それどころではないのである。
(い、勢いで私から手を繋いじゃったけど、これって大丈夫なのかな? 変に思われてないかな?)
そんな乙女の悩みは尽きない。
一方の弥一も、初めてのデートに脳内議会のパニック状態が続いている。
(どどど、どうしよう? 今の話、全然面白い話に思えない。えーと、なにか気の利いた言葉は――)
必死で頭の中の辞書をめくるが、そこには『女性の口説き方』など、書いてありはしない。
しかし、ここで弥一、ひらめく。
――悪魔的発想。この状況を覆す、神の一手。その一発逆転の言葉を。
「本当、人間界のお花ってきれいだよね。それをこんな風に飾るのは、魔界だとあんまりない風習かなぁ」
(い、今だ! 今、その必殺の台詞を言うんだ!)
「どんな花より、リリアルさんの方がきれいですよ」
自然な笑みを添えて、そう……言えなかった。
「ど、どど、どうなんでしょうねっ、あは、あははっ!」
言えなかった言葉、ぎこちない笑み、いつもの年不相応に落ち着いた弥一の姿はかけらもない。
(あぁぁぁぁっ、僕のバカバカッ! ああでも、もし言って引かれたらもっとダメージ大きいかもだし、これはこれでよかったのかもしれないけど、でも、うぅ……)
男らしくないぞ、と。
心の中の厳格な父親・宗重が言い放つ。
(だけど父さん!)
(男には、負けるとわかっていても行かねばならぬ時がある。それはいつだ? 今ではなかったのか!)
(でも、逆に嫌われたりしたら!)
(馬鹿め!)
――電光石火、脳内に瞬く。
(褒められて嬉しくない女など、捨て置け!)
男らしすぎる脳内父さんは、補正約180%と言ったところである。
きっと本人ならこういうだろう。
『状況を見て判断しなければいけない。それがわからないようではまだまだだ』
けれども、ふつふつと沸き起こる熱い激情。
それは男なら誰しもが持つもの――漢気{おとこぎ}だ。
(僕にはそれがない……)
けれど、素直に諦めるほど、大人でもない。
「目一杯がんばるんだ!」
「? 何を?」
「はうっ!」
ついつい決意が勢い余って口から飛び出してしまった。
リリアルが弥一の顔をのぞき込むと、その絹糸のようになめらかなストレートの金髪が、さらさらと音を奏でた。
そんな魅力たっぷりの『悪魔のお姉さん』に、弥一はもうメロメロである。
気力を振り絞って倒れないだけ、まだ褒めて欲しいくらいだ。……誰に褒めて欲しいかは、知らないが。
「い、いえ、あのっ、今度学校でテストがあるんで、がんばらなきゃなって!」
「そうなんだ! 弥一君、成績良さそうだし、大丈夫だよ」
「でも、今度のテストは魔界史なんですよね……登場人物が全員難しい名前なんで、混乱しちゃいます」
またしてもつまらない話題にしてしまったと、弥一は自己嫌悪に陥る。
しかし、思惑とは別に、リリアルは目を輝かせた。
「魔界史! 私、今度教えてあげようか?」
実は得意分野である。もっとも尊敬する大悪魔は、やはりなんといってもメフィストフェレスだ。
あの容貌、それを自在に操る膨大な魔力、振る舞いは紳士、されど戦場においては一騎当千の実力者。
完璧。
完璧すぎる。
(ああ、一度でいいからお会いしたいなぁ……)
現在、二〇〇〇余歳を越えてなお現役である老紳士に、ついつい思いを寄せてしまう。
隣に弥一がいることを、一瞬忘れてしまうほどだった。
「あ、あの、家庭教師ってことでいいんでしょうか!?」
しかし、当の弥一は、また別の部分に注目していた。
『悪魔のお姉さん~家庭教師編~』
謎のタイトルコールが浮かぶのを、ブンブンと頭を振って脳内から追い出す弥一。
「うん、私、魔界史得意なんだ。単語帳とかも用意しちゃうよ」
「わあ! それって、すっごくすっごくありがたいです!」
ちなみに華展会場では多くの花がきらびやかに飾られているが、そのどれもが二人の目には入っていない。
ただお互いのことを、見つめては照れ、時折目が合っては真っ赤になる。
そんなうぶなデート風景が、よりにもよって生け花の前で繰り広げられているのである。
美しい花もかすむほど、というのはこういうことを言うのだろう。
「そ、それじゃあ、今度リリアルさんのおうちにお邪魔してもいいですか!?」
「えっ!?」
まずい。
あの三畳一間(しかも壁が薄い)では、何が起きてしまうかわからない。
というか単純に、見られたくない。
もっと、なんというか、優雅な部屋にすんでいると思っていて欲しい。
それはリリアルの切実な願いだった。
「わ、私が弥一君のご自宅にお邪魔するのじゃ、だめかな?」
恥ずかしそうにはにかむ『悪魔のお姉さん』。
そんな表情でお願いをされて、断れる人間の男は果たして存在するのだろうか。いや、聞くまでもないだろう。
「わ、わかりました! ちゃんと片付けておきますから、今度ぜひお願いします!」
「うんっ!」
ぱぁっと、幾千幾万の花に勝るリリアルの笑顔が咲いた。
それは、うぶな少年の心を打ちのめすのに十分すぎるほどだった。
「そ、それじゃあ! 明後日の夕方とか、どうですか!?」
「だ、大丈夫! 私、その日はシフト入ってないから!」
お互いに照れ隠しでついつい声が大きくなってしまう。
人間と悪魔の年の差カップルというだけで目立つのに、さらに必要以上の注目を浴びてしまったのだった。
「と、とりあえず、出ましょうか」
「そ、そうだね、うん」
手は繋いだまま。
いつか、その心まで繋がりますようにと、祈りながら。
ふたりは会場をあとにした。




