7 謀術の代償
ヴァイオレットはローズを指さして言い放った。
「あんたがゲロゲロとみっともなく吐いたのが全ての原因じゃない。噂になって当然だわ」
ローズは困ったような表情を浮かべ、明らかに戸惑っている。その様子を見てヴァイオレットが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「何か言うことがあるなら言ってご覧なさいな、ゲロ聖女」
ところが反論は別のところから飛んできた。
「さっきからゲロゲロうるさいわよ馬鹿」
ヴァイオレットが声の主を睨み付けた。その先にはローズに付き添っていた小柄な令嬢がいた。彼女は光の加減で青色を帯びる烏の濡れ羽色の長い髪を両サイドにまとめ、青色のリボンでまとめている。マーガレットの前世の世界でツインテールと言われた髪型だ。髪型と小柄なことが合わさって、他の令嬢達より幼い印象を受けるが、アメジストの濃紫の瞳は意志が強そうで、今はその瞳はヴァイオレットに向けられている。
「みっともないとか下品だとか言っているけれど、あんたの方がよっぽど品がないわ。ああ、それとも王都のご令嬢は人の嘔吐で盛り上がる趣味でもあるの?」
ツインテールの令嬢がAクラスの令嬢達をじろりとにらむと、にらまれた令嬢達はふるふると顔を横に振って否定の意思を見せた。
「ぶ、無礼よ! 名を名乗りなさい!」
ヴァイオレットは顔を真っ赤にして叫んだ。
小柄な令嬢はその様子を呆れたように見つめ、わざとらしくため息をつくと名乗った。
「ミラン辺境伯家長女、イキシア・ミラン。ああ、覚えてもらわなくてかまわないわ、フェレッラ伯爵令嬢」
ミラン辺境伯家、このネイプルズ王国の東方を治める大貴族だ。ネイプルズ王家と血縁関係がないので公爵位こそ得ていないが、領地と派閥の規模はこの国の2つの公爵家よりも大きい。そして辺境伯家らしく、かなりの武闘派だ。独立してミラン王国とならないのが不思議だとしばしば囁かれているが、ミラン家にそこまでの野心がなく、ネイプルズ王家との関係も良好なために、彼らはネイプルズ王国の一辺境伯家として国の東側を守ってくれているのである。
彼らは東方の辺境にあるがゆえに、王都の社交に出てくることは少ない。一昨年前までは嫡男が王立学園に在籍していたが、既に卒業して領地に戻っていた。その彼にはイキシアという妹がいるがまだ13歳なので学園には在籍していない。そしてマーガレットの記憶ではミラン辺境伯もその兄妹もゲームには出てこなかった。なので、マーガレットはツインテールの小さな令嬢がミラン辺境伯家のイキシア・ミランであることがわからなかったのである。
「そもそも例の噂、実際に自分の目で見た方はどれほどいるのかしらね?」
イキシアが同じテーブルの令嬢達に視線を流す。令嬢達は互いに顔を見合わせた。「ローズが吐いた」という話ばかりが先行してて、どうしてそうなったのかは知らなかったのだ。
「私が魔導車に酔ってしまったのが原因なのです」
聖女ローズの説明は極めて簡潔だった。
あまりにも簡潔すぎて令嬢達が鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている。
「あの、それだけですか? も、もしかすると魔導車を汚して公爵令嬢の不興を買ってしまったとか」
「いえ、高速魔導車に乗っている間はなんとか我慢していました。ですが、降りた時に目が回りふらふらしてしまって我慢ができなってしまって花壇に・・・」
令嬢達は互いに顔を見合わせる。
「魔導車酔いでしたら誰にでも起こりえますし」
「騒ぎ立てる程のことではないですよね」
「ああ、何故あんな噂に私は乗っかってしまったのでしょう。一生の恥ですわ」
落ち込むAクラスの令嬢達。ローズは「お気になさらないでください。そう言っていただけて、少し心が軽くなりましたから」と彼女らを慰めている。その様子をヴァイオレットはその様子を憎々しげに睨み付けていた。マーガレットは扇で口元を隠し、表情を読まれないよう努めた。だがイキシアはさらに追撃をかけてきた。
「並の騎士でも酔うような高速魔導車を王都の教会によこしたそうじゃない。おまけにその迎えも時間ギリギリで、間に合わせるために最高速でぶっ飛ばしたらしいわね。酷いことするわ」
Aクラスの令嬢達がひそひそと囁き始める。聞こえてくる内容は「高速魔導車ならなおのこと酔ってしまっても仕方ない」とか「揺れの酷い魔導車を迎えによこすのはありえないのでは」などローズを擁護するかマーガレットを非難する内容ばかりだった。Aクラスの令嬢達は高位貴族家の出身が多く、高速魔導車の揺れが酷いことを知っていたのである。
イキシアはそんな彼女たちの様子をあまり興味なさそうに眺めていたが、おもむろにローズに話しかけた。
「ところで、ローズ姉様。例のお茶会のお帰りはどうしたのかしら?」
「公爵領領都の教会に帰りました。目眩が酷いのでシスターに支えてもらって。公爵邸と教会がそれほど離れていなかったので助かりました」
令嬢達のひそひそ声がピタリとやむ。そして一人の令嬢が顔をこわばらせながらローズに尋ねた。
「まさか歩いて帰られたので?」
