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第二話「悪魔なお姉さんは好きですか?」


 まだ夏の香りが残る九月に、悪魔である私――リリアル・リリアンデールは人間の少年と出会った。

 そしてまだ年端もいかぬその少年の純真無垢な笑みは、私を恋の奈落に突き落とした。

「はぁ……」

 移住悪魔用の仮住まい寮の三畳一間、クラシックな畳部屋で私は何度目かになるため息をつく。

 夜も更け、魔力濃度が密度を上げているこの時間こそ、悪魔の本領発揮なのだが、とにもかくにも私は何もやる気が起きずに布団の上でごろごろと転がっていた。

(時任弥一君、また逢えないかな……)

 少年の笑みを思い出すたび、尖った耳端まで顔が赤くなってしまう。

「はふぅ……」

 そんなときめきのため息を再度漏らしていると、枕元のPHSが鳴り響いた。

 早く出ろ、とせかす電子音。

 これは魔界にはない技術で、それが鳴るたびに思わず身がすくんでしまう。

 いわゆる、『移住悪魔あるある』だ。

「は、はいっ、も、もしもし?」

「あー、リリアンデールさん?」

「あっ、店長……?」

 悪魔用ハローワーク、通称『魔労枠』から進められた仕事は、深夜のコンビニアルバイトだった。

 このPHSも、型落ちとはいえ、タダで支給された便利な道具である。

 もちろん、悪魔同士の念話の方が慣れているのだが、郷に入っては郷に従えという言葉に習うのがリリアル流なのだ。

「あのね、突然で申し訳ないんだけど、急に他のアルバイトの子が来れないって言い出しちゃって」

「はあ」

「リリアンデールさん、悪いんだけど……ヘルプ頼めない?」

「えっ?」

 思わず壁の時計を見る。時間はすでに深夜二時、今から着替えて外に出るのは億劫だ。しかし――

「大丈夫、深夜手当にヘルプ手当、あともちろん悪魔手当もつくから!」

 その言葉でリリアルの目の色が変わった。

「はい、すぐ行きます!」

 しっかりとした返事をすると、リリアルは早速、先日『ファッションセンター・ユニシロ』で買った服に着替えはじめた。

 悪魔用の翼と尻尾があっても不都合なく着られる、サイズも豊富、そのうえ安い。

 移住悪魔御用達の『ユニシロ』はお客に優しい、財布に優しい、悪魔に優しい、の三拍子だ。

「今はとにかくお金を稼がないと」

 魔力によって美貌を保つ悪魔だが、人間界の『コスメティック』にハマる者は少なくない。

 擬態魔法や変身能力がなくても自分を変えられる、人間界の化粧品――それこそが魔法に思えるほどだった。

 着替えをして、翼と尻尾を最小サイズに縮め、財布と鍵とPHSをポケットに入れる。

 よし、完璧! というところで、ふと鏡に映った自分の姿を見る。

「………………」

 ノースリーブの縦縞夏用セーターに、機能性に優れたチノパン、長い髪をゴムで束ねてポニーテールにすると、なおのこと目立つ悪魔角。

(こ、これなら、いつ弥一君と再会しても平気よねっ)

 特別、胸やヒップラインが強調されている服だという自覚はない。

 なにせ悪魔といえば、魔界ではビキニのようなきわどいボディースーツが基本だからである。

 しかし、人間界の男には目の毒であり、同時に癒しとも滾りともなるのだから手に負えない。

 ユニシロの店員によるコーディネイトは抜群だった。

 問題があるとすれば、無自覚のリリアルの方だろう。

 これまでも、人間の男性が落ち着かなそうに話しかけてくるのを何度も体験していた。

(弥一君の好みの感じって、どんなのだろう……?)

