第二十話「はじめてのごあいさつ」
「はぁ……」
コンビニアルバイト、その深夜シフトでリリアルは今日何度目かになるかもわからない桃色のため息をついた。
深夜三時、ほとんどお客さんの入らない時間帯では、商品の補充や棚の入れ替えなど、さまざまな仕事がある。なにもレジ打ちだけが業務ではないのだ。
(弥一君……)
考えるのはそのことばかり。
昨晩味わった極上の魔力は、まだリリアルの体を火照らせていた。
「はぁ……」
またしても漏れるため息。
それでもしっかりと手を動かしているあたり、リリアルの生真面目さがうかがえる。
「すみませーん、レジおねがいしまーす」
ふと、リリアルの背中に声が投げかけられる。
「あっ、はーい!」
そのときのリリアルは、気がつかなかった。
入店のベルが一度も鳴らなかったことに。
「えっと、お会計427円になります」
「427円ね」
フードを深くかぶったその女性は、ポケットに手を入れてなにやら小声でつぶやく。
「……錬成、成功……」
「?」
リリアルが聞こえないほど小さなつぶやきを不思議に思っていると、女性は手のひらに金額ぴったりの427円を広げた。
しかも、なぜか支払い皿に置かず、リリアルに直接手渡しをしてくる。
「はい、お支払いちょうどになります」
リリアルは自分の手のひらに乗せられた小銭を確認して、レジにいれる。
それから商品の入ったレジ袋を女性客に手渡した。
「どうも」
女性はそう言ってレジ袋を受け取る瞬間に、リリアルの手を握りしめた。
「?」
「……感じる、この魔力の残滓……間違いない……」
相変わらず女性のつぶやきはリリアルに聞こえなかったが、すぐに異変に気がついた。
「!?」
急激な虚脱感。貧血にも似たその感覚は、明らかな魔力吸引――すなわち、『魔法』によるものだった。
「あ、あなた、いったい……!?」
「汚らわしい悪魔に触るは苦痛、されどこの魔力の残滓……捨て置くには魅力が過ぎる」
急激な魔力の喪失により、リリアルは膝から崩れ落ちる。
しかし、謎の女性から手が離れることはなく、さらにきつく握りしめられる。
(魔力吸引、しかもこの全身を針で刺されるような異様な威圧感……これはいったい……)
考えを巡らせるが、思考力さえも奪われていく。
このままではまずいと思った瞬間、コンビニの入店ベルが鳴った。
「んんん? リリアルの様子を見に来たら、なんか面白いことになってるわよね、これ」
デゼルだった。悪魔の歌姫{ディーバ}にして、リリアルの親友、そして――準一級戦闘種指定悪魔。
「とりあえず――その手を、離せ!」
魔力を乗せた怒号は、瞬時に店内の床を一面の氷に変えた。
「ちっ……!」
レジ台にまで広がった氷は、すぐさま鋭い突起を生やし、正体不明の女性客――すでに『敵』といっても過言ではない存在へと一斉に伸びた。
さすがに串刺しにされるにはいかないと、敵がリリアルから離れる。
その敵は後ろ飛びで距離をとると、そのまま転移魔法陣を背後の壁に広げた。
「逃がすかぁ!」
デゼルの怒りを纏った氷の槍は、一斉に敵めがけて飛びかかる。
「挨拶はこれくらいで……失礼」
口元に笑みを浮かべた敵は、氷の槍に貫かれるより先に転移魔法陣の向こう側へと消えた。
「高等魔法をああもたやすく操るなんて……」
敵の去った店内で、安全を確信したデゼルはすぐさまリリアルに駆け寄った。
「ちょっとリリアル! 大丈夫!?」
「う、うん、ぎりぎり、生命維持に必要な魔力は残ってるから……」
その顔は蒼白で、魔力枯渇によって衰弱していた。
「全然大丈夫じゃないじゃない! ったく、もう!」
デゼルはためらいなく氷の刃で自らの手首を切ると、滴る赤い血をリリアルの口元に垂らした。
「応急処置だけど、とりあえずあたしの血で我慢して。本当は経口供給がいいんだろうけど、弥一君に恨まれたくないし、ね?」