「ええそうです。魔導車には乗れませんし」
「公爵邸でお休みされてから帰られたとか」
「いいえ。フローレンス公爵令嬢は酷くお怒りでしたし、公爵家の使用人の方々も困っていらしたので早々に立ち去りました」
「護衛はつけられました?」
「シスターに同行してもらっていました」
令嬢達からマーガレットに向けられる目線が一気に非難めいたものになる。
彼女たちからは口々に「体調が悪くなった方を放り出すなんて」「仮にも招待客ですのに、そんなおざなりな対応ですの」「ありえないわ」などとマーガレットの対応を批判する。
マーガレットは内心舌打ちをした。自分はローズを追い出せ等とは指示していない。あの時のローズに何もしなかったのは使用人達の失態だ。なのに、こんなところで自分に非難の矛先が向くなんて。
だがマーガレットの味方はいた。ヴァイオレットだ。彼女は立ち上がると叫んだ。
「みんなだまされないで! このローズはおよそ聖女としてふさわしくない卑しい人間なんだから!」
会場の令嬢達は多くが訝しげな表情をヴァイオレットに向けている。当のローズは突然のことにきょとんとしていた。イキシアはヴァイオレットを睨んでいる。もう一人の小柄な令嬢は何やら楽しそうで、口角が持ち上がっていた。
「ローズ! あんたの疑惑をここで明らかにしてやるわ!」
「私の疑惑ですか?」
こてりとローズは首をかしげる。端から見ると可愛らしい仕草だが、ヴァイオレットはさらに激高した。
「ローズ! あんたは地方遠征が嫌だと拒否しているそうね!!」
びしぃっとヴァイオレットはローズに指を突きつけたが、ローズは全く動じていなかった。ローズは紅茶で喉を潤し、ヴァイオレットを見据えた。
「半分くらいは本当ですね。私はあまり身体が丈夫ではないですから」
「認めたわね! こんなのが聖女でいいのかしら!!」
「どうか話を最後まで聞いてください」
ローズがふぅとため息をついて続ける。
「あまり身体が丈夫ではないせいか、乗り物にすぐ酔ってしまうのです。それもかなり酷い酔い方をしてしまって。おかげで長距離の移動が難しいのです」
「なによそれ!」
「遠征のご依頼を下さる方々にはこれまで身体が弱いからと少し濁してお伝えしてしましたが、あのお茶会の後は隠さず『身体が弱く、乗り物酔いが酷いために長距離の移動に耐えられない』とお伝えしています。おそらく貴女のお父上のフェレッラ伯爵もご存じですよ」
マーガレットやヴァイオレットは知らなかったが、聖女ローズの事情は教会からネイプルズ王国の貴族家にしっかりと通達されていた。ローズもどのように通達されるかを予め確認済みだ。ヴァイオレットは露骨に顔を歪ませたが、すぐに言い返した。
「ならなんでミラン辺境伯領には行けたのよ! おかしいでしょ!!」
「あれは本当に頑張ったのですよ・・・」
ローズがゆっくりと語り出す。
身体があまり丈夫ではないとは言え、このまま長距離遠征ができないのは良くない。なので聖女の務めを熟す傍ら、少しずつ魔導車での移動に慣れる練習をした。初めは10分、慣れてきたら20分、30分と移動時間を増やしていく。万が一酔ってしまったときには少しでも症状が軽くなるようなアロマを炊いたり、あるいは乗り物酔いに効くとされる薬草を煎じて飲んでみたりと試行錯誤を繰り返した。並行して身体を少しでも丈夫にすべく、虚弱体質に効くとされる運動を教会関係者、医療関係者、騎士団関係者各所の協力を得て取り入れた。
「大変でした・・・」
聖女ローズが遠い目をする。
ローズにとって遠征のための訓練は聖女の修行より大変だった。少しずつ魔導車の移動に慣らすとは言え、慣れるまではすぐに酔って動けなくなってしまう。アロマや薬草は試行錯誤なので、なかなか効くものが見つからなかった。薬草が苦いだけならいいが、身体に合わずにかえって体調を崩してしまうこともあった。
それでもめげずに頑張り、どうにかミラン辺境伯領への遠征が可能になったのである。
「それでも続けて長時間の移動はできませんし、休みながらゆっくりと移動しますから、通常の3倍以上の時間がかかってしまいますが」
「いいのよ。ローズ姉様がミラン辺境伯領へ来られるようになったことが姉様の頑張りの証なのだから」
イキシアがローズを見る目はとても優しかった。しかもローズを姉様と呼んでおり、とても親しそうだ。
マーガレットは混乱した。ミラン辺境伯家はローズに迷惑をかけられた側のはずなのに、何故イキシアがローズをあんなにも大切にしているのかと。ヴァイオレットも大分うろたえているようだが、持ち前の正義感の強さで果敢にも言い返した。
「で、でもこいつが普通なら3日で着くところを10日もかけてだらだら移動していたから、ミラン辺境伯領は邪龍の被害が拡大したって」
「ローズ姉様の移動に時間がかかったからウチの被害が拡大した? そんな話どこから出てきたのよ」
「せ、先代聖女様が駆けつけてくれたからどうにか邪龍を倒して、瘴気を収めたって」
しどろもどろになるヴァイオレットをイキシアは冷めた目で見つめていた。そしてこれまで全くしゃべらなかったもう1人の小柄な令嬢が口を開いた。
「あの邪龍? 私一人じゃ倒せなかったと思うよ?」