 他の男は眼中にない。

 これまでナンパを何十回とお断りしてきた小悪魔系悪魔としては、そんな余人に割く意識はない。

 恋する乙女はまっすぐなのだ。


◇


「ありがとうございましたー」

 夜が明け、朝の七時。

 通勤前、通学前、あるいはリリアル目当てのコンビニは男性客であふれていた。

 最初こそ慣れなかったレジ打ちも、今ではお手の物のリリアルだったが、どうにも笑顔がまだ固い。

「リリアンデールさん、ほんとありがとね~。おばさん、助かっちゃったわあ」

 人柄よし、人脈よし、恰幅よしのおばさん店長こと『丘ノ下きり子』はそう言って柔和な笑みを浮かべつつ、隣のレジで高速袋つめという奥義を披露している。

「ありがとうございました~。はい、次の方どうぞー」

 丘ノ下きり子、通称おかん店長に呼ばれた順番待ちの中年男性はがっくりと肩を落としながらつぶやいた。

「ああ、リリアルちゃんのレジがよかったのに……」

 そんな風に気落ちして店を出る男性客は多い。

 リリアルは、自分の魅力に気づいていない小悪魔系悪魔なのだ。魔性の女と言ってもいい。

「あ、えっと、次の方どうぞっ」

 初老の男性客を送り出して、次のお客様をレジへと促す。

 そこで、リリアルは奇跡を目にした。

「あっ、お姉さん!」

 なんと、お客様は片思いの相手である人間の少年、時任弥一だったのだ。


 ――どくん。


 と、何かが自分の中で大きく跳ねる音を聞いた。

「お、お、おはよう!? きょ、今日は、どうしたのっ? 弥一く――と、時任君はコンビニ使ってたっけ!?」

 いらっしゃいませの挨拶も忘れ、リリアルは顔を真っ赤にしながら早口でまくし立てた。

「いえ、今日はお母さんが寝坊しちゃって、朝食はコンビニでってことになったんです。通学中なんで、本当はだめなんですけどね」

 そう言って、またしてもあの優しい笑みを浮かべる時任弥一。

 撃ち抜かれてしまうリリアルの乙女心。

 勝負は一瞬、しかしてこの時は永遠なのだった。

「………………」

 息を呑む。

 世界は私と弥一君だけ……そんな真っ白な世界。

「リリアンデールさん~、手が止まってるわよ~」

 おかん店長の言葉が、リリアルを現実に引き戻す。

 相変わらずニコニコとしている弥一の方をあまり見ないようにして、どうにかレジ会計を終わらせた。

「あ、ありがとうございましたっ」

「はい。お姉さん、それじゃあ僕、行ってきます」

「いっ、いってらっしゃいっ!」

 そんな新婚さながらのやりとりを見たおかん店長が、ははぁと何やら察する。

「リリアンデールさん、ちょっと休憩入っていいわよ~」

「えっ? でも、お客さんいっぱいいますけど……」

「大丈夫よ~。朝のバイトの子も来るし、私も秘奥義出すから」

「は、はぁ」

 そんな感じで困惑していると、おかん店長から素早くスタッフエプロンを脱がされた。

 そしてあらわになる私服姿のリリアルと、何よりその大きく美しいバストラインに店内は一時騒然となった。

「はい、じゃあ休憩いってらっしゃい」

 そう言ってレジの外へと出されてしまう。

 休憩と言えば普通バックヤードの休憩室なのだが、どうもおかん店長は甘酸っぱい青春の機会をくれたようだった。

「えっと……」

 とりあえず、おかん店長の真意がわからないまま、リリアルは店の外に出る。

 するとそこには、あの時任弥一がコンビニ袋を手に、待ってましたとばかりに話しかけてきた。

「お姉さん、よかったら近くの公園で朝食に付き合ってもらえませんか?」

「は、はひっ! よろこんでっ」

 弥一の予想外のお誘いに、リリアルはついつい声が裏返ってしまう。

「よかった! 断られたらどうしようって思っちゃいました」

 えへへと照れくさそうに微笑む弥一。

 そんな笑みもまた、リリアルに取ってはハートを撃ち抜く銃弾と化すのだから恐ろしい。

(と、とにかく、平常心を保たないと……)

 そんなことを考えていると、いきなり弥一が手を握ってきた。

 心臓が跳ねるどころの話ではない、爆発するかとさえ思えた。

「ほら、いきましょう、お姉さん!」

 悪魔を翻弄する少年、これこそが本当の小悪魔ではないだろうか。

 そう思わずにはいられない、リリアルだった。


◇


「いただきます」

 そう言ってからツナサンドを頬張る弥一。

 年の割にはしっかりとしている――と思ったところで、リリアルはある事実に気がついた。

(そういえば年齢はいくつなんだろう)

 悪魔から見て、人間の成長はすさまじく早い。

 二百余年を平気で生きる悪魔と、もって九十大往生と言われる人間では、年齢を見た目から推測するのが互いに難しい。

(でも、かといっていきなり年齢を聞くのは、さすがに……)

 魔界では、永い時を生きた悪魔ほど、偉く、賢く、そして強い。

 ゆえに、無神経に年齢を訊くというのはタブーなのだ。

(その程度も察せない、デリカシーのない女って思われたくないし……)

