8 先代聖女アネモネ・ミラン
「誰よあんた!!」
もう1人の小柄な令嬢はイキシアに似た光の加減で青色を帯びる長い黒髪をなびかせながら立ち上がり、すっと淑女の礼をとった。
「挨拶が遅れたね。私は第22代聖女アネモネ・ミラン、イキシアの叔母よ。ああ、フローレンスとフェレッラの嬢ちゃんは私のことは覚えなくていいよ。私、あんたらのこと嫌いだから」
初手からの『嫌い』宣言を食らってヴァイオレット・フェレッラは顔を露骨に歪ませているている横で、マーガレットはさらに混乱していた。ミラン辺境伯令嬢ですらゲームに出てこなかったのに、まさかの先代聖女の登場である。しかもその先代聖女はローズの側についている。
他の令嬢達もアネモネ・ミランの登場にざわめく。だがそのざわめいている理由はマーガレットとは当然異なった。
「せ、先代聖女様!? おさなっ・・・いいえなんてお若いの!?」
「貴女いま幼いと言いかけたでしょう?」
何も言わなければアネモネ・ミランは姪のイキシア・ミランとほとんど歳が変わらないように見える。背格好もほとんど同じだ。髪型がイキシアがツインテールなのに対し、アネモネはハーフアップにしているので、若干アネモネの方が大人びて見える。
「聖女の神秘かしら?」
「羨ましいわ」
「神聖魔力を鍛えると若さが持続するみたいです。ほら、あちらのシスターは既に40歳ですが肌も瑞々しいままですよ」
「ほんとうだわ!」
「すごい」
令嬢達とローズはすっかり神聖魔力と若さ談義で盛り上がっている。その様子を穏やかな表情でアネモネは眺めていた。
「ローズちゃんにお友達ができそうで良かったよ」
「姉様落ち込んでたからね、どこぞの誰かのせいで」
「ああ、しっかり落とし前をつけさせてもらおうか」
ミラン辺境伯家の二人がマーガレットとヴァイオレットに向き直る。二人の冷たいアメジストの瞳がマーガレットに向けられていた。
「さて、ローズちゃんの移動が遅かったからウチの被害がデカくなったって話だったな。そりゃまるきりガセだ。むしろ邪龍を倒せたのはローズちゃんの強力な祝福と支援があったからだ。辺境伯家の騎士団、私の浄化、ローズちゃんの祝福と支援、どれが欠けてもの邪龍の討伐は難しかっただろう」
「で、でもあいつは辺境伯領になかなか着かなくて、着いたときにはもう邪龍は討伐されていたって」
「遠隔でやったに決まってるだろ馬鹿。そこら辺の並の魔術師と聖女を一緒にするな阿呆が」
馬鹿だ阿呆だとアネモネに罵倒されてヴァイオレットの目に涙がにじみ始めている。
「あ、あいつにそんな力があるわけないじゃない・・・」
「どうしてそう思えるんだよこの間抜け。ならこの国全体を覆ってる守護結界は誰が張ってると思ってるんだカス」
「それは先代様が・・・」
「ローズちゃんが張ってるに決まってるだろボケ。私が守護結界張ってたらとっくにフェレッラ伯爵領とフローレンス公爵領は結界からはじき出しとるわ。ちったぁ考えろウスラトンカチが」
アネモネの口の悪さにマーガレットはドン引きした。言い負かされたヴァイオレットは今にも泣き出しそうだ。それでもヴァイオレットは言い返した。
「な、ならローズが貴族達から依頼を受けるたびに物品を受け取っているというのは」
これにはローズが答えた。
「もしかして依頼料とは別にいただいているお花の種のことですか?」
「花の・・・種・・・?」
「はい。遠隔で祝福や守護の力を使えると言っても、何もなしだとイメージがしにくくて若干難しいんです。なので、領地名産のお花をいただいて、それを領地のイメージにして、奇跡を起こすきっかけにしています。この中庭のお花は皆様からいただいた種を育てたんですよ」
ローズは花壇からスズランを摘んだ。
「このスズランは西のトゥーリン侯爵家からいただいたものですね」
