第十三話「悪魔な女教師は好きですか?」
「うん、快晴!」
時刻は午後の三時過ぎ、悪魔にとっては朝方といっても過言ではない時間帯に、リリアルはおしゃれな伊達メガネをして悪魔寮を出た。
この伊達メガネは、デゼルに家庭教師の話をしたときに、渡されたものである。
『いい? こういうのはあえて形から入らなきゃダメよ』
人間の男は女教師に弱いらしいわ! という、どこから得たのかもわからない知識に頼った結果、この赤色のアンダーリム・メガネである。
実際、リリアルはすこし凜々しくなったような気分になって、弥一との待ち合わせ場所へと向かった。
◇
「あっ! リリアルさん、こっちです!」
いつものコンビニ近くの公園、そこが定番の待ち合わせ場所だった。
今日はいよいよ初めてのお宅訪問ということもあり、リリアルは緊張のあまり右手と右足が同時に前に出るギクシャク歩きをしていた。
「そんなに緊張しないでください。僕のうち、至って普通の一軒家ですよ」
「そ、そうなんだ」
ポイントはそこではないのだが、弥一のさりげない気遣いが嬉しい。
できれば今日も手を握って歩きたい……のだが、いかんせん荷物でリリアルの両手は塞がっている。
右に、魔界史教科書を入れた手提げカバン。
左に、勉強途中で疲労回復したくなったとき用の手作りクッキーが入った紙袋。
「本、持ちますよ」
そう言って、弥一はひょいっと手提げカバンを取り上げてしまう。
そうするとちょうど右手が空いたので、これはチャンス! とリリアルは意気込む。
「わ、結構重い……。こ、これ、両手で持たないと、無理ですね。はは……」
抱きかかえるようにして、弥一はカバンを持つ。
これでは手を繋ぐことはできないと、がっくりと肩を落とすリリアルだった。
◇
「あっ、ここです!」
閑静な高級住宅街、その小高い一等地に、その家はあった。
『至って普通の一軒家ですよ』
その言葉のどこに真実があったのか、疑わずにはいられない。
豪邸、とまではいかないが、かなり気合いの入った家である。
「ち、ちなみに、何LDKなのかな?」
「えっ? えーと、7LDK……ですかね」
部屋の数を指折り確認した弥一は、「普通ですよ」とにっこり笑った。
(わ、わからないよ、弥一君の普通がわからないよ……)
誰しも生まれの環境を標準化してしまうのは仕方がないことである。
弥一に悪意はないのだから、リリアルは素直に笑顔にときめくことにした。
「さあ、どうぞ! 我が家へようこそ!」
「お、お邪魔します」
尻込みしつつも、リリアルは時任家の玄関に入った。
和洋折衷、デザイナーズ物件と名乗って十分なほど、力の入った家だった。
なにせ、門から玄関まで十メートルはあったのだ。
右には芝生、左には様々な果実の木々、奥に見えたのはもしかしてバラ園だろうか。いや、そんなはずはないだろう。そう願わずにはいられない。
「えっと、僕の部屋は二階なんですけど、まずは何か飲み物を出しますね。リリアルさん、紅茶とコーヒー、緑茶、ほうじ茶、抹茶、ミルク、コーラとメロンソーダと、それから――」
豊富すぎるドリンクメニューに、リリアルは待ったをかける。
「こ、紅茶でいいから! っていうか、そんなに気を遣わなくていいよ! 大丈夫だから」
「そうですか?」
ごくごく当たり前のことをしているだけなのに、おかしいな? という表情の弥一。
どうにも、いい育ちの『お坊ちゃん』には、庶民の感覚といささかズレがあるようだ。
これでもしメイドのひとりでも出てこようものなら、リリアルは裸足で逃げ出す所存だ。
「じゃあ、いれてきますね。あ、ソファーでくつろいでてください。リリアルさん、そんな隅っこで立ち尽くしてないで」
「あ、あはは……」
陽光を取り入れる吹き抜けと天窓、その下では本革の高級ソファーがリリアルを待っていた。
(こ、これ、私が座っても大丈夫なのかな……)
またしてもネガネガ思考にはまってしまうリリアル。
しかし、そこは今日の『女教師モード』、己を奮い立たせていざゆかん。
「ふわあぁ……」
マシュマロのような座り心地、とでもいうのだろうか。
ふわっふわでありながら、しっかりと体重を支えてくれる安心感。そしてなにより、全身を任せたくなる魅力的な弾力性と堅牢さ。
(柔と剛の混在、『わび』『さび』とはこういうことなのかな)
それは思いっきり違うのだが、とにかくリリアルは座って二秒でソファーの虜になってしまった。
「おまたせしました。お茶請け、クッキーでよかったですか?」
「あっ、う、うん!」
紅茶をふたつとクッキーをのせた皿をひとつ、テーブルに並べる弥一。
そのクッキーがあまりにも立派だったので、リリアルは自分の手作りクッキーが恥ずかしくなって、そっと紙袋を弥一から見えない方に隠した。
「あっ、今なにを隠したんですか?」
見逃してくれない、弥一の視線。
それはリリアルをずっと見つめていることの証明でもあったのだが、それに本人は気づかなかった。
「こ、これは、その……手土産の手作りクッキーだったんだけど……」
目の前のクッキーは、おそらく駅前の高級スイーツ店で人気ナンバー2の「ホワイトチョコチップス」という商品だ。
自分ではよくできたと思っていた手作りクッキーだったが、これを見せられると途端に恥ずかしくなった。
「手作り!? リリアルさんの!?」
「う、うん。だけど、ほら、こっちのクッキーの方がきっとおいしいから。これは持って帰るね」
またしてもネガネガ思考のリリアルだったが、それを吹き飛ばす太陽の笑みを見せるのは弥一の役目だ。
「僕、食べたいです! リリアルさんの手作りクッキー!」
「う……」
この笑顔で迫られると、断れない。断りきれない。断りたくない。
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ……」
リリアルはおずおずと、紙袋からクッキーを取り出す。
細かく刻んだキャラメルを生地に練り込んだそれは、クッキーとしては若干堅めの食感がまた心地いい。
『ほんっと、リリアルって料理上手! お店開けるんじゃない?』
試食したデゼルは絶賛していた。
それならば、弥一も喜んでくれる可能性は低くない。
そう願って、一枚、弥一の口元へと運ぶ。
「ど、どうぞ」
無意識で『はい、あーん』をしてしまっていることに、リリアルは気づかない。
弥一はドギマギしながら、頬を赤らめてクッキーを口に含んだ。
「お、おいしい! これ、お店のより、僕は好きです!」
好きです! の言葉に、ズッキュゥンとハートを撃ち抜かれるリリアル。
こうかはばつぐんだ!
「? リリアルさん?」
「な、なんでもないよ、うん。なんでもないから、大丈夫。大丈夫だから、うん」
ドキドキする胸を押さえながら、リリアルが熱っぽいため息をつく。
その様子は男子である弥一をそそるに十分で、色っぽい雰囲気に完全に呑まれてしまった。
「そ、そろそろ部屋の方にいきましょうか!」
胸のドキドキをごまかすために、突拍子もなく弥一は告げる。
「う、うん。色々教えてあげるね」
女教師モードのリリアルにそう言われて、弥一の心臓は破裂しそうなほど脈打った。
こうかはばつぐんだ!
昼下がり、二人きり、個室、お勉強、教えてあげる……弥一の頭の中をゆらゆらと単語が泳ぐ。
こうかはばつぐんだ!
とにもかくにも、こうして『はじめてのお勉強会』は幕を上げたのだった。




