第一話「恋物語は突然に」
第一話「恋物語は突然に」
「大丈夫ですか?」
強い夏の日差し、揺らめく陽炎、倒れていた私に声をかけてきたのは少年だった。
「ここ、暑いですよね。向こうの木陰に行きましょう。あ、立てますか?」
年は十四くらいだろうか、同級生がサッカーボールを追い回しているのには関心がなく、夢中で本を読んでいるタイプに見えた。
「ぼく、なにか冷たい飲み物買ってきますね。先に行っててください」
そう言って笑顔を見せて、自販機に向かっていく少年。
私は、恋に堕ちた――。
◇
「あの」
少年が買ってきてくれたスポーツドリンクを二口飲んだ。どうにか体が落ち着いた私は、落ち着かない心を無理矢理立ち上がらせて口を開いた。
「はい?」
あどけなさ、中性的と言ってもいい少年の顔立ち。それでも軟弱に見えないのは、それなりにしっかりとした体つきのせいだろうか。
きょとんとした顔にまた私はときめいてしまう。
(か、かわいい……)
くりくりとした瞳がリスを思わせる。
夏の日差しの届かない木陰のベンチ、そこで私は勇気を出して聞いてみた。
「ど、どうして助けてくれたのかな?」
私の身なりというのは、なんというか、……ひどい。
露出度の高い、胸元の開いたボディースーツ。首輪と腕輪と足輪。尻尾に翼に角。……悪魔、なのだ。
「……?」
少年は、質問の意味がわからないという様子だった。
それがまた無垢なあまり、私はときめいてしまう。
「だ、だから、ね? 私って、その、普通じゃないでしょう?」
「はあ」
「他にも人がいたけど、見て見ぬ振りしてたし……」
「だって」
少年は、ごく普通に言葉を紡いだ。
「倒れている人がいたら、たすけるでしょう?」
それが当たり前でしょう、という少年の調子に、またしても悪魔の私はときめいてしまう。
純粋にして清廉、潔白にして清楚。最上級シルクでも遠く及ばない優しい笑みに、私の心は打ち抜かれた。
「そ、そ、そうなんだね」
ドギマギして、そう返すのがやっとだった。
とりあえず三口目のスポーツドリンクを喉に流し込み、清涼をとる。
「お姉さんって、悪魔ですか?」
「ぶーーーーーーっ!」
不意打ちの質問に、私は思いきり吹き出してしまった。
こんなピュア&キュア一〇〇パーセントの少年の口から、「悪魔」などという単語が出てきてしまったのだ。驚かないはずがない。
1998年、現在。来年のアルマゲドンに向けて、少しずつ悪魔たちは人間界に侵入をはじめている。
……といっても、最終戦争だとか世界の破滅だとか物騒な話ではなく、ようやく来年に、魔界と人間界を繋ぐ直通新幹線が開通するのだ。
それにむけての移住、就職先探し、文化の違いのすりあわせ、などなどである。
ちなみに天使と天界は二千年くらい前に勝手に滅んだ。詳しくは誰も知らない。
「あっ、あのっ、ごめんなさい! なんか訊いちゃいけないことでしたね!」
「ご、ごほっ、げほっ! ……だ、大丈夫。見てのとおりの悪魔だし」
私のその言葉を聞くと、少年は途端に目をキラキラと輝かせはじめた。
ころころ変わるその表情は、魔界のどんな魔力石より魅力的に見えた。いうなれば、そう、宝石箱だ。万華鏡といってもいい。とにかく、わくわくとドキドキが止まらない。止めてくれない。
「あの! ぼく、悪魔さんとお話しするのって初めてで、もし失礼なこととかあったらすみません!」
やや興奮した口調でそう言った少年は、次の瞬間には急にもじもじとしはじめた。
「こ、こういうの、初対面の方にお願いするのってだめだと思うんですけど、ひとつだけ訊いてもらいたいことがあって……」
「な、なにかな?」
「実はその……」
少年の恥ずかしそうな表情に、また胸の奥がうずく。
何を言われるのだろうと思うと、そのドキドキはさらに加速した。
「つ、角を触らせて欲しいんです!」
その言葉に、私は正直驚いてしまった。
人間界では悪魔の常識が浸透していないとは知ってはいたが、ここまでとは思わなかったからである。
一般的に、悪魔の女が心を許した相手に触らせていい場所というのは、最初に髪、次に胸、最後に角なのだ。
悪魔にとって角というのはそれだけ重要な意味を持つのだから、当然私の返答は――
「う、うん……いいよ」
あれ?
おかしいな、私。あれ?