「あら、わたくしの家ですの?」
トゥーリン侯爵令嬢がローズの元にやってくる。マーガレットとは別のテーブルでくつろいでいたようだ。
「ここ最近はあまり調子が良くなかったのですが、今ならとても上手くいきそうです」
ローズは摘んだスズランを胸に抱いて目を閉じた。彼女の身体が淡く光り始める。そして薄桃色のキラキラと瞬く光が彼女の身体から西の空に昇っていった。
「日照りが続いていたようですので、雨を呼びました。弱った作物には癒やしをかけておきましたので、元気になっているはずですよ」
トゥーリン侯爵令嬢は目を丸くしていた。
「この王都の教会から遠いトゥーリン侯爵領に奇跡を下さったのですか?」
「はい。きちんとイメージさえできればネイプルズ王国内ならどこでも付与できますよ」
「ありがとうございます。今年は不作が心配されていましたので助かりましたわ」
トゥーリン侯爵令嬢はローズに丁寧な礼をした。ローズは穏やかな笑みをトゥーリン侯爵令嬢に向けている。
なんだこれはとマーガレットは憤った。これではローズがまるで本物の聖女みたいではないか。
「いやー、ローズちゃんの祝福は綺麗だねぇ」
「ローズ姉様はまさに聖女よね。どこかの誰かももうちょっとこう」
「おや、姪っ子が厳しいぞ? 私だって立派な聖女だぞ」
「叔母様は口の悪さを直さないと」
「私の前の聖女よりは聖女っぽいと思うんだけれどなぁ。21代目は依頼の記念品に酒を要求しててさ、酒瓶を抱いて酒を飲みながら祝福をかけてたんだよ?」
「叔母様だって地方の貴族から依頼をもらうたびに、これ幸いと王都から逃げ出したでしょ?」
「その土地を直接見た方ががやりやすかったし、私はローズちゃんみたいに遠隔で繊細な操作ができないのよ。どうしても雑になっちゃう。でも一番は堂々と退屈な王都を出ていろいろなところへ行けて旅を楽しめたし、趣味の狩りもできたから、地方遠征の依頼は嬉しかったなぁ」
ミラン辺境伯家の2人が聖女談義で盛り上がっている。他の令嬢達もローズやミラン辺境伯領の2人の周りに集まっている。
もはやマーガレットのそばには憔悴したヴァイオレットしかいなかった。
「なによなによぉ! 本当に遠い領地に奇跡が起きたなんてわからないでしょ!」
ヴァイオレットは地団駄を踏む。だがイキシアとアネモネの視線は冷たかった。
「あんたはどうしてそこまでしてローズ姉様を貶めたいのよ」
「祝福をかけた振りだけしてごまかしてもすぐバレるだろうがたわけ」
他の令嬢達がマーガレットやヴァイオレットに向ける視線も非難めいたものに変わっている。
「ならフローレンス公爵領とフェレッラ伯爵領の不作は何なのよ!」
ヴァイオレットに叫びにローズはばつが悪そうな表情を見せる。
「えっと、フローレンス公爵家からは可愛いマーガレットの花をいただいたのですが・・・」
ローズの視線の先には白いマーガレットの花が植えられた区画がある。マーガレットの花は豊かに咲き誇っており、フローレンス公爵邸の庭園を思わせた。
「フローレンス公爵領とそのお隣のフェレッラ伯爵領の加護にはマーガレットの花をきっかけにしていたのですが・・・。その・・・マーガレットの花とフローレンス公爵領をイメージしようとすると、あのお茶会で酷く酔ってしまったことを思い出してしまうのです。そうなるとなんだかおなかのあたりが気持ち悪くなってしまって、加護がうまくかけられなくて・・・」
「つまり、ローズ姉様はあんたたちのつまらない嫌がらせがトラウマになって、そちらの領地への加護が失敗してるのよ。あんた達の自業自得ね」
「魔導車に酔って苦しんでいたローズちゃんの頭を踏みつけてくれたそうじゃないか。それなのにローズちゃんの加護が上手くいかないから責めると? どんだけ面の皮が厚いんだよ」