ファーストキスを奪うわけにはいかないと思ったデゼルだったが、リリアルが弱々しい笑みで吹きだした。
「それなら、大丈夫……その、弥一君とは……しちゃったから……」
魔力枯渇状態で朦朧としているリリアルは、恥ずかしげもなく口走ってしまう。
そんなリリアルに目を丸くしているデゼルは、自らの止血も忘れてリリアルに詰め寄った。
「えっ!? しちゃったって、えっ!? 昨日、帰ってこなかったけど……ええっ!?」
さっきまでの戦闘ムードはどこへやら、恋バナ切望の歌姫が目を輝かせる。
とりあえずの魔力を補給したリリアルは、そのまま気を失う。
それがますますデゼルの想像をかき立て、それは叫びへと変わった。
「どうなってるのよ、もう~~~~!!」
◇
夢を見た。
「あ……」
夕暮れの朱い空。一面に広がる金色の麦畑。遠くには、風車小屋と小川が見える。
リリアルは、ぼんやりとその景色を眺めた。
懐かしい、魔界の実家も見える。
そこには両親と幼い自分がいた。
みんな、楽しそうにしている。
みんな、幸せそうにしている。
「………………」
何も知らなかったあの頃。
戻れるなら戻りたい。
けれど、リリアルは知ってしまった。
――恋の味を。
「お父さん、お母さん、私……私は――」
何かを言おうとした。伝えようとした。
けれど、リリアルの意識は急激に何かに引き上げられるように、故郷の景色は遠のいていった。
◇
「~~♪ ~~~~~♪」
美しい歌声が聞こえた。
どうやら誰かに膝枕をされているようで、リリアルはぼんやりとした意識を次第に鮮明にしていく。
「あ、気がついた?」
膝枕をしていたのは、デゼルだった。
魔力を乗せた歌声でリリアルを癒やしていたらしい。
「うん、もう起きれるかな……デゼル、ありがとう」
「ああもう、まだ動いちゃだめだってば。しばらく寝てなさいって」
強引に膝枕の体制に戻され、リリアルは素直に従った。
「ここ、私の部屋……?」
「そうだけど……え、あたしの部屋に見える?」
リリアルは、雑誌やら服やらが散乱しているデゼルの部屋を思い出し、なんとなく納得した。
「そ~れ~よ~り~、リリアルっ!」
にやーっとした笑みを浮かべたデゼルが、リリアルの顔をのぞき込む。
「昨夜、なにがあったか話しなさいっ!」
それを言われて、リリアルは『あの秘め事』を思いだし、ボッと赤くなった。
「ひ、秘密……」
弥一とした約束だ、話すわけにはいかない。
というより、恥ずかしすぎて口にはできない。
「あー、そういうこと言うんだ? あー、あー、デゼルお姉さん、ちょーショック……」
一〇〇パーセント、混じりっけなしの嘘泣きをするデゼル。
しかし、その手には乗らないと、リリアルは視線をそらす。
「い、言わないもん……」
恥ずかしそうにしているリリアルを見るだけで、デゼルのにやにや度は増していく。
「つ・ま・り、言えないようなことをしてきたと~?」
リリアルは顔を横にして、沈黙してしまう。
しかし、その沈黙こそが肯定であり、デゼルのつけいる隙であった。
「親友のあたしにも言えないような、熱くて濃ゆ~い夜を過ごしたのね?」
「そっ、そこまでのことはっ……!?」
「ほうほう。ということは、どこまで?」
「ひ、秘密……」
ますます顔を隠すリリアルに、デゼルは顔を寄せてその耳に息を吹きかける。
「ほらぁ、言っちゃいなさい……♪ ぜぇんぶ、たまってるのはき出しちゃいなさい……♪」
ゾクゾクと背筋に快感が走る。
ただの吐息と囁きではない。魅了の魔法が織り交ぜられているのだ。
「や、やめっ……ふあ、そこはっ……だめぇ……」
「ほら、ほらぁ……♪」
リリアルを優しく淫らに追い詰めていくデゼル。
そこには、いかにも悪魔といったような笑みが浮かんでいた。