「ほ、ほんとですかっ!?」
少年はぱぁっと表情を輝かせた。
それはまるで魔性の月光薔薇が咲くかのようで、私の心はまたしても撃ち抜かれてしまう。
いけない、このままじゃ私の心臓は蜂の巣だ。
「そ、そのかわり、優しく……ね?」
少年が触りやすいように、私は少し前屈みになって角を差し出す。
ちょうど胸が膝に当たるくらい、体をたたんで。
「あっ」
「?」
少年が急に顔を赤らめたので、私は不思議に思ってしまう。
そもそも、恥ずかしいのはこちらのほうなのだから、できるなら早くしてほしいくらいなのに。
「………………」
「どうしたの?」
「い、いえっ! それじゃあ、角、触りますねっ」
少年は最初こそ恐る恐るといった手つきでまごついていたが、一度つばを飲むと意を決して私の角に触れた。
「みためは金属質なのに、触ると少しあたたかい……。でも、すごく硬いですね」
少年は優しい手つきで私の角を撫でる。
それがたまらなく心地よくて、私は蕩けたため息をついつい漏らしそうになった。
「これ、骨なのかな、それとも爪のようなものなのかな、もしかして角っていう悪魔限定の区分とか……」
少年は夢中になって角を触っている。
握ったり、さすったり、撫でたりととにかく興味心がつきないようで、完全に自分の世界に入ってしまっていた。
「先端はどうなってるんだろ? ものすごく鋭利で、針みたいだけど――」
「あっ、だめ! 角の先っぽは……だめぇっ!」
触れられそうになって、恥ずかしさのあまり私はついつい少年から逃げるように身をくねらせた。
「いたっ……」
その結果、鋭い角の先端は、少年の指先を浅く切りつけてしまう。
赤い、紅い、朱い血がじわりと漏れ出す。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫? ああっ、血が出てる!」
「だ、大丈夫ですよ、これくらい。舐めとけば治ります」
そう言って自分の口元に運んだ指を、私はとっさに手で引き留め――舐めた。
「おっ、お姉さん!?」
「ん……舐めておけばいいなら、こうした方がいいよね」
「わ、わわっ!?」
口内を満たす赤く錆びた鉄の味……私たち悪魔にとって究極とも言える魔力の源、それは人間の血だ。
甘く、狂おしいほどに刺激的で、それなのにどこか優しい。
そしてなにより、ぬくもりがある。
(おいしい、おいしい、おいしい)
私は夢中で少年の指をしゃぶった。
なにせ魔力枯渇で行き倒れた私だ。この高純度魔力である血の虜になるのは仕方ないことだ。
「はぁっ……!」
十秒だろうか、それとも十分だろうか、さすがに一時間は無いと思いたい。
ともかく私は永遠にも思える快楽の時を味わい尽くし、やっとのことで少年の指を解放した。
(この子の魔力、すっごく濃い……)
供給過多になってしまった私は、ぼうっとしてしまう。
いわゆる『魔力酔い』という症状で、主に目眩、昂揚、体温の上昇、それから気絶を招き――
「おっ、お姉さん!?」
ばたり。私は気絶した。
◇
「ん……。あれ……?」
ぼんやりとした頭に、ひぐらしの鳴き声が響いている。
あたりはもう夕暮れ色の空になって、涼しい風が私の頬を撫でた。
「あ、気がつきました?」
少年の顔が正面にあった。
あろうことか、私はどうやらまたしても倒れてしまい、そのうえ少年に膝枕の介抱をされていたようだった。
「ご、ごめんなさい! 私、その、体質的に魔力酔いに弱くって……」
「ああ、それで倒れたんですね。突然のことだったので、びっくりしました」
少年はまた優しい笑みを浮かべる。
あんな破廉恥なことをした私に、嫌悪の視線を向けることもなく。
「お、おきるねっ!」
「あっ! 急に立ち上がるとあぶな――」
「きゃあ!?」
少年の言うように、私は体を起こした途端にまたふらついて、それを支えようとした少年ごと倒れ込んだ。
ちょうど、押し倒すような形になってしまう。
「あ、あの、お姉さん……」
無垢な少年が赤面している。
それだけでもう、私の理性は吹き飛んだ。
気がつけば少年を抱きしめ、その耳元でそっとささやく。
「き……」
ゴクリ、と。私はつばを飲んでどうにか言葉を紡ぐ。
「君の名は?」
――これが、『悪魔』である私、リリアル・リリアンデールと、『人間』の少年、時任弥一{ときとうやいち}との出会いだった。