いよいよマーガレットは焦った。まさかヴァイオレットがローズの後頭部を踏みつけたことまでミラン辺境伯家の二人が知ってるとは。
マーガレットは考えを巡らせた。これ以上ミラン辺境伯家の二人の怒りを買うのはまずい。せめてローズを踏みつけたことは隠さねば。だがヴァイオレットが墓穴を掘った。
「な、なんでそれを知ってるのよ・・・」
「ローズ姉様はミラン辺境伯家が後見になっているもの。何かあればすぐ報告が上がるわ」
「そ。更にローズちゃんは私の養子にもなってるの。だから今のローズちゃんの名前はローズ・ミランってわけ。だからローズちゃんに喧嘩を売るってことはミラン辺境伯家に喧嘩売るってことと同じなのよ。君ら喧嘩大盤振る舞いだったよね? 覚悟しておけよ?」
まずいまずいまずい。非常にまずい。
ヴァイオレットを懐柔して口添えをさせ、フェレッラ伯爵家がローズの後見にならないように工作したのに、まさか他の貴族家がローズの後見になっているとは。しかもミラン辺境伯家というフェレッラ伯爵家より明らかに格上の家だ。
どうにかしてこの窮地を脱しなければ。ヴァイオレットの方を見ると、彼女はマーガレットに助けを請うような眼差しを向けている。
「ねぇ、マーガレット・・・言ってたよね。ローズが王太子殿下を狙ってるって・・・。だから奪われないように助けてほしいって・・・」
マーガレットは露骨に舌打ちした。よりによってこのタイミングでそれを言うか。
「えっと、私が王太子殿下を狙っている・・・ですか? どこからそんなお話が? 私は遠くからしか殿下のお顔を拝見したことがありませんし、お話ししたこともありませんよ?」
「ローズちゃんには婚約者がもういるのよ。私の甥っ子という立派な婚約者がね」
「だからローズ姉様は私の義姉になるの」
マーガレットの焦りは更に増す。ミラン辺境伯家嫡男なんて攻略対象に入っていない。いや、まさかローズが攻略対象ではない人物のルートに進んだためにこんなことになっているというのか。考えはまとまらず、ぐるぐると回り続ける。
「フローレンス公爵令嬢は王太子殿下の婚約者であらせますよね? あまりおかしな噂を信じられるのはよくないかと・・・」
「そもそもその噂はフローレンス公爵令嬢が発端だってウチの調べでわかってるわ。あなたいったい何がしたいのよ?」
「フローレンス公爵家と未来の王妃様から喧嘩の大安売りだねぇ。うちってこぉんなに嫌われてるんだ。なら、いっそ教会も引き連れて独立しちゃう?」
とうとうアネモネ・ミランが、ミラン辺境伯領の独立をほのめかし始めた。イキシアも叔母を止める気配がない。そうなればネイプルズ王国分裂の危機だ。しかも、引き金を引いたのがマーガレットになってしまう。だが焦るマーガレットにこの状況を打開する方法は思い浮かばない。
むしろさらなる墓穴が掘られた。
「ねぇ、マーガレット・・・。ローズって本当に酷い聖女なの・・・? マーガレットは不安そうに話してたよね? ローズは聖女の能力もまともにないくせに、人の婚約者を奪い取ることだけは一流の性悪だって・・・」
それはマーガレットがヴァイオレットに垂らし続けていた毒だった。ゲームではローズの親友となるはずだった彼女を引き込むため、彼女の正義感を煽るように、不安そうな様子を見せながら、ローズがいかに性悪聖女であるかを少しずつ少しずつ刷り込んでいったのだ。もちろんその性悪聖女の像はマーガレットが前世で読んだ悪役令嬢ものの破滅する性悪ヒロインのもので、今この世界にいるローズのものではないが、マーガレットは言葉巧みに語り、ヴァイオレットに聖女ローズは性悪だと信じ込ませたのだ。こうして、彼女はマーガレットの親友という名の手駒となったのある。
だが、今のヴァイオレットは無能な味方に成り下がってしまっている。マーガレットはヴァイオレットを切り捨てることにした。