 思考の迷宮にはまっていると、弥一はとっくに食事を済ませ、コンビニおしぼりで口元を拭いていた。

 何やら考え込んでいるように見えるリリアルを、興味津々といった様子で眺めながら。

「お姉さん」

「!? なっ、なにかなっ!」

 急に声をかけられて、リリアルはびっくりしてしまう。

 何を言われるのだろう、と。すぐにドキドキしてしまう心臓が恨めしい。

「お名前、今日こそ聞いていいですか?」

「あ、えーっと……」

 悪魔にとって、名前は非常に重要な意味を持つ。

 特に、古く、中世の時代には、召喚された悪魔が『真の名』を看破されて服従を強いられることもあった。

 魔界小学校では、まず真っ先に『真の名は簡単には教えないこと』と教えられる。

 もちろん、魔術大系の失われた人間界で、そのような呪術的な束縛があることはもうないのだが、魔界風習というやつである。

 魔界風習では、真の名を明かすのが同性である場合は親友と認めた証、異性である場合は将来を誓い合った仲ということになるのだった。

(や、弥一君、私の真の名を知ったら、絶対、ひいちゃうだろうし……)

 リリアル・リリアンデールというのは、もちろん人間界用の名前だ。

 しかし、リリアルは、弥一にそれすら教えてはいなかった。

「まあ、さっきコンビニの名札で見ちゃいましたけど」

 そう言って、ぺろっと舌を出す弥一。

 もう何度目になるのか、その愛らしさに心を撃ち抜かれるリリアル。

「でも、お姉さんの口から教えて欲しいんです」

 さっきまでいたずらな表情を見せていたかと思えば、今度はまっすぐ正面から真剣な眼差しで告げてくる。

 本当に、万華鏡のような少年なのだ、弥一は。

「う……」

 ときめきと迷いが同居するリリアルの心では、第十一回委員会決議が始まっていた。

 いわゆる『脳内会議』というやつである。


  ◇


『諸君、ここは素直に教えるべきか、はぐらかすべきかを決めようと思う』

 ちっちゃなリリアル七名が円卓に集っていた。

 さながら、リリアル・セブンといったところであろう。

『もう教えちゃいましょうよ』

『異議ありです! 軽い女だと思われたくありません!』

『でもこっちは向こうの名前を、恥知らずにも初対面で聞いたわけだし』

『恥知らずとは何だ!』

『実際そうでしょう!』

『言葉を選べ、私!』

『うるさい、私!』

 ギャーギャーと議論が白熱する中、一人、影の薄い感じのちびリリアルがつぶやく。

『交換、条件……』

 その小さな声に、一同が静まりかえる。

『交換条件だと……?』

 ごくり、騒いでいた六人のちびアルがつばを飲む。

『そう、名前を教える代わりに、次に会う約束をとりつける……』

 にやりと、悪魔的にほくそ笑むちびアル(悪魔)。

『そ、それは、しかし……』

 尻込みする六人を相手に、影の薄い、ついでに幸も薄そうなちびアルはたたみかける。

『すでに血の味知ったるなんとやら、躊躇いは捨てよ……』

 そういって、ゆっくりと席をたつちびアル。

『すなわち……こう、言うのだ』


  ◇


「そ、そうねっ。それじゃあ教える代わりに、今度――」

 リリアルは、次の瞬間、自分でも驚愕する言葉を発していた。


「デートしましょう」


 ……えっ?

(待って、ちょっと待って私。無理、いきなりデートとか、無理。絶対無理。ちょっと何言ってるのか判らないし、理解も納得もできないし、それでも時間は進むし、覆水盆に返らずっていうし、え? は? これもしかして詰んだってやつなのかな。選択肢ミスってやつだよね、うん。ロード、うん、ロードしよう。直前でセーブしてないけど)

 そもそも、現実世界にそんな機能はない。残念ですがこれが現実です。

「はいっ。よろこんで!」

 ……えっ?

「あっ! もう行かないと遅刻しちゃう! それじゃあ、お姉さん、今度の日曜日、午前の十時にこの公園で!」

 言葉をまくし立てて、破顔した弥一が立ち去ろうとする。

「あ、あのっ!」

 リリアルは、心の底に眠っていた勇気をふるいたたせて、言った。

「私! リリアル・リリアンデール!」

 勢いよく、名前を告げた。

 かっこよくなくても、かわいくなくても、魅力的でなくても、堂々と言った。

「はい! これでお互い呼び合えますね! それじゃあリリアルさん、また!」

「う、うん! 弥一君、勉強がんばってね!」

 気がつけば手を振っていた。

 走って行く後ろ姿が、とてつもなくまぶしく見えた。

 そして、リリアルはさっきから激しく脈打つ心臓――その豊満な胸を両手で押さえた。

(わ、私っ……初デート!)

 超弩級恋愛奥手のリリアルの、運命やいかに。


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